第十五章 -Summer time blues- 予感
バルハイド族は、こういった非常時には闘技場に避難する決まりになっているという事で、とにかく一度外に出ようという話になった。
「ああああああああ、終わりだ~、この世の終わりだ~」
「土龍様の怒りじゃ! 土龍様の怒りじゃ!」
「これはロドンゴ山が火を噴く前触れに違いない! 南の大陸が沈むぞ!」
「えーん、えーん、ママぁ……」
「祟りじゃ! 天狗の仕業じゃ!」
外は既に上へ下への大騒ぎになっていた……。
まるで、世界の終焉でも迎えたかの様な混乱っぷりだ。
(向こうでも海外じゃ、ちょっと揺れただけでもパニックになるって話だし……。って言うか天狗は関係無いだろ……)
未だ微震が続いてるとは言え、日本人の感覚からしたら『揺れてるな』程度で、普段通り日常を送ってるレベルである。
もっともそれが原因で対応が遅れる事も多い近年、そんな慣れが必ずしも良い事とは言えない訳だが。
そして現在の僕はと言えば……。
とりあえず、理不尽な修羅場にだけはならずに済んだ。
単純にスズもセツカも怯えていて、それどころではなかったからだ。
その代わりと言ってはなんだが……。
右腕に抱き着いた涙目のスズ。
左手をしっかりと繋いだティアレ。
そして背中に張り付いたセツカ。
という、引率の保育士さん顔負けの状態で遠い目をしていた。
美少女3人に囲まれるのは素直に嬉しかったけど、とにかく歩き難い事この上ない。
スズとセツカがひたすらビビりまくっていて、数歩進むだけも一苦労だった。
「あ、あの……、イッチーさん」
現在僕が置かれている状況とは別の理由で、ティアレが何やら言いたげな様子で僕を見る。
「うん……、奇遇だね……。多分僕も、今ティアレと全く同じ事を考えてたよ」
そう、この一連の流れ……。
僕とティアレだけは、これととても良く似たシチュエーションを、割と最近経験しているのだった。
「……やっぱり、そういう事……なんですかね?」
「多分そうだと思うよ。……タイミングがタイミングだし……」
僕とティアレの会話に首を傾げるも、口を挟むだけの余裕は無いのか、黙ったまま相変わらずプルプルと震えているスズとセツカ。
そんな2人を引きずる様にして、僕ら4人は避難場所である闘技場へと向かうのだった。
闘技場には既に、昨日の3倍近い人数が集まっていた。
セツカの話では、昨夜集まっていたのは戦士だけだったという事だから、恐らく今ここに集まっているのがバルハイド族全体という事なんだろう。
それ以外の街の人達は別の避難所があるらしいので、そっちはもっと大変な騒ぎになっているのかもしれない。
闘技場の中央では、忙しなくあれこれと指示を飛ばしているフューレンさんとウルハさんの姿が見えた。
人並みを掻き分けて、とにかく2人の元へと向かう。
「すいません、フューレンさん! ウルハさん!」
「おお、イッチー殿にティアレ殿。皆も無事であったか」
「ごめんなさいねぇ。私達は、すぐにここに来なければいけなくて……」
僕と別れた直後の事だったので、ウルハさんはその事を気にしてる様子だった。
「いえ、それは気にしないで下さい。お二人は立場もあるでしょうから。それよりも落ち着いたらでいいんですが、お二人にお話したい事があって……」
「話したい事?」
「はい。……えーっと、今起こってる事、についてなんですけど……」
詳しい事は後で話すとしても、どう説明したものか悩む。
「? もしかして……、この地揺れですかぁ? イッチー様、何か心当たりでもおありなんですかぁ?」
「あ~……、えーっと、心当たり、と言うか……、多分原因が僕、と言うか……」
「……何か事情がある様だな……。ウルハ」
「はい、すぐにお部屋をご用意しますねぇ。皆さんはこちらにどうぞ」
「ワシも引き継いだらすぐに向かう」
そしてその場にフューレンさんだけを残し、僕ら4人はウルハさんに案内され、闘技場の控え室らしき一室へと通された。
「主人が来るまで、お茶でもご用意しましょうかねぇ。皆さん何になさいますかぁ?」
寝起きでそのままだったので、素直にコーヒーをお願いする。
皆もいつも通り、スズがコーヒーで、ティアレとセツカがアーヴ茶という具合だった。
ちなみに皆、砂糖もミルクもしっかりと入れる派だ。
濃い目のコーヒーでようやく少し頭がスッキリして来た所で、フューレンさんが慌ただしく部屋に入って来た。
「すまん、思ったよりも手間取った。ウルハ、ワシにもコーヒーを頼む」
それだけ言って同じテーブルに着くと、ようやく一心地付けたのか、一つだけ溜息をついた。
