二人、早朝
Epilogue~Eros and Agape~
パジャマ代わりのジャージとTシャツの上にパーカーを羽織った深香は、
洋一と並んで歩いた。
無言の早朝の散歩は、ここ一週間の沈黙もあいまって、
今までからは考えられないくらい、居心地の悪いものだった。
「……あー、あのな、深香。お前に、言いたいことがあって、だな」
「もう、知ってるんだろうけど。アメリカに、今日の昼、行くわ」
歯切れ悪く、口火を切ったのは洋一だった。
「うん。知ってる」
深香も、それに同じように歯切れ悪く返した。
違う。本当はこんなことが言いたいんじゃないのに。
「なんで、教えてくれなかったの」
声は、少し震えた。深香は初めて自分の気持ちを認める気になった。
洋一おじさんがいなくなることが信じられなくて、さびしくて、
なのにそれを黙っていたおじさんによそよそしさを感じて、
そんなおじさんにいらいらして。
それでも深香はおじさんとこのままさよならするのがいやだった。
「…言い出しにくかったから」
「それだけ?」
深香は、思わず声を大きくした。
たったそれだけのために、自分は――
「悪かった」
洋一の謝罪の声は真摯だった。
「合鍵渡したすぐ後にな、アメリカに行くことになってな」
「仕事の引き継ぎやらなんやらで、家に帰るのは遅くなるし、休日も仕事入るし」
「……俺、淡泊なんだよ、多分。だから、兄貴にはメールで済ませた」
「………だけど、深香には直接言いたかったんだよ」
「なのに、会えねえし。そうこうしてるうちに、深香は俺以外のとこから知っちまうし」
「…俺の勝手なんだよ、教えなかったのは」
「教えなくて、悪かった」
「いいよ」
深香の心は、さっきまでが嘘のように凪いでいた。
洋一は、深香のことがどうでもよかったわけじゃない。
教えなくてもいいと思ったから教えなかったわけじゃなくて、むしろその逆だった。
それが分かっただけで、もう十分だった。
だから、今度は深香が言う番だ。
「あのさ、洋一おじさん」
「うん」
殊勝な顔をしてうなずく洋一がどこか可笑しい。
「あたし、別に怒ってないよ。今は」
「……黙ってアメリカに行かれるのかと思ったときは、怒ったけど」
「悪かった」
「うん。あのね、だから、……今度。日本に戻ってくるときは、ちゃんと教えてね」
「それで、また、合鍵ちょうだい」
「ああ。教える。一番最初に教える。鍵も、深香にしか渡さねえ」
「帰ってきたら、また家事するよ」
「洋一おじさん、ほんとに家事できないもんね。あ、しないだけなのか」
わずかに、笑みを浮かべた深香に、洋一はしかし顔をしかめた。
「あのな。俺も、深香に頼みがある」
「何?」
「洋一『おじさん』って呼ぶのは、やめろ」
「……俺は、深香のこと、そういう意味で好きだ。だから、やめてくれ」
二人の間の空気が、止まった。
「……見送り、今、ここまででいいよね」
深香はうつむいて、言った。
ジャージのポケットに手をつっこみ、
握りしめた手の中のものを洋一におしつける。
「これ、あたしが合鍵につけてたキーホルダー。お守りに、して」
「それで、帰ってきたら、このキーホルダーつけて、鍵、あたしにちょうだい」
「…………じゃあ、またね、…………洋一さん」
それだけ言って、深香は走り去った。
最後の言葉に、茫然とした洋一は、深香を棒立ちで見送った後、手を開いた。
キーホルダーは、ピンク色のハートだった。
不意に、笑えてきた洋一は、朝日の中、ホテルに帰ることにした。
全ては、帰ってきた後、だ。
にやり、と洋一は、人が悪そうな顔で笑った。
登録してみたので、昔書いたものを投稿したのですが、
細切れになってしまい、一話にまとめたほうがよかったのだろうかと思い始めました。
もし、ここまで読んでくださった人がいたのなら、
心からのお礼を申し上げます。
ありがとうございました。




