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【第一章】幕末の城下と武士の矜持 — 高祖父・九郎五郎
播州姫路の白鷺城(姫路城)を間近に仰ぐ城下町(十二所前)に、姫路藩士・九郎五郎の姿があった。Y家は『姫路市史 第10巻 史料編 近世1』(兵庫県立図書館蔵、p.403~423)所収の「酒井家家臣 江戸・姫路組分帳(宝暦七年)」にもその家名を留める姫路藩の武家であり、天保から万延へと至る動乱の世の中、九郎五郎は藩士としての誇りと責任感を胸に変わりゆく時代を生きていた。
妻・きくは天保4年(1833年)8月26日に生を受けた。彼女の旧姓である「深津」もまた、Y家と同じく同分帳に姫路藩士の家臣姓として記載が確認されることから、同じく姫路藩の武家から嫁いだものと推測される。天保の大飢饉という厳しい世相の中で培われた武家育ちの強靭な精神とともに、きくは九郎五郎を支え、長男・権次、二男・梅次らを育て上げ、家族の営みを築いていった。
そして万延元年(1860年)3月5日、江戸城桜田門外にて大老・井伊直弼が倒れた「桜田門外の変」のまさにその同月、二男・梅次が誕生する。幕末の風雲が急を告げる騒然とした世相の中で産声を上げた梅次。明治維新という未曽有の大変革によって武士の世は終わりを告げたが、九郎五郎ときくが子どもたちとともに育んだ「誠実さと誇り」は、Y家に受け継がれる不滅の精神的支柱となった。




