一話二節『本当の望みを言えーーーー!!』
「……!?」
少女は、涙で濡れた目を見開いて、謎の三つ編みの女性を見つめていた。
温和そうな垂れ目に、柔らかく弧を描く唇。白のポンチョの胸元には、くすんだ小さな金のバッヂ。その下には薄黄色のアームカバー、黒いタイツに白いロングブーツという出で立ち。
シスター風の服装ではある。だが、太ももには使い込まれた革のポーチが巻かれ、ポンチョのスリットからは動きやすさを優先したような脚が覗いている。祈りよりも、どこか野山を駆ける方が似合いそうな、アクティブな印象を受けた。
もしもシスターであるならば、教会には属さないもぐりのシスターだろう――少なくとも、少女にはそう見えた。
「……ナニモノダ」
「貴方に名乗る名はありません」
ソレの問いに、女性はキッパリと即答した。一切の恐れもなく。柔らかな微笑みを崩さず。
ソレの前には、未だ女性が作り出したバリア――半透明の薄緑色の障壁が存在している。
媒介となっているのは金色のバッヂ。それが空中で、チリチリと微かな音を立てながら高速回転し、縦方向に薄い障壁を張っている。
しかし、障壁を張り続けるごとに、バッヂの縁は鉛筆の芯のように少しずつ削れ、小さくなっていくのが見て取れた。削れた金の粉が、薄緑の粒子に混じってきらきらと散っていく。
「そこの貴女」
「……」
「貴女ですよ。薄赤髪」
「は、はいっ!」
少女は自分が呼ばれていたことに、たった今気づいた。
「ご注意ください。わたくしのバリアは脆いです。あ、自殺願望がおありなら、どうぞご自由に」
シスターは、助けておいて、その相手に対しさらりとそう言ってのけた。またしても、微笑みひとつ崩さずに。
本当に興味が無さそうに、自らの三つ編みの毛先を指にくるくると巻きつけ、呑気に弄っている。
少女は、その突然の忠告の意味がわからず、ただただシスターが張ったバリアの前で呆然と座り込んでいる。
「ガァァァッ!!」
シスターの態度、あるいは気の抜けた少女が気に入らなかったのか、ソレが鋭く先の尖った腕を振り上げ、バリア目掛けて勢いよく振り下ろした。
ビュオッ!! と、鞭でも振るっているかのような、物凄い風切り音が走った瞬間。
ガシィィィ!!
「ひゃぁぁっ!?」
ガラスに石をぶつけた時のような甲高い衝撃音が響き、薄緑色のバリアに、蜘蛛の巣のような派手な亀裂が走った。亀裂の隙間から、白い煙がシュウシュウと漏れ出す。
「ひ、ひぃぃぃ!」
少女は、膝の痛みも忘れて跳ね起きると、よろめきながらもシスターの後ろに回り込んだ。
紙袋は、しっかりと胸の前に抱えている。
そしてその直後。
「グゥオ!」
もう一発。
パリィィン!! と、バリアは粉々に砕け散った。
砕けた破片は、熱を帯びたままソレに跳ね返る。同時に、白い煙を纏った熱風が地を這うように広がり、範囲内の木の葉を一瞬にして灰に変えた。
だというのに、破片も熱風も、なぜかソレの側にだけ弾け、シスターと少女の足元には火の粉ひとつ届かない。焦げた匂いだけが、遅れて鼻先を掠めていく。
ぽとり、と。小指の爪ほどにまで削れたバッヂが、灰の上に落ちた。
「グッゥゥ!」
ソレが腕を引っ込めて、初めて痛そうな声を上げた。腕には、まだ薄緑色に光る破片がいくつも突き刺さり、じゅうじゅうと音を立てている。
瞬間、シスターの表情が、まるで自分の仕掛けた落とし穴に大人が落ちる瞬間を見た子供のような笑みに変わる。
ソレは今、シスターと間合いを取り、赤黒く焦げ、腐った生肉が焼けたような悪臭を放つ腕を、いくつかの目で眺めている。残りの目は、油断なくシスターを睨んだままだ。
「そこの貴女……あ、薄赤髪の方です」
シスターが、少女に整った横顔を向ける。
少女はシスターから二歩ほど下がった距離で、内股で震えながら立っている。擦りむいた膝から流れた血は、もう黒く固まりだした。
「は、はい……」
「なに逃げようとしているのですか?」
「は……?」
少女には意味がわからなかった。『助けてくれたのでは?』と言おうとしたが、笑顔でもわかるぐらいの殺気に、喉がひゅっと鳴って足が竦んだ。
思わず、霊酒が入った紙袋を抱く腕に力が入る。紙袋がグシャっと小さな音を立てた。
「え……あ……」
少女が戸惑っていると、シスターはコンマ一秒ほど少女をギロリと睨み、またすぐ笑顔に戻した。瞬きでもしていれば見逃していたほどの、ほんの一瞬だった。
どうやらこのシスターは、純粋な善人ではないようだと、少女はようやく理解した。
「助かりたいですか?」
シスターは笑顔で問いかける。その手の中には、新しいバッヂがある。指先で弄ぶように、くるりくるりと回している。それをどちらに投げるのか――その方向次第で、少女の命運は分かれる。
もし少女に向けば、彼女は一瞬で生焼けの死体になるだろう。あるいは、骨かもしれない。
「……ッ」
少女は呼吸を震わせながらも、必死でうなずく。なるべくシスターを怒らせないように、刺激しないように、小動物のように縮こまりながら。
「では、正直に答えてください。それはなんですか?」
シスターは、少女の持つ紙袋に目を向けた。
少女は一瞬その意図を考えたが、すぐに思考を中断させ、答えることにした。考えている時間すら、命取りになる気がした。
