表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒ししかできない無能聖女として追放されましたが、私がいなくなった国はもう保ちません  作者: 蒼井 玲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/80

第4話 何もしていないのに、朝は来る

 朝は、思いがけなく静かに訪れた。


 鳥の声で目を覚ます、という経験は初めてだった。

 教会では、必ず鐘が鳴る。時間を告げ、祈りを命じる音。けれどここでは、誰も彼女に何も求めない。


 リリアはしばらく、天井を見つめたまま動かなかった。

 木目の浮いた板。わずかな隙間。そこから差し込む、柔らかな光。


(……朝、だ)


 それだけの事実を確認するのに、少し時間がかかった。


 起き上がる。

 身体は重いはずなのに、不思議と痛みはない。昨夜は深く眠った記憶がないのに、頭は冴えていた。


 部屋を出ると、廊下の先から薪のはぜる音が聞こえた。

 家の奥で、誰かが朝食の支度をしているらしい。


「……おはようございます」


 声をかけると、年配の女性が振り返った。

 昨日、村長の家で彼女を迎えてくれた人だ。


「ああ、起きたかい。よく眠れた?」


 それは、あまりにも自然な問いだった。

 聖女として過ごしてきた時間の中で、「眠れたか」と聞かれたことはほとんどない。体調管理は祈りと報告事項であって、感情の話ではなかった。


「……はい。ありがとうございました」


 曖昧な返事になってしまったが、女性は気にしない様子で頷いた。


「ならよかった。顔色も悪くないね。朝粥ができてるよ」


 促されるまま、簡素な食卓につく。

 木の器に盛られた粥は、湯気を立てていた。穀物の匂いが、鼻をくすぐる。


 一口、口に運ぶ。

 薄味だったが、温かい。


(……おいしい)


 そう感じた瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。

 聖堂で出される食事は、栄養と形式を重視したものだった。味を意識したことは、ほとんどない。


 食べ終えると、女性は言った。


「今日はどうするんだい? ここに滞在するなら、村長と話しておいたほうがいい」


「……滞在、ですか」


「行き先が決まってないんだろう?」


 リリアは、少し考えてから頷いた。


「……はい」


「なら、無理に急ぐことはない。ここは辺境でね、働き手はいくらでも欲しいんだ」


 その言葉に、心がざわつく。

 働く。役割を持つ。期待される。


 でも、それは――聖女としてではない。


「できることは……多くありません」


「誰だって最初はそうさ」


 女性は、あっさり言った。

 重みも、失望もない。事実をそのまま受け取る声だった。


 食後、外に出る。

 村の朝は、静かだが忙しい。畑に向かう人、家畜の世話をする人、井戸で水を汲む人。


 誰も彼女を見て、特別な反応をしない。

 視線が合えば軽く会釈する。それだけだ。


 村の中央で、昨日の青年――薪を運んでいた剣を持つ男がいた。

 リリアに気づき、足を止める。


「……泊まれたみたいだな」


「はい。お世話になりました」


「俺はレオン。この村の警備みたいなことをしてる」


 そう名乗ると、彼は少し照れたように視線を逸らした。

 騎士というほど堅くなく、村人というほど無防備でもない。中間の立ち位置。


「名前は?」


 その一言に、胸が一瞬だけ詰まる。


 名前はある。

 でも、それを口にしていいのか、わからなかった。


「……リリア、です」


 少し遅れて、答えた。


「そうか。リリア」


 レオンは、その名前をそのまま受け取った。

 聖女でも、肩書きでもない、ただの名前として。


「村長は、しばらくいていいって言ってた。何かあったら言ってくれ」


「ありがとうございます」


 そのやり取りの間、胸の奥に不思議な静けさがあった。

 評価されない。測られない。役に立つかどうかを、今すぐ決められない。


 それなのに、拒まれていない。


 午前中は、何もせずに過ごした。

 手伝いを申し出る勇気もなく、かといって部屋に籠もる気にもなれず、村の端をゆっくり歩いただけだ。


 畑の土は黒く、柔らかい。

 踏みしめるたび、足裏に確かな感触がある。


 昼頃、村の子どもが転んで膝を擦りむいた。

 血がにじみ、泣き声が上がる。


 リリアは、反射的に駆け寄りそうになり、立ち止まった。


(……いいの?)


 癒していいのか。

 もう、聖女ではないのに。


 迷っているうちに、母親が子どもを抱き上げ、布で傷を押さえた。


「大丈夫、大丈夫。あとで薬塗ろうね」


 それで済んでしまう。

 世界は、彼女が手を出さなくても回っている。


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。

 必要とされない痛み。でも同時に、責任から解放される安堵。


 夕方、村の外れに出た。

 風が吹き、草が揺れる。遠くの森がざわめく。


 リリアは、何気なく目を閉じた。

 祈るつもりはなかった。ただ、息を整えただけだ。


 その瞬間、空気が、すっと落ち着く。

 風がやみ、草の揺れが揃う。


 ――あれ?


 目を開ける。

 特別なことは何も起きていない。ただ、夕暮れが穏やかにそこにあるだけだ。


(……気のせい)


 何度目かわからない言葉で、自分を納得させる。


 夜、寝台に横になる。

 今日一日を思い返しても、何かを成した記憶はない。


 祈っていない。

 癒していない。

 世界を守ってもいない。


 それでも、朝は来て、夜は訪れた。


 リリアは、ゆっくりと目を閉じた。


 ――何もしなくても、生きていていい。


 その考えが、まだ怖くて、でも少しだけ、温かかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