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03.内側

※人外描写、流血・暴力表現、死亡描写、一部BL的表現を含みます。


 それは、いつもと同じ朝だった。

 同居人である国木田がまだ眠っている時刻に目覚め、遅くまで原稿を書いていた国木田を起こさないために、なるべく音を立てぬよう二人分の朝食の準備を済ませた。

 残りの家事は今日は国木田が担当の日のため、自身の身支度を整えてから、静かに玄関の鍵を閉め、職場である鳩羽神社へと向かった。

 流石に早朝のため人通りもほぼない鳩杜通り商店街を通り、鳩羽神社の敷地に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 同じ鳩羽神社ではあるのだが、あまりにも空気が静謐すぎる。それに、自分以外の生き物の気配が全くない。

 遠目では桜が咲き、生垣には紫の紫陽花が咲き誇っている。微かにだが、金木犀と蝋梅(ろうばい)の香りが混じった甘い匂いが鼻をくすぐった。

 ──廻は、この場所を知っている。

 ここは、俗に言う神域、神が自ら作った領域。簡単に言ってしまえば、異空間だ。

 短いため息をつきながら境内を進む。本殿が見える頃には、賽銭箱の奥に笑顔で回廊に座る紺色の少し長めの髪を遊ばせ、白衣と浅葱色の袴を着た男が居た。


「──なぁにしてんすか、宮司さん」

「いやぁ誰にも邪魔されずに廻と話したくてさぁ。隣、座りなよ」


 自身の隣をトントンと叩く宮司に、廻は大人しく回路に腰掛けた。


「で、話ってなんすか」

「せっかちは嫌われるぞ〜。木舟くんと祈、上手くやれそう?」

「たく……そんなせっかちじゃないですって。んで、本題っすけど祈の方からはすっげぇ釘刺されましたけど、俺が手を出してないんで保留。夕の方は戸惑ってましたけど、透さんとハニーを立てて手は出しませんでした。てか、自分で確認に行ってくださいよ!」

「やだよ、祈ってば俺のことを早く帰らせようとするし」


 唇を尖らせ、眉をひそめる宮司に廻はため息をついた。羽宮の地を守る土地神でありながら、目の前に居る神様はあまりにも人間味がありすぎる。

 今もこうしてお気に入りの喫茶店でのんびり出来ないと拗ねているのだ。

 ──本当に、不思議な神様が居たものだ。


「それは宮司さんが悪いからじゃ……?」

「え!? 俺の!? どこが悪いの!?」

「…………全体的に?」


 普段の二人は、どちらかと言えば口喧嘩が多い。

 大方、宮司が祈を煽ってそれに対して祈が怒るのが定番と化している。

 店主の透も、アルバイトの国木田も二人を止めるわけではなく、ただ仲が良いんだなと微笑ましそうに見つめるだけだ。

 目撃するたびに、廻の肝だけが冷えているため、正直に言えば勘弁して欲しいのだが。


「うっそだぁ〜! ま、確かに俺が祈と仲が良いとは言えないけど……。でもまぁ、二人が仲良く出来そうなら良かった!」


 満足そうに宮司は笑った。


「確かに二人が仲良くやれるならそれに越したことはないっすけど……そんな心配することですか?」

「あのねぇ……木舟くんはどんなに鍛えても、祈のことは殺せない。彼女の戦い方はそう言うんじゃないし……教えようと思えばいくらでも殺し方は教えられるけど、それは彼女が望んでないしね。だから祈が気に入らなければ、彼女は簡単に死ぬ」


 宮司は続ける。


「それに、祈はあの古賀透の『愛』って言う一番厄介な祝いと呪いを一身に受けている存在だよ? ああ言うのがシンプルに一番強いんだから。やろうと思えば俺の首も取れるしね。まぁ、俺は負けるつもりも首を取られるつもりもないけど。つまるところ、簡単に言えば木舟くんと祈は色々と相性が悪いんだよ。だからこそ、君に仲介役を頼んだってわけ。廻の方が俺より公平に見てくれるからね」



