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二話一節『酒は急げ、わたくしは命の恩人です』

「ここが、ファルアの町です」


 アリアが案内されたのは、山を下り、さらに一時間ほど歩いた先にある中規模の町だった。

 遠くの空では、既に日が傾き出している。


「ふうん」


 アリアは案内されるまま、町中を軽く見渡す。

 鉱山で発展した町なのだろう。町の背には大きな岩山が巨塔のように聳えている。山肌のあちこちに坑道の口が黒く開き、そこから細い煙が幾筋か立ち昇っていた。

 鉱山の麓の町なだけあって、酒場や宿屋の木の看板がそこかしこに目立つ。ジョッキの絵、樽の絵、ベッドの絵。字の読めない者にもわかるよう、どれも絵で描かれている。

 鉱夫と見られる男たちが、どの店からも溢れんばかりに賑わいを見せていた。煤で黒くなった顔のまま、肩を組んで歌う者。木箱を椅子代わりにする者。なかには、入りきれずに店先で勝手に飲んでいる者さえいる。


「出来上がってますねえ♡」


 アリアは後ろ手を組んで歩きながら、時折すれ違う鉱夫に、ひらひらと手を振って挨拶している。鉱夫の方も、聖女然とした美人に手を振られて満更でもないのか、赤い顔をさらに赤くしてジョッキを掲げ返した。

 ポンチョの裾がはためき、袖から細い腕が覗く。

 戦闘では異形を圧倒した彼女だが、ひらひらと振るその腕は、普通の女性と大差ないように見える。あの怪物を潰したのは腕力ではないのだと、ティアは改めて思い知った。


「ここで採掘した鉱石は、どこへ運ばれるのですか?」


 アリアは石畳の町並みを見渡しながら、ティアに訊ねた。

 見たところ、陸路で運ぶような街道はない。ここに来るまでも、荷馬車が通れるような道はなかった。にもかかわらず、この町は発展しており、通りにはガス灯まで立っている。

 アリアはそれを不思議に思った。


 ティアは、ハーフアップの薄赤髪が風で頬を撫でるのを避けるように、肩にかけた白いショールを羽織り直し、髪を内側に入れる。


「ふふふ、なんと機関車ですよ。ここには機関車が通っているんです! 凄いでしょう! 見たことあります?」


 ティアは人差し指を立て、胸を張って自慢気にそう答えた。

 だが、アリアは興味無さげに『へえ』と喉を鳴らすだけだ。

 機関車は、馬車とは比べものにならない力と運搬量を誇る、この世界の最新鋭の乗り物だ。普通ならば、誰もが目を輝かせる代物である。

 少なくとも、ティアが知る限り、驚かなかった人間は一人もいない。


「ふうん、ならそれで、街まで買い物に出かければ良かったではないですか」

「機関車の本数は決まってますし、お金も結構取るんですよ。気軽には乗れません」


 ティアは少しムッとして唇を尖らせたが、すぐに笑顔に戻ると、通りの奥、少し寂れた一角の店へとアリアを案内した。


「どうぞ、ここが実家です」


 案内されたのは、休業中の立て札が置かれた一軒の店。

 石造りの壁の、ありふれた建物だ。軒先には、他の店と同じくジョッキの絵が描かれた木の看板が下がっているが、塗料は褪せ、端が少し欠けている。


 ティアはポケットから鍵を取り出し、ガチャリとドアを開ける。

 中は薄暗く、ひんやりとしていた。入ってすぐにいくつかの木のテーブル、奥にはカウンターが見える。椅子はテーブルの上に逆さに載せられ、うっすらと埃を被っていた。

 ティアが壁のレバーを回すと、天井からチェーン付きのガス灯の器具が、ジャララと音を立てて下がってくる。


 ティアはカウンターからマッチを取り出し、シュッと擦って、下がってきたガス灯に火を点けた。

 ボウッと、柔らかな橙色の光が室内に広がる。

 ティアはちらりと、カウンター奥の階段を見上げた。二階は、しんと静かだ。


「大都市みたいに電気があると楽なんだけどなあ。あ、知ってます? 電気って。あれ最初、魔法かと思いました」

「知ってますよ。科学って言うんです」

「どこが違うのか、私にはさっぱりです。えへへっ」


 えへへと笑うティアに、アリアは気のない相槌を打つと、テーブルから椅子を一脚下ろし、無表情で腰掛ける。

 かと思えば、席に着いた途端、まるでスイッチが入ったかのように、その表情がガス灯のようにボウッと明るくなった。


「それよりも命の恩人への御奉仕はまだですか! もう喉がサケサケです」

「アリアさんって、意外と面白い人なんですね。サケサケって」

「文字通り、ぶっ飛ばしますよ」


 アリアが太もものポーチからバッヂを一枚取り出し、テーブルにコトリと置く。今度はふくれっ面。その表情は、まるで子犬のようにコロコロと変わる。

 ティアは、店を壊されたらたまらないと、慌ててカウンター裏の木箱からビール瓶を取り出し、テーブルまで運ぶ。


「ジョッキ! 栓抜き!」

「は、はい!」


 ティアが木のジョッキと栓抜きを置く。そのコンマ数秒後だ。


 シュポン――! ゴポポポポ!