全員が席に着き、フューレンさんが一口コーヒーを啜ったところで話を切り出した。
「あの……、先に一つだけ確認しておきたいんですけど」
「ん? もちろんワシらに分かる事なら何でも聞いてくれ。こっちは見ての通り藁にも縋りたい状態だからな」
こちらから話を持ち掛けたにも関わらず、フューレンさんは軽く肩を竦めただけで、そう答えてくれた。
隣のウルハさんも笑顔で頷いている。
「ありがとうございます。えーっと、この南の大陸ロドンゴにも、やっぱり守護している神龍様? 『ロドンゴ様』っていうのがいるんでしょうか?」
「……うむ、それはもちろんおられる。言い伝えでは、ここより南西に二日程馬を走らせた、ロドンゴ山の麓に眠ると言われておる。しかしそれが何か関係があるのか?」
(なるほど……、恐らくこれで十中八九、事態は僕の想像通りという事になる……。良いか悪いかは別として、だけど……)
「本当に関係があるのかどうかは、確認してみないと何とも言えないんですけど……、多分、僕が呼ばれているんじゃないか、と……」
「……呼ばれている? それは一体どういう――」
「いや、それは本当に確認してみないと分からないんです」
「でも、確認と仰っても、どうされるおつもりなんですかぁ?」
ウルハさんが少しだけ心配そうに、当然の疑問を口にした。
一度だけティアレの顔を見て、2人で頷き合う。
「はい。これから僕とティアレで、ロドンゴ山に向かおうかと思います」
「なっ!? ま、まさか、ロドンゴ様に立ち向かおうと言うのかっ!?」
(いや、立ち向かわないですけどね……)
「立ち向かうの意味がどうかとは思いますけど、会いに行く、という意味ではそうです」
「あ、会いに行くって、そんな気軽に仰いますけどぉ……」
僕とティアレの体験が異常だっただけで、慌てふためく皆のリアクションの方が普通なのかもしれない。
「えーっと……、詳しい事情は戻ってから話しますけど、多分そんな大袈裟な話ではないと思うので……」
「……、……そうか……、しかし二人だけ、というのは……。必要なら、バルハイドの精鋭達を一緒に向かわせるが?」
「あー! いやいや、そういうのはいいのでっ! 本当にっ!」
神龍と一戦交えようという訳でもあるまいし、そんな事をしたら収拾がつかなくなってしまう。
第一あれが人の手に負えるものとは到底思えない。
バルハイド族の精鋭達がどれ程の強さなのかは分からないけど、そもそも剣や魔法でどうこう出来る相手なのかどうかも怪しいところだ。
それぐらい僕らが対峙した相手は異質だった。
それこそ神に喧嘩を売る様なものなのかもしれない。
「……そ、それなら、スズが一緒に行くニャ!」
「ちょ! 姫様!?」
それまで黙って成り行きを見守っていた、スズとセツカが突然声を上げた。
「……スズ、自分が言っている事の意味が、分かっているのかしらぁ?」
決して怒っていると訳でもなく、語り聞かせる様にしてウルハさんが尋ねる。
フューレンさんはそんな2人の様子を、腕を組んだまま黙って見つめていた。
「わ、分かってるのニャ! スズはイッチーと一緒に旅をするって決めたのニャ! イッチーが行くならスズも行くのニャ!」
「……姫様が行くと言うのであれば、手前はただ付き従うのみでござる……」
正直に言えば、道中の事も考えると、2人が一緒に来てくれるなら、これ程頼もしい事はなかった。
それに僕にはもう一つ考えもあった。
誰も口を開かないまま、暫く沈黙の時間が流れる。
その沈黙を破ったのはフューレンさんだった。
「……イッチー殿……」
「はい」
「娘を……、スズをお願いしてもよろしいですかな? もちろん足でまといになる様なら、捨て置かれて構いませぬ。ただ同行を許可してもらえれば有難い」
そのフューレンさんの言葉に一番驚いていたのは、スズ自身だった様に思える。
ウルハさんはどちらかと言えば、最初からそれを予想していた様に、ただニコニコと微笑んでいた。
「はい。僕に『守ります』と言う事は出来ませんけど、一緒に来てもらえるなら心強いです」
「その答えで充分……。それでいいか、スズ?」
「あ、ありがとうなのニャ! 父様!」
椅子を跳ね飛ばして立ち上がったスズが、そのまま飛び上がる様にしてフューレンさんに抱き着く。
半泣きのスズだけは別として、フューレンさん、ウルハさん、セツカ、皆とても優しい表情でそんなスズの様子を見守っていた。
僕はもう一度だけティアレと顔を見合わせ、力強く頷くのだった。
未だ続く微震に、室内には時折キシキシという石の軋む音だけが鳴っていた。