 宮司の言葉に、廻は「そう、ですか」と返す他なかった。

 廻は、木舟夕の本質は知っているが、古賀祈の本質は分からないで居た。

 ただ、力ある化け物が人間の皮を着て、愛する人間と仲睦まじく暮らしている。廻はその認識で接していた。だからこそ、祈の本当の恐ろしさ、と言うものが分からない。

 しかし、宮司は違う。古賀祈の危険性も木舟夕の危うさも全て分かった上で会わせ、そして祈が廻に事実を確認した上で折れると分かっていたのだ。


「──本当、なにを考えてるんですか? ()()()()()()()。祈が折れなかったらどうしてたんです? もしも夕が祈に襲い掛かっていたら?」


 宮司──否、斎刃境主命いみはやさかいぬしのみことは困ったように眉を下げ、


「その名前で呼ぶのやめてよ、恥ずかしいから。でもさぁ──国木田くんの前で、そんなこと二人がするわけないだろ?」


 その表情は、さも当然と言わんばかりに自信に満ち溢れていた。

 確かに祈は、国木田誠の『在り方』を気に入っている。そして、木舟夕は国木田誠に『道を指し示して』もらっている。たしかに、そんな二人が国木田の前で諍いを起こすわけがない。

 言われてみればそうなのだが、廻は釈然としたかった。


「もし、ハニーになにかあったらどう責任取ってくれるんですか!?」

「そうならないための君だろうに。全く、国木田くんのことになると熱くなるんだから〜」

「当たり前だろ!? 誠になにかあったら、流石のアンタでも俺は許せない」


 呆れたように斎刃境主命は、右手の人差し指で廻の左胸を指差した。


「そこまで過保護にするなら、マーキングじゃなくて、きちんと自分のモノにしなね。国木田くんの魂なんて、悪い怪異たちからしたらただのご馳走なんだからさ。そう言う中途半端な関わり方、辞めなって言ったよね?」

「そ、う……っすけど……」


 国木田誠の魂は、今の時代に珍しく高潔だ。

 それ故に、弱い怪異でさえも一度喰らえばかなりの力を持つことが出来る。故に、彼が怪異を認知しようがしまいが、国木田は狙われ続けることになる。

 だからこそ、斎刃境主命は廻を国木田の監視に置いたのだ。この町の均衡を守るために。

 ──ここまで入れ込むのは、予想外ではあったが。


「人間から"こちら側"に来てしまった苦悩は分かるよ。一応、俺も元人間だからね。で? 本音は? 国木田くんをどうしたいの?」

「…………俺の血を飲ませて、一生俺と一緒に居て欲しい……です。でも、誠に言ったら絶対に『良いよ』って言うから、俺みたいに年を取れないとか、死ねないとか……そう言うので苦しんで欲しくないって言うか……」


 もごもごと言葉を紡ぐ廻に、若干ではあるが斎刃境主命は引きながら右手を下げ、そのまま頬杖をついた。


「うわぁ……感情が複雑に屈折しすぎ。本当に好きだねぇ、国木田くんのこと。そこまで入れ込んでるんだったら、ちゃんと最期まで廻が守りなよ」

「惚れた時から、ずっとそのつもりです。…………ただ、その……お手数はおかけするとは思うんすけど…………」

「良いよ、そのくらい。俺はこの土地の神。故にこの土地に住むモノを守り、見守る義務がある。人間であろうとなかろうと、ね」


 そう言い、廻に向けて優しい笑顔を見せた。

 それは初めて会った時と同じ、廻自身を受け入れると言ってくれたあの時と同じ顔だった。


「……あと、生意気言って…………すみませんでした」

「気にしないの。君と俺の仲だろ? まぁ、そうだな……助言をするなら、言いたいことはちゃんと相手に伝えなよ。ただでさえも時間が違うんだから。それこそ、君は地球が滅亡しようとも生きているんだから、なるべく後悔はしないようにね」

「いや、それを言うなら宮司さんも──」


 斎刃境主命は、静かに首を横に振った。


「それは違うよ。これは俺の持論だけど、人間なくして神は存在出来ない。信仰そのものが神を存在させたり、信仰のお返しに神は人間のために何かをしたりする訳だし。神様だって十人十色だけどさ、俺はね──羽宮のモノたちから必要ないって言われたら、静かに消えるだけなんだ」


