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02.帰ろう、

※人外描写、流血・暴力表現、死亡描写、一部BL的表現を含みます。

 


──私は、妻子を化け物に食われて失ったことがある。

 それはあまりにも突然で、目の前に広がる光景をただ見ていることしか出来なかった。

 この世界には人智を越えた存在が居るのだと、たかが人間の常識や想像力などは全く当てにならないのだと、無知である自分を嘲笑うように今まで築き上げてきた常識が音を立てて崩れ去っていく。

 そこそこの時間を生きてきたつもりではあったが、人間という無力でちっぽけな存在が地球に何億と存在している方が烏滸がましいのではないのだろうか? ──そんな思考が頭の中を埋め尽くした。

 唐突に、今よりもうんと小さかった頃の娘に「おばけってほんとうにいるの?」と問われたことを思い出した。確か、その時の私は「どうだろうなあ、でもパパは見たことないしなぁ……。でも、もしも居るならお友達になれるお化けさんが居るといいねぇ」と答えたはずだ。

 この時は本当にお化けなど存在しないと思っていた。見たこともないモノを信じろという方が無茶な話だし、昨今蔓延る心霊写真だの心霊映像だのは全て加工されたものだと思っていた。だが、純粋な娘の好奇心や期待を裏切りたくはなかった。

 そして、確かにお化け──否、化け物はこの世界に存在した。目の前で不定形の形容しがたい容姿をした化け物は、妻子を喰らいあまつさえ私の最愛の娘の姿を模したのだ。

 文字通り手も足も出せず、声を発することも出来ず、ただただ妻子が喰われるところを、不定形の化け物が頭からつま先までそっくりな娘の姿に変身するところを、瞬きや呼吸すらも忘れて見つめていた。


 ──その光景が、あまりにも美しかったから。


 なにを以て美しいと思ったのかは、今でも分からない。いや、本能的に理解したくないのかもしれない。愛する妻子を喰らった化け物を美しいと感じた自分自身を肯定したくないだけだったのかも知れない。

 だが私は、娘に擬態しこちらを見て不敵に笑う化け物に対して気付けば手を差し伸べ、こう告げていたのだ。


「帰ろう、祈」


 と。


 ◇


 関東某所に位置する羽宮町は、主に鳩羽神社と参道商店街の観光業によって栄えた町であり、近年では鳩羽神社が必勝祈願の神社として特にテレビや雑誌などで話題に上がるようになり、各業界のスポーツ選手や受験生たちがこぞって訪れるようになった。

 近くを通る国鉄の最寄り駅から神社まで徒歩で約十分ほどで行ける距離にあるため、アクセスの良さも相まって人気の観光地と化していた。

 そんな鳩羽神社参道商店街──通称鳩杜通り商店街の一角にある少し年季の入った外観の喫茶店「シェーズ」の扉に下げられた看板には『close』と掲げられているが、構うことなく国木田は扉を開いた。

 カランカランと軽いベルの音が鳴り、店内に入った。店内は外観の雰囲気よりは新しい印象を受ける。明るい木目調を中心にコーディネートされた落ち着いた雰囲気だ。

 扉を開けてすぐ目に入るショーケースには、色とりどりのケーキが並べられており、ショーケースの反対側には六席あるカウンター、そして四人がけのテーブル席は三席ほどしかない小さな喫茶店だ。

 カウンターの内側では白髪混じりの短い黒髪に、白いワイシャツの上から店内ロゴの入った千草色のエプロンを身に着けた男性が開店準備のため動き回り、カウンターとテーブル席に角砂糖や紙ナプキンを補充している、少し明るい色の茶髪にショートボブのよく似合う男性とどこか面影の似ている中学生くらいの少女が忙しなく働いていた。