「霊酒……お酒です」
「ただ酒ゲットー!」
この状況で、シスターはそんな素っ頓狂なセリフを大真面目に、そして大喜びで叫んだ。先程の殺気は、どこへやら。
「やっぱり! それで? 種類は? 品名は?」
共通の趣味でも見つけたかのように、甘いトーンの声で、前のめりで、瞳をきらきらと輝かせながら詰め寄ってくる。
「エ、エリクシール……です」
「……っ! あのインチキ万病薬か……よりにもよって……」
シスターは舌打ちをすると、今度は露骨に肩を落とした。つまみはどうするだの、ストレートでいけるかだの、口の中でブツブツ言っている。まるでもう自分のものであるかのようだ。
「あ、あの……」
「なんですか? 礼なら一応そのお酒でいいですよ。それで手を打ちます」
「いいえ……これは祖母にあげるものなので……」
「……渡せないと?」
シスターの目が、急に険しくなった。まるで親の仇でも見るような目つきだ。
少女は足を震わせながらも、必死に取り繕う。
「こ、これ以外でしたら! お礼はなんでもしますから! お金でも、お手伝いでも!」
「どちらもいりませーん! お金はお酒に換わるだけ。なら最初からお酒で、現物前払いでください」
「で、でも……」
「助けてはもらいたい。けど、自分の目的も満たしたい。そんな都合のいい話があるとでも?」
「ひ、ひぃぃぃ!」
あまりの殺気に足を震わせ、一歩下がる少女を横目に、シスターはくるりと踵を返し、ソレと少女、双方から距離を取る。白いポンチョの裾が、ふわりと揺れた。
「あ、そこの百目。彼女はあなたに差し上げます。皮を剥ぐなり、乗っ取るなり、お好きなように」
「グゥルァ……?」
さしものソレ――百目も奇妙な声をあげる。百目にとって、現在の脅威はシスターただ一人。
しかし、当の本人は戦闘を放棄し、無防備に背を向けている。どうやら、本当に守る気は失せたらしい。
百目はいくつかの目でシスターを追いながらも、少女にじわりと近づく。落ち葉が、ソレの足の下でまた一枚、黒く萎れた。
「あ、あぁ……」
少女は百目と距離を取りながら、遠ざかるシスターの背中と迫る異形とを、キョロキョロと見比べる。
「た、た……」
ここで、シスターの足が止まった。
三つ編みを片手で撫で、空いた手でバッヂを握りしめる。
やがて、静かに振り向く。足元の葉を避けながら、音も立てず。
「たす……」
「助かりたければ、貴女の本当の願望を言いなさい! ここでそんな量産品と心中するのか、それとも! 生き延びて、祖母に孝行するのか! どちらですか!」
「あ、ああ……」
シスターの絶叫が森に木霊し、少女はその場にへたり込む。
「そんな酒が、今、貴女が命を捨ててまで本当に守りたいものですか! 祖母と、未来よりもですか!」
シスターの言葉が、少女の胸に刺さる。先程まで離すまいと抱きしめていた紙袋から、少しずつ力が抜けていく。
おばあちゃんに、元気になってほしい。
そのための霊酒だった。けれど、自分が死んでしまったら、誰がそれを届けるのか。誰が、おばあちゃんの手を握るのか。
「……ください」
少女の顔が涙でぐしゃぐしゃになり、紙袋が腕からすべり落ちる。
ボトン、という鈍い音。その上に小さな雫がひとつ垂れ、紙袋にじわりと吸い込まれた。
「助けてください!! お酒も何もいりません!! 死にたくない!! 助けてーーーー!!」
山彦が、今度は何度も、何度も返ってきた。
「……いいですよ」
その声は、空耳かと思うほど小さかった。しかし、どこまでも優しくて、まるで母親に抱かれるかのような声は、確かに少女に届いた。
「――ッ!」
ここで、シスターを目で追っていた百目が動く。獲物を取られまいと、首の触手が一斉に少女へ伸びる。
少女は恐怖から目を強く閉じる。だが――
「イッ!」「バリア」
刹那。
グシュゥゥゥゥ!!
シスターの投げたバッヂが、伸びた触手の丁度真下へと吸い込まれていく。
瞬間、薄緑色の薄壁が下から上へと突き上がるように展開し、百目の触手を全て焼き切った。断面から白い煙が噴き上がり、肉の焦げる嫌な臭いが広がる。
「ギシャァァァッ!」
百目は奇声をあげて、口が無くなった触手を引っ込める。切り落とされた先端は地面に落ちると、ビクビクと痙攣しながら周囲の木の葉を黒く毒々しく染め――かと思えば、次の瞬間には熱で灰になって崩れた。
「わたくしはアリア」
アリア――シスターはそう名乗った。名乗りながら、ポンチョの胸元のバッヂ――五枚の桜の花弁が広がる、小さく汚れた金のバッヂを握りしめる。
そのままゆっくりと歩みを進め、百目と少女の間に割って入る。
今度は、少女を背に庇うように。
「聞きましょう。貴女の名は?」
「……ティア……です」
アリアは、ティアと名乗った少女に微笑むと、落ちた紙袋に目配せする。
ティアはその意図を汲むと、紙袋を拾い上げ、泥を払って再び抱きしめた。
それを確認すると、アリアは再度、百目――ソレと向かい合った。
「百目さん、ご注意ください。わたくしのバリアは物理ですから脆いです。けど――」
アリアの表情は笑顔のままだ。しかし、声のトーンだけが、すとんと下がる。
「切れますし、熱いですし、割れると痛いですよ」
アリアは、満面の笑みでそう言った。
─────────
続く……




