表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒ししかできない無能聖女として追放されましたが、私がいなくなった国はもう保ちません  作者: 蒼井 玲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/79

第3話 名前を失ったまま、歩き出す

 日が傾き始めてからも、リリアはしばらくその場に座っていた。

 膝を抱え、道の脇の草を見つめる。乾いた土の匂いが、鼻をくすぐった。


 何もしない時間は、思ったより長く続いた。

 そして、思ったより――苦しくなかった。


(……私は、もう祈らなくていいんだ)


 そう考えた瞬間、胸の奥に奇妙な空白が生まれる。

 安心でも、恐怖でもない。ただ、ぽっかりと空いた場所。


 聖女として生きてきた時間が、丸ごと抜け落ちたような感覚だった。


 立ち上がる。

 外套についた草を払うと、体が少しだけ軽い。歩くこと自体は、ずっとしてきたはずなのに、今は違う意味を持っていた。


 ――どこへ行こう。


 答えはない。

 王都に戻る理由はないし、教会に縋るつもりもない。かといって、行き先を決められるほど、世界を知らない。


 それでも足は、自然と街道に沿って動き出した。

 人の流れがある方へ。誰かが歩いてきた道へ。


 しばらく歩くと、行商人の一団とすれ違った。

 荷馬車、布袋、談笑する声。活気がある。


「……あれ?」


 一人の商人が、リリアを見て足を止めた。

 年配の男で、日に焼けた顔をしている。


「嬢ちゃん、大丈夫か? 道端で座り込んでたみたいだが」


 声をかけられ、リリアは一瞬、戸惑った。

 これまで、見知らぬ人に心配されることはほとんどなかった。聖女である限り、距離は自然と引かれる。


「……はい。少し、休んでいただけです」


「そうか。ならいい。日が落ちる前に、宿のある村まで行ったほうがいいぞ」


「村……?」


「ああ。この先を半日も行けば、小さな辺境村がある。派手なもんはないが、悪い場所じゃない」


 そう言って、男は笑った。

 利害も、期待もない、ただの親切な笑顔だった。


「ありがとうございます」


 自然に言葉が出たことに、リリア自身が少し驚く。

 聖女としての礼ではない。肩書きも関係ない、一対一の感謝。


 商人たちは去っていった。

 残されたのは、道と、沈みかけた太陽。


(……辺境の村)


 知らない場所。

 だからこそ、いいのかもしれない。


 再び歩き出す。

 足の裏に、土の感触がしっかり伝わる。聖堂の石床とは違う、生きた地面。


 途中、喉が渇いて川に立ち寄った。

 しゃがみ込み、手ですくって水を飲む。冷たくて、少し土の味がした。


 ――浄化しなくていいのだろうか。


 反射的に浮かんだ考えを、振り払う。

 今は、ただの水だ。ただの旅人だ。


 それでも不思議なことに、川の水は澄んでいた。

 光を反射し、小魚の影が見える。


(……気のせい)


 何度も、自分に言い聞かせる。


 夕暮れが夜に変わるころ、ぽつぽつと灯りが見え始めた。

 木造の家屋が集まった、小さな集落。柵も、見張り塔もない。


 辺境村だった。


 村の入り口で、薪を運ぶ青年と目が合った。

 短く刈った髪、簡素な服装。騎士の装備ではないが、腰に剣を下げている。


「……旅の人?」


 警戒と好奇心が混じった声。

 リリアは、少しだけ迷ってから頷いた。


「はい。今夜、泊まれる場所はありますか」


 青年は一瞬、彼女を見た。

 値踏みするような視線ではない。ただ、人を見る目だった。


「宿はないけど、村長に話してみる。ついてきて」


「……ありがとうございます」


 歩きながら、リリアは気づく。

 誰も、彼女を聖女だと見ていない。

 当たり前だ。徽章もないし、名乗ってもいない。


 それなのに――胸の奥が、少しだけ楽だった。


 村の中央にある家で、村長と名乗る男性に事情を説明する。

 追放のことは言わなかった。ただ、「行き先がない旅人」だとだけ。


「事情は聞いた。今夜は空き部屋を使いなさい。代金は……無理にとは言わん」


「……ありがとうございます。本当に」


 頭を下げると、村長は手を振った。


「困ったときは、助け合いだ。ここはそういう村だよ」


 その言葉が、胸に染みた。


 案内された部屋は、素朴だった。

 木の壁、簡単な寝台、小さな窓。けれど、冷たくない。


 外套を脱ぎ、腰を下ろす。

 今日一日が、急に重くのしかかってきた。


(……私は、誰なんだろう)


 聖女ではない。

 けれど、まだ「ただの娘」とも言い切れない。


 名前を名乗らなかったことに、今さら気づく。

 名乗らなかったのか、名乗れなかったのか。


 リリアは、窓から外を見た。

 夜空に、星がぽつぽつと浮かんでいる。王都より、ずっと多い。


 その光景を見ているうちに、胸の奥で何かが、ゆっくりほどけていった。


 ――ここでは、祈らなくてもいい。

 ――役に立たなくてもいい。


 その事実が、怖くて、でも確かに、救いだった。


 追放された聖女は、その夜、初めて「明日」を考えずに眠った。

 名前を失ったまま。

 けれど、世界から完全に切り離されたわけではないまま。


本話もお読みいただき、ありがとうございました!


少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、

ブックマーク や 評価 をお願いします。


応援が励みになります!


これからもどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