「おはよ、国木田くん……ってどうしたの、その目の隈! また徹夜をしたのかい?」

「ははは……実は、賞に出す原稿を書いていたら、時間を忘れてしまって……こんなお見苦しい姿に……」

「も~! まこちゃん、小説を書くのが大好きなのは分かるけど、ちゃんと寝ないとダメなのよ! めぐちゃんに怒られなかったの?」

「ん~……怒られると言うか、もう呆れられていると言うか……」

「ははっ確かに廻くんがため息をついているのが目に浮かぶね。ほら、荷物を裏に置いてきな。その様子だと朝も食べていないんだろう? 何か作るよ」

「ありがとうございます、助かります」


 カウンターに立っている男性──店主である古賀透の言葉に甘えて、従業員専用と書かれた扉を開きバックヤードに入った。

 自身に割り当てられたロッカーの中へ荷物を入れた。とは言っても国木田はいつも身軽なため、財布と文庫本にキーケースとスマートフォンが入った小さなボディバッグくらいなのだが。

 扉の向こうからわずかに聞こえる二人の会話を聞きながら、ロッカー内に掛けられた店主と同じ色のエプロンを身に着け、バックヤードから店内へと戻った。

 従業員口に一番近いカウンター席には、海苔の巻かれたおにぎりとコーヒーが淹れられており、店内はコーヒーの良い香りが漂っていた。


「おにぎりはあたしが握ったんだからね! 感謝して食べてね」

「ありがとう、祈ちゃん」


 おにぎりとコーヒーと共に出されていたおしぼりで手を拭いてから、手を合わせおにぎりを頬張った。

 塩加減の塩梅が絶妙で、お米本来の甘さも感じられるとても美味しいおにぎりだ。また腕を上げたな、と思っていると不意に祈が口を開いた。


「そう言えば、この間に打ち身した~って言ってたけど、もう大丈夫なの?」

「ああ、うん。そんなに酷いものじゃなかったから、もう平気だよ。心配してくれてありがとう」

「いーよ! まこちゃんに何かあったら旦那さまが悲しむもの。うちの貴重な労働力が居なくなるのは痛いしね」

「こらこら、祈。そんなこと言わないの。祈だってかなり心配していただろうに」

「わー!! それは言わない約束!! 旦那さまの意地悪!!」

「えーっと……思ったよりも心配を掛けていたの、かな? 本当になんでもないよ」


 そう国木田が言えば、祈は腕を組み頬を膨らませながら、


「分かれば良いの!」


 と、語気は強いが表情は笑顔だった。


「さて、そろそろ開店時間だ。国木田くん、悪いけど看板を変えてきてくれないかい?」

「分かりました」


 店内から外へ出、扉に掛けられている看板を一度外し『close』から『open』へと裏返してから、また看板を掛け直した。

 鳩羽神社が祭事を行う際や土日祝日はかなり混み合うが、今日は平日と言うこともあり、来店する客の数はまばらだった。

 午後のピークも終え、閉店時間も近くなってきた夕方、閉店作業前に軽く清掃をしているとカランカランと来店を告げるベルの音が鳴った。


「いらっしゃいませ! って、廻と……木舟さん! こんにちは」


 扉の方を向けば、そこには白衣と袴を着た廻とこの近くにある高校の制服を着た木舟の姿があった。


「おや、廻くんじゃないか、いらっしゃい。そっちの子は初めましてだね。カウンターとテーブル席、好きな方で良いからね」


 一瞬、祈が木舟を見て睨みつけたことを廻は見逃さなかった。

 ──まずい。本能的に廻は木舟を庇うように少しだけ前に立ち、木舟の方を見た。木舟は祈を見て固まっていた。が、普段通りの様子で、


「せっかくですから、カウンターで。良いですよね? 廻さん」


 と笑顔を見せた。


「ん? いいよ」

「好きなところに掛けてね。廻くんはコーヒーで良いかな? えっとお嬢さんは──」


 透の言葉に木舟は、しまった! と目を見開き、その場でお辞儀をした。


「私、木舟夕と申します。国木田さんと廻さんには良くしていただいてて。その関係で今日こちらに」

「ああ、そうだったんだ。私は古賀透、そっちは祈って言うんだ。じゃあ木舟さんはコーヒーと紅茶、あとはジュースもあるけど……どれが好きかな?」

「では、暖かい紅茶を」

「はぁい。あ、そうだ。ケーキが少し余ってるんだけど、お腹は空いてるかな? あとはアレルギーとか、苦手な物とか嫌いな物とか……」

「アレルギーも苦手な物や嫌いな物はありません。それに、体を動かしたあとなのでお腹ぺこぺこなんです」


 少し恥ずかしそうに告げる木舟に、透はニコニコと笑顔を浮かべながら、


「それならケーキをサービスしちゃおうかな。……と言っても残ってるケーキになるんだけど」


 と言いながら、ショーケースの扉を開けた。

 残ってるケーキは、チョコレートケーキとスフレチーズケーキ、アップルパイが数切れずつ残っていた。

 元々、今日は仕込んだ量が少なかったため、この程度の残りで済んだのだが、食べ盛りには少し少ないだろうか? と思いながら、透は二人分のケーキ皿に残りのケーキを盛り付けた。

