愛する人
アレリアは物陰に隠れて、鼓動を落ち着かせることに努めた。その間も自分を呼ぶ、ハルの声が静かな室内に響く。
「リア?いるんだろ?」
昔から親しんできた幼馴染の声。けれど今は何故か怖い。
室内に響く足音は二人、ひとりはハル、そしてすぐ近くにいるだろう暗殺者だ。まだ暗殺者は出て行ってはいない。
なのに、どうしてハルは気に留めないの…?
部屋は灯りもなく暗い、そこにいる人間は侍女の格好をしていても十分に怪しい。初めは怪しい人間だと気付いていないのだろうかと思った。けれど、自分の書斎に出入りする人間の身元を洗っていないなんてありえない。アレリアなら未だしも、彼は帝国全ての情報網と知識を管理していると言ってもいい、アーテルベルグの白騎士だ。
それに、ここに暗殺者が待ち構えているなんてどう考えてもおかしい
ここには急遽行先を変更して訪れた場所であり、いくら暗殺者でもそれを予測するのは難しい。この場所に誘導した相手に指示されたとしか思えないのだ。
「出ておいで」
無理に決まってる
アレリアは心の中で悪態をつきながら、どうにか脱出できないかと試行錯誤する。
「仕方ないな」
ふっと口笛を吹くような音がしたと思ったら、白い鳥を象った炎がハルの手に現れた。それが弾けるように部屋中に散らばり、一気に明るくなった。これはハルの魔法で、彼もまた優秀な魔法使いなのだ。
「…見つけた」
近寄ってくるハルに思わず後ずさりすると、予想していたように彼はにこりと笑って足を止めた。目があうと、口から言葉が漏れてしまう。
「どうして?」
「流石にバレるか。リアは馬鹿じゃないからね」
「…旅の途中でずっと私を狙ってたのはハルだったの?」
「そうだよ」
悪びれた様子もなく、当然のように言うハルに驚愕する。彼は自分にとって兄のような人で、頼れる幼馴染だ。そんな彼が自分を殺そうとしている。
「どうして?」
再び同じ言葉しか出てこないが、それしか言えない。何もかも意味がわからないのだから。
「僕はね、ミアを愛してるんだ」
「…は?」
答えになっていないハルの返答に困惑する。ハルがミアを大事に思っているのはずっと見ていたらわかる、それが恋情とは思わなかったが。なぜなら彼女にはすでに決められた相手がいて、例えミアが気持ちに応えてくれたとしても、ハル自身も先にあるとは思っていないだろう。
けど私を殺したい事と、ミアを愛している事に何の関係があるの?
ずっと眉間に力を入れているアレリアと違って、ハルはまるで昔話をするかのように落ち着いて話す。
「ねえ、リアが帝国を出る日に僕が言った事を覚えている?」
「え?」
“僕は生まれは選べなくても、生き方は自由であるべきだと思うんだよね”
「僕はミアには自由に生きて欲しい、せめて心だけでも」
ああ、あれは私に対する言葉じゃなくて、ミアを想って言ったんだ
「私を殺せば、ミアが自由になるの?なぜ?」
「うん、当然の疑問だ。何から説明すればいいのか、そうだな…ここは、帝国は女王に支配された国だろう?王国の君主と区別し、偉大さを知らしめるために帝国としたのに女王はおかしいと思わないか?正式に言えば女帝だろう?まあ、世界的に明確な名称の決まりはないが、帝国にとっては意味があるんだ」
アレリアは口を挟む事も出来ずに、ただ無言で耳を傾ける。
「帝国の女王は仮の君主であり、女帝は別にいるという意思表示としてね」
そんな事はありえないと思った。幼い頃からミアは女王でそれ以外に該当するような女性はいない。三大家門にもそんな有能な人間がいれば、アレリアだって知っているに決まっている。
「嘘…」
頭の中は様々な思考でぐちゃぐちゃだったが、必死で外に絞り出した声は一言だった。
「嘘ではないよ、アーテルベルグの騎士として誓おう。まあ、女帝本人はそれを知らないから。ねえ…リアは帝国に伝わる昔話は知ってるよね?幼い頃に絵本を読んであげたの覚えてるかな」
今度は何の話だろうと少し警戒する、ハルの話は唐突過ぎてまだ頭が追い付いていない。
「旅人と、動物の話…?」
「そう、女王と三大家門のお話。ヘルシェベルクは黒豹、アーテルベルグは鷹、ミルゼベルクは白狐を模している。それぞれ武力、知力、魔力と他にない強大な力を手に入れたが、別の物まで引き継がれた。黒豹は獣の身体を、鷹は全知の歴史を紡いだ記憶を、そして白狐は主を想う心を。一番割を食ったのは白狐で、主の全ての苦痛を肩代わりする役目を担った。旅人は主人になる事を望まずにずっと帰りたがっていたからね、この国に留まってもらう為にあらゆる事を尽くしたんだ」
それは絵本には出てこない話だった。けれどそれが女王と三大家門を模しているなら、その先にあるのは何なのだろう?
「だからミルゼベルクは主に寄りそい、いつでも側にいる。この国を存続していくためには、どうしても主が必要だから。ねえ、リア」
自分の名前を呼ぶハルの声が場にそぐわない程、優しく感じた。
「この国で一番負担を強いられている人間は誰だと思う?」
「え?」
それぞれの家門から官僚も加わって多くの人間で国はまわっている、けれどこの国を動かしている中枢は間違いなく三大家門のトップ貴族だ。そしてその中でも色騎士たちはかなりの権限をもらっている。強大な権力があるという事は、それなりの責任も共に背負うという事だ。そういう意味では一番権力の上にいる人物に比例する。
「女王…?」
ハルは何も言わない。つまりそれは肯定なのだと思った。
「ミルゼベルクの白狐は主の苦痛や負担を全て肩代わりする為に、偽物の女王となった。では国に必要とされる、何も知らない本物の女帝は誰だと思う?」
そんな事があるのだろうか?今まで信じてきたものが崩れ落ちそうであり、何が嘘で何が真実なのかわからなくなりそうだ。
ハルはミアがミルゼベルクだと言っているように聞こえる。たしかにミアは帝国屈指の魔法の使い手で、魔力という名を冠するミルゼベルクの家門の血筋としてはアレリアよりよほど相応しい。
けれどなぜそんな事が起こるのか。それにどんな意味が含まれているのか。私がいなくなる事で何が変わるのか。何よりハルは何を知っているのか、疑問ばかりが増えていく。
ハルが静かに聞いていた暗殺者から刃物を受け取る。それをアレリアに向けながら淡々と話す。
「僕はリアも帝国の被害者だとは思っている、けれどこの呪われた血の歴史はいつか終わらせないと。君の血はまた悲劇を生む」
…血?
そういえば、ミアがミルゼベルクなら私の血筋は…?それは考えても正解はわからないが、ひとつわかった事は自分は帝国にとって、もしくはハルにとって忌むべき存在で、そしてハルの行動がミアを救う事に繋がるのだろう事。
ふいに上を向くと、ハルと目が合った。何も感じないような、いや感じないように堪えているような表情だった。ミアと同じくハルとも幼い頃からの長い付き合いで、隠し切れない感情は少し読み取れる。彼もまた、どこか非情になり切れない気持ちがあるのが、今のアレリアには辛かった。
けれどジークとの出来事で、人には優先順位があるのだと知っている。大切なものを守るために、誰もに間違っていると言われても人は最善を選ばず、次善の策をとったりする。
そんな不器用な感情に振り回されている年上の幼馴染を、アレリアは初めて見た気がした。




