第4話 研究費が必要だったので
「うーむ、困った」
机の上には、読み終えた本が積み上がっていた。最後の一冊を閉じ、俺は椅子の背にもたれる。魔術の退化について気になる記述は拾えたが、肝心なところで説明が途切れている。参考文献として挙げられた本は、屋敷に一冊もなかった。
続きが読みたい。できれば実験用の魔石や、薬品も欲しい。ところが、手元にあるのは姉から借りた本と、倉庫から見つけた紙の切れ端くらいだった。
前世なら商人を呼べば済んだ話だ。しかし、今の俺は七歳で、財布さえ持っていない。そのうえ、この家は金に困っている。先日も父さんが、鉱山の収入では冬の備えに足りないとこぼしていた。
そんな相手に本を買ってくれとは頼みづらい。子供らしく甘えてみるかとも考えたが、引き受けてもらえたら、それはそれで申し訳なかった。
「……そうか。研究費を増やせばいいのか」
自分で稼いだ分なら、少しくらい本に使っても文句はないだろう。俺は紙を引き寄せ、食卓や廊下で耳にした話を書き出した。
冷害で作物が育たないこと。魔石鉱山の採掘量が減っていること。詳しい帳簿までは知らないが、どちらも魔術で手を貸せそうだった。
まずは畑だ。鉱山は場所を調べるところから始めなければならないが、土を温める術式なら、今すぐにでも組める。
※ ※ ※
父さんに頼むと、屋敷から近い畑の一角を試しに使わせてもらえることになった。耕してはあるものの、水はけが悪く、作物の育ちもよくない場所らしい。持ち主の農夫は、俺が持参した板と石を見て、首を傾げていた。
「本当に、こんなところでいいんですかい?」
「はい。いつも、どの辺りに水がたまりますか?」
案内された場所にしゃがみ、土を握る。表面は乾いているのに、少し掘ると冷たい泥が出てきた。これでは根が傷む。温めるだけでなく、余分な水を逃がす必要がありそうだ。
俺は地面に区画を描き、うねの間から畑の外の排水溝へつながる、細い地下水路を組み上げた。土を押し固めて壁を作り、流れを補助する術式を刻む。水を引き込む方にも別の経路を設け、土が乾いたときだけ動くようにした。
最後に、地温を保つための石を埋めていく。周囲の魔力を少しずつ取り込む仕組みにしておけば、俺が毎日通う必要もない。
「ルミナ。それは、どこで覚えた?」
見届けに来ていた父さんが、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。手袋を外し、俺が触れた地面に手を当てている。その眉が、ゆっくりと寄った。
「土を温める術式と、水を動かす術式を組み合わせました。本を読んで、試してみたくなったので」
「……魔力がないと、言われたはずだが」
「使えるんです。鑑定器では、うまく測れなかったみたいで」
父さんは俺の顔を見てから、もう一度地面へ目を落とした。確かに温かい、と小さく呟く。もっと何か聞きたそうだったが、農夫が水路から流れ出した水を指さしたため、そちらへ向き直った。
少なくとも、動作に問題はない。俺は埋めた石の位置を農夫に伝え、しばらく様子を見てもらうことにした。
※ ※ ※
翌日は、兄のルイと魔石鉱山へ向かった。
父さんからは一人で行くなと念を押された。ルイも鉱山の仕事を覚える必要があるらしく、今回はその視察についていく形だ。入口で渡された頭当ては少し大きく、歩くたびに目元までずり落ちてきた。
「ルミナ、お前、魔術の勉強をしてるんじゃなかったのか? 鉱山なんか見て面白いのかよ」
「魔石がどこで採れるのか、気になって」
「足元を見ろよ。さっきから、石ばっかり眺めてるぞ」
兄に肩を引かれ、水たまりを避ける。眺めているのは石というより地層なのだが、説明は後でいい。坑道の壁には、細い魔石の筋が途切れ途切れに残っていた。
案内役の鉱夫によると、この筋を追って掘り進めてきたものの、最近は小さな欠片ばかりになっているという。確かに、掘っているのは表層へ枝分かれした部分だけのようだった。
魔石は、地下の魔力が集まる場所で育つ。この鉱山の筋も、下方へ続くにつれて太くなっていた。だが途中に硬い岩盤があり、そこから先は手をつけていないらしい。
俺は坑道脇の岩に手を当て、細く絞った魔力を通した。返ってくる反応をたどると、足元の少し奥で、魔力が濃く集まっている。
「ここを掘ってもらえませんか?」
指さした先を見て、鉱夫は困ったように笑った。
「そこは硬くてねえ。何も出なかったら、一日分の手間が無駄になっちまう」
「この筋が、下へ続いているんです。岩盤の向こうに、まとまった魔石があると思います」
鉱夫は壁を見直した。俺の示した筋を指でなぞり、しゃがんで床を確かめる。その間に、ルイが俺のそばへ顔を寄せてきた。
「本当に分かるのか?」
「はい。この地層なら、その下に魔力脈があります」
ルイはしばらく俺を見つめていたが、やがて鉱夫へ向き直った。
「少しだけ試せないか。父さんには俺から話す」
掘る場所が決まると、俺は岩盤に魔力を通し、割れ目に沿って硬さを緩めた。支えになる部分は残してある。鉱夫はつるはしの入り方に驚いていたが、すぐに仲間を呼んできた。
そこから二時間ほど、俺はルイと少し離れて作業を見守った。やがて、つるはしの音が変わった。
「おい、明かりを寄こせ!」
鉱夫の声に、周りの者が集まる。削れた岩の向こうに、青く透き通った面が現れていた。付着した土を払っても、その端が見えない。隣を確かめた鉱夫が、息を吐くように笑った。
「こっちもだ……全部つながってるぞ」
ルイの手が俺の肩をつかんだ。少し痛い。見上げると、兄は魔石と俺を交互に見比べ、何度も口を開きかけていた。
予想どおり、大きな鉱床だった。これなら、本を何冊か買うくらいはできそうだ。
※ ※ ※
それから数週間後。倉庫へ向かっていると、後ろから慌ただしい足音が近づいてきた。
「ルミナ!」
振り返ると、父さんが書類を握って立っていた。急いできたらしく、息が少し上がっている。俺は抱えていた本を持ち直した。
「どうしました、父さん?」
「鉱山から報告が来た。新しい鉱床から採れた分だけで、先月ひと月の採掘量を超えたそうだ。しかも質がいい。商人から追加の買い付けまで申し込まれた」
あれだけの塊なら、しばらくは掘り続けられるだろう。うなずいていると、父さんはもう一枚の紙を広げた。
「畑の方もだ。収穫を諦めかけていた野菜が育ち直して、出荷できたという。隣の畑にも同じものを置いてほしいと頼まれている」
そちらも間に合ったらしい。作物そのものを急に成長させたわけではないので、気にはなっていた。水と温度が整えば、あとは畑を知る農夫たちが面倒を見てくれる。
「よかったです。では、次の石も用意しますね」
「待て。お前は、その……これがどれほど助かったか、分かっているのか?」
父さんはそこで言葉を切った。手元の書類へ視線を落とし、額を押さえる。やがて俺の前にしゃがむと、困ったような顔で尋ねた。
「ルミナ。なぜ、急にこんなことを始めた?」
「研究費が必要だったので!」
ようやく本題を話せる。俺は本に挟んでいた購入希望の一覧を取り出し、父さんへ差し出した。
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