 その隣では、国木田と祈がそれぞれ紅茶とコーヒーを淹れていた。


「俺も良いんすか?」

「いいのいいの。余っちゃうと困るし、それに新しいお客さんを連れてきてくれたお礼。あっお代はいつも通りだから安心してね」

「そう言うことなら、お言葉に甘えます。あざっす」


 目の前に出されたコーヒーと、少し数の多いケーキを見た廻は驚き思わず言ってしまったが、せっかくの好意に甘えることにした。

 あの夜の後、木舟はすぐに鳩羽神社へと訪れた。そこで宮司と廻を交えて話し合い、学業に影響がない範囲内で修行することが決まった。

 廻が木舟をこの喫茶店へ連れてきた理由は修行の一環だ。宮司から「人間と生きている怪異がすぐ近くに居るから、見てきなよ。君が向き合わないといけない怪異だ」と助言されたからだ。

 今のところは何ともないが廻は内心、気が気でなかった。


「旦那さまの作るケーキはなんでも美味しいんだから! 楽しんでちょうだいね」

「だん……? はい、ありがとうございます」


 最初に目を引いたのは、食器類だった。

 ころんと丸いフォルムをしたガラス製のティーポットに、アンティーク調の白いティーカップ。それに揃いのケーキ皿は大変可愛らしく、見ているだけでもテンションが上がった。

 木舟はフォークを手に取り、まずはチョコレートケーキを切り分け、口に運んだ。

 甘すぎないが濃厚なチョコレートが口いっぱいに広がった。続けて紅茶を飲めば、紅茶のほど良い渋みと、チョコレートの甘さのマリアージュが素晴らしく、またチョコレートケーキを口に運ぶ。あまりの美味しさに幸せな気持ちで胸がいっぱいになっていたが、ふと我に返る。カウンターの内側で嬉しそうに笑う透が視界に入った。


「そんなに気に入ってくれたかい?」

「は、はい! 凄く美味しいです!」

「ふふっそれは良かった。そんなに美味しそうに食べてくれると作った甲斐があったよ」

「食事系も美味しいので、またおいで」


 国木田の言葉にスフレチーズケーキを食べながら、木舟はこくこくと頷いた。


「旦那さま、まこちゃん。お客さまが居るところでごめんね。ゴミ捨て用に使ってるちっちゃいビニール袋、在庫あるかしら? もう無くなりそうなの」

「……僕は見てない、ですね」

「うーん……私も見てないなぁ、ごめんね。うっかり買い忘れていたかもしれないね」

「じゃあ、気付いたからあたし買ってくるわね!」

「いやでも気付かなかった僕も悪いし、僕が……」


 買ってきますよ、と続けようとした国木田の言葉を遮り、祈はカウンター席に座っている廻の腕を取った。


「ならめぐちゃんと行ってくるから、だいじょーぶ! ね? めぐちゃん」

「は? なんで俺が…………あーはいはい、分かりましたよ、お姫さま。ってことでちょっと行ってきますね。領収証は貰った方がいいっすよね?」

「うん、そうしてくれると助かるよ。ごめんね、祈のわがままで」

「いいっすよ。じゃあ行くぞ、祈」

「はぁい!」


 透から財布を受け取った祈は、廻と手を繋いで店を出た。

 その背中を見送った木舟はケーキを食べながらしばらく逡巡し、そして意を決して口を開いた。


「……その、透さんと祈さんって……どんなご関係なんですか?」


 ──祈から、怪異の匂いがする。しかも、かなり強い部類の。

 彼女が、宮司の言っていた「人間と生きている怪異」なのだろう。

 だが、二人は親子にしか見えない。他人と言い切るには、あまりにも祈の顔は透に似ている。それだと言うのに、祈は透のことを「旦那さま」と呼ぶのだ。そのせいで余計に関係性が分からない。

