第2話 魔力なしの辺境伯令嬢
食堂へ向かうまでに、俺は一つ学んだ。裾の長い服を着たまま、いつもの調子で歩いてはいけない。危うく廊下で転びかけ、案内してくれた召使いに手を引かれる羽目になった。
ようやく席に着くと、向かいに座っていた少女が、パンをちぎる手を止めた。
「相変わらず、時間にルーズね。ルミナ」
「言ってやるなよ、アイリス。ルミナは人一倍、人生を楽しんでるんだからさ」
隣の少年が笑う。アイリスと呼ばれた少女は、どことなく今の俺に似ていた。姉だろうか。そう考えながら椅子に座り直すと、床に足が届かなかった。どうにも落ち着かない。
「ルミナ、今日は何の日か分かっているだろうな」
朝、部屋に来た男が言った。何の日だろう。建国記念日か、この身体の誕生日か。考えても分かるはずがなく、黙っていると、母親らしき女性が俺の前へスープの皿を寄せてくれた。
「今日は魔力鑑定の日よ。まずは冷めないうちに食べてしまいなさい」
「魔力鑑定……」
懐かしい。前世では二十代の頃を最後に受けていなかった。あの頃は結果を眺めて一喜一憂したものだが、いつからか、鑑定器を作る側になっていた。
スープを飲みながら、家族の会話に耳を傾ける。アイリスは俺の姉で、魔術師を目指しているらしい。少年の名はルイ。俺の兄であり、将来は領地を継ぐため、剣術の稽古にも励んでいるようだ。
父の名はギース。この地を治めるエルフォード辺境伯で、その妻がアリア。つまり俺は、貴族の娘になったわけだ。食卓に並ぶ料理は思いのほか質素だったが、温かな食事が出てくるだけで十分ありがたい。前世では実験に夢中になり、食べ損ねることも多かった。
「そういえば、ルミナは将来、何を目指すの?」
アイリスに尋ねられ、俺は匙を置いた。その質問なら、迷わず答えられる。
「魔術の根源を見てみたい――それだけです」
ルイがパンを口へ運ぶ途中で止まった。アイリスも目を丸くしたが、すぐに苦笑する。
「魔術の根源って。また難しいことを考えてるのね」
「まったく、大きく出たものだ」
ギースはそう言いながらも、咎める様子はなかった。七歳の子供が言うことだ。大人になったら竜を飼いたい、といった願いと同じに聞こえるのだろう。
食事が終わると、アリアが俺のそばへ来た。襟元のずれを直され、口の端を布で拭われる。自分でできると言う間もなかった。
「さあ、聖堂へ行きましょう」
「え? 今から?」
せっかくなら、部屋で魔術を試したかったのだが。そう思った俺の前で、ギースが膝を折り、目の高さを合わせた。
「安心しろ。どんな結果だろうと、お前が俺の娘であることに変わりはない」
どうやら、怖がっていると思われたらしい。そういう問題ではないのだが、真剣に言ってくれる相手に、研究の時間が惜しいだけだとは言いにくかった。
※ ※ ※
聖堂には、すでに何組かの親子が集まっていた。高い天井を見上げて歩いていると、アイリスに袖を引かれる。前を見なさい、ということらしい。柱に刻まれた紋様が気になっていたのだが、調べるのは後にしよう。
「あれがエルフォード家の……」
「辺境伯家ともあろうものが、あの身なりか」
声の方を見ると、着飾った男がギースの袖口を眺めていた。隣の女性は扇で口元を隠している。どうやら、この家はあまり裕福ではないらしい。朝見た繕い跡を思い出していると、俺の袖をつまむアイリスの指に力がこもった。
「お待ちしておりました、エルフォード辺境伯閣下」
奥から、魔術師の装束をまとった男が現れた。王都から派遣された鑑定役だという。ギースが「早速頼む」と告げると、男は一礼し、祭壇の前へ俺を案内した。
台座の上には、透明な魔力結晶が置かれていた。なかなか質がいい。鑑定より先に、何の加工に使えるか考えてしまった。
「この結晶に手を置いてください」
背伸びをして、手のひらを重ねる。道中で聞いたところ、ルイは火属性の上級適性、アイリスは水属性の中級適性だったらしい。さて、俺はどう出るだろう。
結晶が紫色に輝き、触れた手から魔力を読み取り始めた。内部の術式を追っていた俺は、妙なところで測定が止まるのに気づいた。そこから先へ進むはずの処理がない。
おや、と思ったときには、結晶の表面に文字が浮かんでいた。
『魔力なし』
背後で誰かが息をのんだ。魔術師は結晶と俺を見比べ、表示が変わらないことを確かめてから口を開いた。
「残念ですが、お嬢様には魔術師の才能はありません」
「そうか」
なるほど、そういう判定になるのか。俺が手を離すと、魔術師は何か言いかけたまま口を閉じた。泣かれるとでも思っていたのだろうか。
「魔力なしなんて、初めて見たぞ」
「辺境伯家の娘なのにねえ」
周囲の声が大きくなる。振り向くと、ルイが唇を引き結んでいた。アイリスは俺よりもよほど傷ついた顔をしている。朝の話を聞いて、魔術師になりたがっていると思ったのかもしれない。
ギースは結晶をしばらく見つめた後、俺の隣に立った。
「行くぞ」
差し出された手を握ると、すっぽりと包み込まれた。帰り道では、アリアが何度も俺の顔をのぞき込み、ルイは剣を教えてやると言い出した。アイリスに至っては、夕食の菓子を半分くれるらしい。
魔術なら使える、と説明する隙を見つけられないまま、俺は家族に囲まれて帰った。
※ ※ ※
その夜、俺は屋敷裏の森へ抜け出した。
昼間の鑑定結果については、もう見当がついている。結晶の質は悪くなかったが、組み込まれた術式に問題があった。読み取れる魔力構造が限られていて、そこから外れたものは一律に「魔力なし」と処理してしまうのだ。
前世から持ち越した俺の魂は、その規格に合わなかったらしい。昔の鑑定術なら読み取れたはずだが、どうしてあんな作りになったのだろう。今度、魔術書を探してみるとしよう。
ともあれ、朝には七属性の魔力を扱えている。使えないはずはない。今夜知りたいのは、もう少し出力を上げたとき、この身体がどこまで応じるかだった。
「初級から試すか」
木々の切れ目に立ち、遠くの山へ目を向ける。人の気配がないことを確かめてから、手のひらに小さな火球を作った。これなら、山へ届く前に消えるだろう。
「ファイア・ボール」
軽く押し出した途端、火球が尾を引いて飛んでいった。予想していた速さではない。しかも、飛びながら膨らんでいる。
「おっと……!」
慌てて術式へ干渉し、上空へ逸らす。山頂をかすめた火球は、その上で大きく弾けた。夜空が白く染まり、遅れて届いた爆音に、木々から鳥が飛び立っていく。
危うく山の一部を吹き飛ばすところだった。魔力を流す効率がいいのは分かっていたが、放出時の勢いまで、ここまで違うとは。指先で光を回すだけでは分からないこともある。
「……身体が若いせいで調整が難しいな」
手のひらを見つめ、先ほど流した魔力量を思い返す。次はもっと絞ろう。やりたい実験は増えたが、その前に加減を覚えなければ、研究室どころか屋敷がなくなってしまう。
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