 まるで早撃ちガンマンのような流れる動作で、アリアは栓を飛ばし、ビールを注ぐ。ジョッキを斜めに傾け、液体と泡を七対三。手つきだけは、妙に手慣れていた。もう目は、ビールしか見ていない。


「わははぁ……!!」


 アリアは、まるで子供のような声を漏らして、ジョッキに前のめりになる。

 琥珀色の液体の底から、細かな泡が絶え間なく立ち昇っていく。ガス灯の光がその中で揺れて、小さな金の粒のように煌めいた。


 ゴクリ。と、生唾を飲み込むと、しゅわわと音を立てる泡に鼻を近づける。

 スーッと、身を捩りながら大きく息を吸う。麦の香ばしさと、ほのかな苦味の匂い。すぐには飲まない。一連の行動は、まるで神聖な儀式だ。


「いただきまーす!」


 グビィ! ゴクゴクゴク!


 白い喉が、大きく上下する。


「ップハーーーー!! ぬるい!! けど許しましょう。ええ、ええ!」


 口の周りに泡の髭をつけたまま、アリアは満面の笑みでジョッキをテーブルに叩きつけた。

 そして、止まらない。あっという間に一本開けると、次を要求する。


「ほら、命の恩人が喉を乾かしていますよ! 酒を欲しています!」

「は、はい!」

「つまみはないんですか、使えないですね。わたくしは」

「命の恩人です」

「でしゅ!」


 もう出来上がっていた。


「わらわはサタンでしゅ!」


 シスターがサタンを名乗るとはこれ如何に。


 *


 かれこれ三十分程、アリアは浴びるようにビールを飲み続けた。

 今は、民族大移動のようにテーブルに並んだ空き瓶を押しのけ、空いた場所に突っ伏して寝ている。頬は林檎のように赤く、半開きの口からは、すうすうと寝息が漏れていた。黙っていれば、確かに聖女に見えなくもない。黙っていれば。


「たわしは、アリアしゃまでしゅう……ばりあー!」


 バリア、の声にティアがビクリと跳ねる。思わずカウンターの陰に身を隠したが、幸い、破壊の薄壁は出ていない。テーブルの上のバッヂは、静かなままだ。


「……危ないから抜いとこ」


 ティアはそう独り言ちると、テーブルの上の一枚と、アリアのポーチのバッヂを全て抜き取った。

 掌に載せると、ずしりと重い。縁がわずかに削れたものもある。ポーチの中身は、もう五枚程しか残っていなかった。


「暴発したら危険だし、後で返せばいいよね」


 ティアがカウンターへ引き返そうとした。その時だ。


「……a」

「え……?」


 アリアが何かを言った気がした。ティアの耳には聞きなれない響きだったが、なぜか人の名前のように思えた。根拠はない。ただ――


「……i」


 その響きを紡ぐ声が、ひどく悲しそうに聞こえたから、そう思っただけだ。

 振り向くと、アリアの閉じた睫毛の端が、ガス灯の光にほんの少し濡れて見えた。


「……風邪を引きますよ」


 ティアは自分のショールを外し、アリアの肩にそっとかけてあげた。


 *


「おばあちゃん、ただいま」


 ティアはカウンターの奥、二階への階段を上がり切る前に声をかけた。古い木の段が、一歩ごとにギシ、ギシと鳴る。

 手には、エリクシールの小瓶がある。


「おかえり、ティア」


 ティアの祖母は、ランプの灯り一つの部屋で、ベッドの横の大きな揺り椅子に腰掛け、本を読んでいた。

 白く厚い布の服に赤いエプロン、下は朱色のロングスカートという出で立ち。白い髪は上品に頭の上で巻いている。膝には、使い込まれた毛糸の膝掛けが掛けられていた。

 思ったよりも体調が良さそうだと、ティアは胸を撫で下ろす。


「寝てなくていいの?」

「今日は調子がいいのよ。それよりも、お客さんが来たの?」


 祖母は挨拶をしようと思ったのか、揺り椅子の肘掛けに手をついて起き上がろうとする。ティアは慌てて駆け寄り、それを止めた。


「それはいいから! 多分、明日にでもお父さん帰ってくるし、そしたらしばらく鉱山仕事は無いはずだから、お店はお父さんに任せよ?」

「ごめんなさいね。あなたも街から来てもらって」

「それはいいって。その街から、お薬のお酒も買ってきたから」


 ティアは揺り椅子の周りを見渡す。横のサイドテーブルに水瓶を見つけると、コップに水を注ぎ、教わった通りにエリクシールを一滴垂らす。

 透明な水に、緑色の雫がゆらりと溶けて、薄荷と蜂蜜の香りがふわりと立った。


「飲んで? シスターの人が、これで霊水になるって」

「ありがとう。ティア」


 祖母は本を脇に置き、両手でコップを包むようにして、エリクシール水を飲む。数秒後、その頬にほんのりと赤みが差すのがわかった。


「なんだか、若返った気がするわ。さすが、万病の霊酒ね」


 祖母はそう言って、ふふふと笑った。ティアは『アリアさんはインチキだって言っていたけど』と思ったが、それは黙っておくことにした。


「シスターの人もね、これで元気になるって」

「シスターのお墨付きなら、安心ね」


 ティアは祖母を心配させないように、無理に笑った。祖母は何も言わず、ただ優しく微笑み返し、泥で汚れたティアの服と、擦りむいた膝を静かに見つめるだけだった。


「おやすみ、おばあちゃん」


 ティアはそう言って、一階の奥へと消えていった。

 ランプの火が小さく揺れ、月明かりが、窓から祖母の揺り椅子を照らしていた。



 ─────────



 続く……

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― 新着の感想 ―
最弱の防御魔法を最強の攻撃手段に変えてしまうという、逆転の発想が面白かったです。 破天荒なアリアと真面目なティアの性格が好対照で、二人の掛け合いも楽しく、思わず笑ってしまいました。 また、霊酒や魔…
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