第十一章 -In the shadow- 白猫亭
――西の大陸の玄関口と呼ばれる、大陸最大の港街『ノーベンレーン』
大陸内で唯一、中央大陸、南の大陸とも航路を持つこの街は、常に交易で賑わうラントルムとはまた違って意味で、人の行き来が絶えない活気溢れる街だった。
そんなノーベンレーンに、今僅かな影が差し込んでいた。
具体的に何が、と指摘する事は難しい。
それは街のあちこちで談笑する人々のふとした表情だったり、それは毎朝捕れたての魚を扱う商人の掛け声だったり、それは漁に出る前に子供の頭を撫でる父親の顔だったり、それら一つ一つはほんの些細な違和感でしかなかった。
だがその小さなトゲは確実に人々の心に刺さり、口では説明の出来ない陰りを生じさせているのだった。
『こんにちは~』
「おっ、もしかして2人がイッチーとティアレかい?」
「あれ? まだ紹介状出してないのに、どうして分かったんですか?」
「トーガの奴から連絡は受けてるよ。ようこそ『白猫亭』へ」
――大陸で最も内外からの人が集中するこの街で、長い間街一番の宿屋として名高い『白猫亭』。
ラントルムの『黒猫亭』、ノーベンレーンの『白猫亭』、そして中央大陸ルベルスに居を構える『三毛猫亭』。
この3店舗は系列店、もしくは姉妹店『旅宿猫亭』として、南部大陸を旅する人々の間では『いつか泊まりたい宿屋ランキング』で常に上位3位を独占する、非常に人気の高い宿屋だ。
「お世話になります」
「ああ、ちゃーんと部屋は空けてあるからな。俺は3兄弟の真ん中、トーガの兄貴で『フロッソ』だ。よろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
僕、ティアレの順で、右手を出してきたフロッソと挨拶の握手を交わす。
「カミさんは今厨房の方だから、そっちの挨拶は後回しにしよう」
「そうですか。分かりました」
(厨房? トーガの奥さんも料理人だったし、猫亭夫人は料理人という決まりでもあるんだろうか?)
「ところでその部屋なんですけど……、僕ら別に一番良い部屋じゃなくても、普通の部屋でも充分と言うか、今はちゃんとお金もありますから――」
「それは聞けない相談だな」
前回黒猫亭では、あまりに豪華な部屋に気後れしてた部分もあったので、出来れば普通の部屋に変えて欲しかったのだが、フロッソから返って来たのはそんな交渉の余地も無い言葉だった。
「いや、これは兄ちゃん達の都合って言うより、こっち側の都合だな」
「こっちの都合?」
「ああ。俺達3兄弟の中じゃ一番競争心の高いあのトーガが、猫亭の名に恥じない最高のもてなしを、と言ってきた」
「トーガさんが……」
ラントルムの事を思い出したのか、ティアレがややしんみりした声で呟いた。
「それはつまり俺達3人の争いよりも、2人の客人の扱いの方が優先されるって事だ。そんな相手に対して、2番目3番目の部屋を提供するなんてのは、猫亭の名折れ。2流のやる事だ。そんな訳だから、これはうちの為でもあると思って、遠慮せずに寛いでくれたらいい」
「すいません。本当にありがとうございます」
「ありがとうございます」
2人でお礼を言って頭を下げると、「よしてくれよ」なんて言いながら豪快に笑っている。
こういう所は一目で確かに兄弟だと分かるぐらい、トーガととても良く似ていた。
「それに」
「……それに?」
「今晩はうちでもやってくれるんだろ?」
そう言ってギターを弾く真似をした後、誰かさんと寸分違わぬ『ニカッ』とした笑顔と共に、グッと親指を立ててくるのだった。
「イッチーさん、ここも凄い眺めですよ!」
「……ホントだ。黒猫亭の眺めも凄かったけど、ここは海に囲まれてるからね」
半島に位置するこの街は周りを海に囲まれ、ここ白猫亭の最上階からの景色はまさに絶景といった感じだった。
気持ちよく晴れている事もあって潮風が気持ちいい。
本当ならまだ部屋に入れる時間ではないのだが、『どうせ部屋は空けてある』というフロッソからの提案で、こうして先に部屋に案内してもらった。