 その言葉に、思わず廻は立ち上がり、声を荒げた。


「ここに! ここに一人だけっすけど、アンタをずっと信仰してるモノがいる! あの日、俺に手を差し伸べて受け入れてくれた日から! 人間……ではないけど、だけど!!」

「……うん、ありがとう。大丈夫だよ、そう簡単に俺は消えないよ。そうならないためにも嫌々だけど今時らしくメディアの取材とか受けてるわけだし。でも廻の気持ちは凄く嬉しい。ありがとう、こんな未熟な神を信仰してくれて」

「まぁ……俺にとって父さん、みたいなものだし……」

「えーせめてお兄ちゃんにしてよー」


 冗談ぽく斎刃境主命は言うが、廻は首を横に振りながら「いーや、父さんっすね!」と譲るつもりはないらしい。

 ──なんだか、随分と懐かれてしまったな。と思いつつ、斎刃境主命もゆっくりと立ち上がり、境内へと歩き始めた。


「ま、聞きたいことは聞けたし、仕事に戻るよ〜」

「……すでに労働では?」

「色付けてあげるから、文句言わないの。これでも結構、融通効かせてあげてるんだけど?」

「それを言われたらなんも言えないじゃないっすか……」


 廻も斎刃境主命を追いかけるようにして境内へ歩き始めた。二人並んで桜並木の境内を歩くのは、なんだか不思議な感覚がした。

 随分と昔に誤って迷い込んだ時は、廻一人で帰されたため、一緒に歩くのは初めてだ。

 二人分の足音が聞こえる中、ふと斎刃境主命は足を止めた。不思議に思った廻は「どうかしました?」と言いながら振り返った。


「いやね、消えられない本当の理由をちゃんと廻には話しておかないと、と思って」

「……? えーっと……なんすか? さっきのが理由じゃ?」

「あれも、もちろん理由。羽宮を見捨てる気なんてさらさら無いよ。でもこれは……俺個人の理由」


 そう告げる斎刃境主命の表情には、確かに殺意が滲み出ていた。

 彼がここまでの殺意を表に出しているところを、廻は見たことがなかった。

 思わず息を呑む。そして、斎刃境主命の言葉を待った。


「──俺には、絶対に殺さなきゃいけないやつがいる。だから、消えられない」


 仮にも神として祀られている存在が、ここまでの殺意を向ける相手とは、誰なのか。廻には全く予想が出来なかった。

 辛うじて推察するのであれば、きっとこの羽宮を脅かした存在であり、鳩羽神社が創建された理由が関係しているのだろう。

 しかし、先ほどまでの殺意が嘘かのように斎刃境主命はいつもの調子で廻に笑いかけた。


「さて、早く行こ。いくら時間の流れが違うからって、二人揃って居ないのは、流石にまずいからね」

「っす……。でも……その、アンタがそこまでして殺したい相手って、なにしたんすか?」


 恐る恐る廻が問えば、斎刃境主命は特に気にした様子も見せずに、


「羽宮の地を襲う怪異を狩り続けてた人間の俺を、殺した相手」


 やけに爽やかな声色で、彼は毅然と告げた。

 続きを問おうと廻が口を開く前に、一瞬立ちくらみが起き、気付けば生き物の気配のする鳩羽神社鳥居の前に立っていた。

 傍に宮司の姿はなく、完全に言い逃げをされてしまった。そう気付くのは容易かった。

 この後いくら問いただしても、彼は決して答えてはくれないだろう。

 神社に保管されている文献を読み漁れば事実が分かるかもしれないが、今の廻にはそんな気力は残っていなかった。

 それよりも、国木田との関係をどうするのか、の方が重要だからだ。それに、あの様子であればまた神域に招かれた際に聞くくらいは許されるだろう。否、必ず聞いてやると廻は静かに誓った。

 きっと「え〜今日は来るの遅いね〜」なんていつもの調子で宮司は言うのだろう。

 廻は大きなため息をついてから、鳥居を潜り社務所へと向かった。

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