疑惑
目が覚めると目元が涙で濡れていた。
帝国はアレリアが育ってきた場所であり、移ろいやすい思春期の感情も儚い出会いや別れの全てが詰まっている場所だ。
帰って来るまで、師匠が夢に出る事なんてなかったのに…
夢はいつだって自分の一番感情豊かな時代を映し出す。嬉しい事も悲しい事も、あるがままそこに留まっている。けれど人は今この瞬間も有限の時間の中を生きている、留まってなんかいられない。
やっぱり帝国にいたらダメだ
ジークはもう追跡不可能な場所まで逃げただろうか?何より彼は自分と違って周到なので、捕まるようなへまはしないだろう。アレリアはひっそりと脱出計画を練る事にした。再び戻されないように、確実に行方をくらます事が重要だ。
事前にハルに言ってたから見張られてたんだよね?多分、最初から…
そこでまた疑問に思う事が出てくる。ハルは連れ戻すつもりだったのなら、どうして最初は見逃してくれたんだろうか。束の間の自由をくれるためのハルの優しさだった?何となく腑に落ちない気がして首を傾げる。彼は確かに優しいが、合理的な面がある。つまり、無駄な事はいくら身内にでもしないのだ。
ハルにとって私を逃がす事に意味があった…?
ふとそんな事を思っていると、扉を叩く音がした。思考を中断して、誰かの気配に警戒する。
「僕だよ」
「…ハル?どうしたの?」
現れたのは今まさに考えていた人物で、アレリアは少し動揺しながらもいつも通り振舞った。ハルは沢山の書類を抱えていて大変そうだ。
「僕の仕事を手伝ってくれるんじゃなかった?」
ああ、と思い出して頷くと、それを了承ととったのかハルは書類を近くの机の上に置いた。ちらりと見ると、以前していたアレリアの仕事と似たような書類が多く、あえて気を配ってくれたんだなと感じた。こういう配慮は流石ハルだと思う。
「確認が殆どだからそんなに難しいものじゃないと思う。ただ、期日が迫っているから出来た分だけでも先に提出してくれたら嬉しい」
「わかった、急ぎだね」
ハルは本当に忙しそうで、会話も少なめに出て行った。アレリアは山積みになった書類に少しだけ懐かしさを感じながら、さっそく仕事に取り掛かった。
しばらくして、今度は叩く音もなく扉が開いて訪問者が入ってきた。
「リア!」
「ジル?今日は遊べないよ?」
手元の仕事を見ながら、ジルは無言で頷いてアレリアの近くに座った。そしてなぜかずっとガン見されている。非常に仕事に集中しにくい。
「ねえ、そんな見ててもつまらないでしょ?私は仕事してるだけだし」
「リアを見てるだけで楽しいよ」
ええ…?
どうしても進まずにアレリアは持っていたペンを置いてジルの方に顔をむける。それに気づいたジルが、主人の反応を待つ犬のように目を輝かせてこちらを見た。
「ジルはどうして私の事が好きなの?」
とても自意識過剰な台詞すぎて、口に出してから恥ずかしくなった。けれどずっと疑問だったのだ、出会ってからジルは戦場に赴いていた時期が長く、付き合いは長いがそこまでお互いの事を何でも知っているというわけではないのに。ミアと同様に彼が自分に向けている感情は、行き過ぎていると感じる事が多々あった。
「どうして…?」
意味がわからないというようにジルが首を傾げるので、アレリアは言葉の方向性を変えた。
「ジルは私に婚約者が出来て結婚するって決まった時も何も言わなかったのに、国を出たら脱兎の勢いでついてきたでしょ?」
「それは当たり前。リアが帝国にいなかったら会えないじゃないか。結婚は家門同士の決め事だし仕方ないけど、リアと会えなくなるわけじゃない」
うーん?それは恋愛感情ではないよね?