この部屋も、黒猫亭で使わせてもらった部屋に負けず劣らず綺麗に整えられていて、内装や調度品一つ一つに至るまで丁寧な気遣いが見て取れる。
(ベッドをどうするかでまた一悶着あったのは、もしかしたらトーガからの余計な入れ知恵でもあったのかもしれない……)
やや暖かめの色や内装で揃えられていた黒猫亭と比べると、やはり港街を意識的に前面に押し出す為なのか、涼しげで爽やかな物で纏まっている印象だ。
「今日はどうしますか? 今回はまだだいぶ時間も早いですし、ゆっくり街を見て回れそうですけど」
「そうだね。漁港の方も随分賑わってたし、やっぱり海産物が豊富なのかな。色々美味しい物も多そうだけど」
僕らの船が着いたのは旅船用の港の方だったけど、そこから見えた漁港は早朝という事もあってか、威勢のいい声が飛び交い随分と賑わっていた。
「ふふっ、イッチーさんはやっぱり食べ物なんですね」
「あ……、まぁ、それはやっぱり、ね?」
やっぱり日本人の性なのか、新鮮な魚貝類と聞くと、どうしてもそれだけでテンションが上がってしまう。
「えっと……、それはそうと、ティアレ先にシャワー浴びてきちゃえば? ずっと海の上だったし、サッパリしたいんじゃない?」
これ以上の食いしん坊キャラ設定は避けたいので、早々に話題を逸らす。
「……また私が先でいいんですか? 前回も――」
「いやいや、それは気にしなくていいって。僕が使いたければそう言うから、気にせず先にどうぞ」
こういう時は多少強引にでも納得させないと、ティアレはとことん遠慮するのだ。
「……はい。それじゃあお言葉に甘えちゃいますね」
「うん、ごゆっくり」
すぐに浴室から聞こえてきたご機嫌な鼻歌は、今日もまた『空色の弾丸』。
どうやら随分とお気に入りになったみたいだった。
「お、なんだ兄ちゃん達もう出掛けるのかい?」
「はい、せっかく初めての街なんで、ゆっくり見て回りたいと思って」
「そうか。それなら中央市場の方に行ってみるといい。食べるにしても買い物するにしても、大抵の物はあそこで揃うぜ」
「中央市場ですか、ありがとうございます。行ってみます」
「あ~、それとな……。……いや、何でもない。気をつけてな」
『……? はい、行ってきます』
ティアレと揃って白猫亭の扉を出る。
(なんだろう? 今朝この街に着いてから、ずっとどこか引っ掛かっている違和感に似た何かを感じる)
でもそれもほんの一瞬の事で、気のせいだと言われてしまえば、それで納得してしまえる程のとても小さな違和感だった。
「ティアレ、どう思う?」
「どう思うって? あ……、イッチーさんも何か感じますか?」
「……うん。何て言うんだろう。具体的に何がって言われると困るんだけど……」
「はい……。どこか皆さん元気が無いと言うか……、上の空と言うか……」
そう、ティアレの言う通りだった。
普段のこの街を知っている訳ではないので、それこそ気のせいなのかもしれなかったが、何か他に気掛かりな事でもあるのか、心ここにあらずといった空気を感じるのだった。
「それに……」
言いかけたティアレの目線の先を僕も追う。
「何だか衛兵さんが多くないですか?」
「……うん。確かにそうかもしれないね」
僕がこの世界で比較出来るのはラントルムぐらいだけど、それにしても今朝から街ですれ違う兵士の数がやけに多い。
通りには他にも大勢の人が行き交ってるので、これぐらい普通だと言われてしまえばそれまでだったが、それにしてはその兵士達が妙にピリピリしてると言うか、街行く人達を見るその目付きも険しく思える。
「何か事件でもあったんでしょうか?」
「う~ん……。それならそれで、もっと大きな騒ぎになっていてもおかしくない気もするけど……」
「そう……ですね」
「それに僕達があれこれ考えても、どうなるものでもないんじゃないかな」
「……それもそうですね……」
そうは言ってもどこかスッキリとしないのは、僕もティアレと同じだったが、仮に本当に何か大きな事件や事故があったのだとしても、どうする事も出来ないのは本当だった。
そしてその小さな違和感の正体は、それからそう時間を空けずに、意図せず僕ら2人の耳へと届けられる事となる。