 国木田は国木田で、それを当たり前のように受け入れている。働いているのだから慣れてしまった、と言えばそれまでだが、彼は木舟の殺人衝動を受け入れた人間なのだ。彼が俗に言う普通とズレていることを、木舟は嫌でも知っている。

 きっと、二人には何かがある。だからこそ、木舟は聞かずにはいられなかったのだ。

 今まで殺してきた怪異とわざわざ暮らしている物好きな人間の言葉を。

 ちらりと透を見れば、木舟の問いに眉を寄せて悩んでいるように見受けた。そして「そうだなぁ…………」と言うと、長い沈黙の後に透はとても優しい笑みを浮かべ、こう答えた。


「私のね、大切な大切な宝物で……そして、可愛いお嫁さんだよ」


 ◇


 店から外へ出た瞬間、祈は廻と繋いでいた手を離した。

 鳩杜通り商店街も夕方になると人通りが少なくなる。何事もなく近くのドラッグストアで目当ての品を買い、帰ろうとしたところで数歩先を歩いていた祈は急に振り返り、廻を見た。

 その瞳の色は文字通り変わっていた。普段の綺麗な紫色の瞳ではなく、どこか禍々しい玉虫色の瞳は廻を見つめ、喫茶店に居た時の愛らしい表情は消え去り、そこに居たのは少女の形をした"なにか"だった。

 ──やっぱそうか。

 廻は、祈が自分を連れ出した理由を分かっていた。十中八九、木舟と国木田についてだろう。

 この瞳をした祈に、廻は勝てない。否、死ねないのだから勝敗など初めから存在しないのだが、彼女の気が済むまで殺され続けてしまう。痛覚が無い訳ではないため、痛いものは痛い。それだけは避けたかった。


「ハニーと、あの女について……で、良いんだよな?」

「そ。別にあたしが手を下す必要はないと思うけど、一応確認」

「祈に隠し事したところで、全部バレるしなぁ。そ、アレがハニーを殺そうとした怪異殺し。今は宮司さんが修行させてるところ」

「へぇ……アイツ、そんなことするんだ。珍し〜。でも本当に誠に何かあったら、廻が彼女のこと──殺すもんね?」


 祈の問いに廻は見透かされてるな、と感じながら数歩先に居る祈の方へ向かいながら、


「──当たり前だろ。俺の、誠だ」


 この言葉の重みを、祈はきちんと理解している。だからこそ、念のために確認したのだが。


「うん、知ってた。でも独占欲の強いやつって大体、嫌われるわよ?」

「そりゃお互い様」

「残念でしたー! 旦那さまはあたしのこと嫌わないもーん!」


 ケラケラと笑う祈の瞳は、元の紫色へと変わっていた。紫色の瞳を見ながら廻は安堵のため息をつき、祈へ手を差し伸べた。


「じゃ、帰ろう。あんま遅いと透さん心配すんぞ」

「そうね。旦那さま、意外と過保護だから」


 廻の手を取り、祈は少し困ったように言う。

 中身は化物と知りながら、少しでも帰りが遅いだけで、透はこの世の終わりかのような顔して心配をするのだ。そして、帰ってきた祈を抱きしめて「おかえり」と嬉しそうに口にする。

 今頃、国木田相手に慌てふためいてあるかもれない。そんなところも可愛らしいのだが、こんなくだらないことで心配をかけたくはない。ちょっとした乙女心、というやつだ。


「お互いに大変だなぁ」

「そーね。でもそんなところが好きだもの」


 祈の表情は、どこか満足気で愛おしさが滲み出ていた。


「……やっぱ、昔より今の方が良い顔するようになったよ、祈」

「なぁに? お兄ちゃん面? あたしの方が年上だけど?」

「それは言わない約束ってやつ。でも人間歴は俺のが長いから」


 わざとらしく廻がピースサインをすれば、祈は頬を膨らませた。


「むぅ。それは……そうね」

「納得していただけて何より」


 この言葉を最後に、二人は仲良く喫茶店に帰るべく歩き始めた。


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