アレリアもジルには恋愛感情はない。お互い仲のいい姉弟のようだと思っているのは間違ってはいないようだ。ただ、ジルは弟扱いがあまり好きではない気もするが。
「何て言うか、リアが側にいてくれるならどんな関係でもいいんだ。もちろん俺を好きでいてくれたら嬉しいけど、リアが誰と結婚しても騎士でなくなってもそれは変わらない。けれど会えなくなるくらいなら、俺もリアについて行く」
「でも、ジルにだっていつか結婚したい女の子出来るかもしれないじゃない?その子と離れ離れになるのは、嫌でしょ?」
「関係ない、リア以上に大切な人間はきっと出来ない」
なんだろう?何故かミアにもジルにも自分には理解できない感情がある気がする。私がおかしいのかな?
「リアは俺を捨てるの?」
「えっ!?そんな、捨てるとか捨てないとかないよ。ジルは私のものじゃないでしょう?」
「…父も先代の白騎士と青騎士が亡くなった時、見たこともないくらい憔悴してたらしい。まるで自分の半身がいなくなったかのように」
私の母の事?
「俺はリアを見てると、騎士達はそんな絆があるのかもしれないと思った。でもハルを見たら苛つくからそうでもないのかな」
「ミアは?」
「リアの次くらいには好き、最後がハル」
嫌いなのにハルも入るんだ…
「だからずっと一緒にいよう」
少しだけ微笑んだジルに曖昧な返事をしながら、なぜかそれがミアに重なって不思議な気持ちになった。
その後ジルは鍛錬の時間になり、名残惜しそうに部屋を後にした。仕事もひと段落して、出来た書類だけでも先に届ける事にした。
えっと、管理部署に持っていけばいいんだよね?
部屋から出て重い書類を持ってよろよろと歩いていくと、同じく少し疲れている様子のハルに会った。
「ご苦労様、ああ、その書類は僕の書斎の机に置いていてくれたらいいよ。後は僕が各部署に届けるから」
「そう?わかった」
誰も居ないらしい静かな書斎の部屋に入り、持っていた書類をどんっと置いた。一呼吸して戻ろうと振り向くと、いきなり何かが耳を掠った。
え…?
わけがわからず手で耳を押さえるとぬるりとしたものを感じ、確認すると血が滲んでいた。飛んできた何かは刃物だと気付いた。
「何?」
よく見ると、扉の陰に誰かがいる。こちらが構える間もなく、それはいきなり刃物を手に襲い掛かってきた。
「わっ…!」
思わず近くの花瓶らしきものでそれを防ぎ、間近に迫った相手を確認する。背丈は同じくらいで侍女の格好をしている。けれどいきなり襲い掛かって来たのをみても、これは変装なのだろう。
もしかして、暗殺者…!?
自分が狙われているのを忘れてはいなかったが、まさか帝国の城内でこんな事になるとは思わなかった。今まで不審者が忍び込む事が全くなかったわけではないが、それは女王や主要な官僚を狙った者でアレリアではなかった。しかも騎士であるアレリアは主に守られるより、守る役目を担っている。
不意打ちの一撃を防いだら、生存率は格段にあがる。瞬時にアレリアはまず花瓶を投げて灯りを消した。視界を奪えば隠れるにも逃げるのにも有利になる、何より時間が稼げる。自分が他者より秀でているという奢りは持っていないからこそ、いつでも全力で動く様に鍛えた身体は覚えていた。
出来るだけ息を殺し物陰に隠れる。部屋の外から洩れる灯りで逆光になった暗殺者の影は捕らえていた。
どうしたらいい…?武器はもっていないし、出口は暗殺者側だ
様々な考えを張り巡らせていると、足音が近づいてきて扉が開いたのがわかった。
「…リア?」
声はこの部屋の主で、アレリアは一瞬ほっとして力を抜いた後、ここは危険だと伝えようとした。
「ハ…」
ハルの名前を呼ぼうとして、ぴたりと口を閉じる。そして嫌な予感に身を震わせた。




