【プロローグ】遠き血脈と「上がり藤」の影
「姫路藩士の末裔が辿った五代の歴史」
このタイトルには二重の意味がある。
一つは「実際に時を経てたどった歴史」という意味
もう一つは「末裔が調査して明らかにした歴史」という意味である。
【まえがき】
本書は、播磨国姫路を拠点として五代にわたり生きたY家の軌跡を、一次史料と口述記録をもとに再構成した歴史叙述である。
江戸後期の姫路藩士・九郎五郎を起点に、看守として近代国家の法秩序を支えた梅次、鍛冶職人として地域産業を担った梅太郎、インパール作戦で散華した工兵・健次、戦後復興の食卓を支えた進、そして高度技術社会の最前線で精密制御工学を切り拓いたTへと至る系譜は、近世から現代に至る日本社会の変容を映し出す鏡でもある。
本書が描くのは、単なる家族の記録ではない。武士の矜持、技術への情熱、地域共同体との結びつき、戦争と復興の記憶、そして現代のモノづくりへと連なる精神の継承である。
この物語が、読者にとって自身のルーツを見つめ直す一助となり、また地域史・家族史研究の一資料として役立つことを願う。
【プロローグ】遠き血脈と「上がり藤」の影
<遠き血脈と「上がり藤」の影>
江戸時代以前におけるY家の詳細な系図や遠祖の足跡は、歳月の彼方へと埋もれ、確かな記録として手繰り寄せることは難しい。しかし、代々Y家に受け継がれてきた家紋「上がり藤」は、そのルーツを辿る小さな道標として静かに佇んでいる。
藤原氏の歴史は、天智8年(669年)、大化の改新の功臣である中臣鎌足が天智天皇より「藤原」の姓を賜ったことに始まる。やがて平安時代、藤原道長が「この世をば 我が世とぞ思う」と詠んだ全盛期に至り、藤原一族は朝廷の頂点で隆盛を極めた。Y家の家紋「上がり藤」もまた、その始祖が藤原氏の分流(あるいは縁深い家系)であった可能性を強く匂わせるものである。
もっとも、日本の家紋において「上がり藤」が「藤原氏の直系しか使用を許されない」というような絶対的・厳密な制限が存在したわけではない。歴史の過程においては、分家する際や先祖が「運気が上向くように」と縁起を担ぎ、本来の「下がり藤」のデザインを反転させて「上がり藤」へと変化させた例も全国で数多く見られた。
文字通りの直系血統であるか、あるいは先祖が更なる繁栄を願って選び取った紋様であるか——その真相は歴史の闇の中であるが、天地を仰いで力強く花を咲かせる「上がり藤」の存在は、Y家の人々の中に絶えず誇りと上昇への意思を植え付け続けてきたのである。
<Y邸拠点『十二所前町』の由来>
「十二所」は、姫路市十二所前町にある「十二所神社」に由来する。
「十二所」の由来(十二所神社発行「縁起書」より)
平安時代、姫路の地で激しい疫病(感染症)が流行し、人々が苦しんでいたとき、12本のヨモギが生え、少彦名大神が現れてヨモギを煎じて飲めば治るとお告げを受けた。
その通りにすると疫病が治ったたため、少彦名大神を祭神として十二所神社が創建された。この「12本のヨモギ」が、「十二所」という名前の語源であると言われている。




