少女の祈り④
昏い海の底から浮き上がってくるような感覚とともに、ズィーは目を覚ました。
背中には硬いベッドの感触がある。
「知らない、天井だ……」
石の天井を、燭台が取り付けられた柱が支えているのが見える。ひんやりとした空気をかんじながら横を向いたときに、水差しを乗せた盆を運んできたパウルと目が合った。
「ズィーちゃん! 目が覚めたんだね!」
パウルは急いで駆けつけ盆を置くと、椅子を引き寄せ彼女が寝ているベッドのかたわらに座った。
「パウルくん、あれからどうなったの?」
「君が意識を失ってから、あの補給処からは離脱した。いまは司令部跡に来ている」
「司令部跡……?」
「大丈夫、ここは安全だから休んでいてくれ。それと……、僕を助けてくれて、ありがとう」
そっとズィーの手を取り、パウルは感謝の意を伝えた。まだ少年と言っていい顔がうつむいているのは、涙を見られたくないためだろうか。
「ん、いいの。わたしも……、パウルくんが無事でよかった」
それだけ伝えると、また急速に眠気が襲ってくる。
「ごめんパウルくん、もう少し眠る……、ね」
「うん、ゆっくり休んで」
そしてまた、ズィーの意識はゆっくりと暗闇に沈んでいった。
薄れゆく女性の言葉、あの光を発したときに感じた声をかき集める夢を見ながら。
再度目が覚めた時、ズィーは窓から光が差すのを感じた。朝なのだろうか。
ふらふらとする頭を押さえつつ、ベッドのそばに置かれていた水差しからコップに水をつぎ、飲んだ。
まだ、身体のあちこちにあらわれている蒼い紋様はゆっくりとまたたいている。それが体がだるい原因なのかな、とぼんやりと彼女は思った。
どこからかいい匂いがする。身支度を整えてから立ち上がり、お守りである野戦帽をかぶって入り口に向けて歩き出す。
「ズィーちゃん! パウルから1度目を覚ました、と聞いていたが、大丈夫かい?」
「よう寝ぼすけ。食事の匂いを嗅ぎつけたか? えらく長い間寝ていたがだいぶマシなツラになったじゃないか」
ズィーが寝ていた部屋の隣には、パウルを除く全員が集まっていた。テーブルを囲んだ面々から次々に声を掛けられる。
「みんな、心配かけてごめんなさい。もう大丈夫。わたし、どれくらい寝ていたの?」
「2日だ。その間に我々は師団司令部跡に移動している」
そうシグルドリファに告げられたとき、部屋に少年の明るい声が響いた。
「みんな、シチューができましたよ、と、ズィーちゃんも起きてきたんだね!」
「うん! パウルくん、わたしの分もある?」
「もちろん! 『雄鶏の喧嘩亭』特製、乾燥エンドウ豆と缶詰ベーコンのシチューをどうぞ! 軍用ビスケットも添えて!」
「特製も何も、いつもと代わり映えのしねえメニューじゃねェか、ったく……、ってこれなんだうま!」
うんざりした態度を隠さぬままスプーンを口に運んだシノの表情が、劇的といっていいほど変わる。
兵隊の食事といえば、薄い塩味だけのスープと相場が決まっているが、いま出されたスープは缶詰とはいえ、甘い脂肪がふんだんについたベーコンから出たエキスは味覚を刺激する。
それに加え、さまざまな香辛料が入れられているのがわかる。胡椒の辛さ、ローズマリーの甘い香りなどが混じりあい、口の中で芳醇な香りが立つ。
通常の食事とは、まさに雲泥の差があった。
「さすが司令部跡ですね。各種スパイスが厨房にそろっていましたよ。腕の振るいがいがありました!」
「こいつはうまい。ファンクフォートで一番の食堂の跡取り息子、というのは大げさじゃないな」
ものも言わずかきこむシノ、笑いながらスプーンを口に運ぶブルグミュラーとズィー、ひとり黙々と食べるシグルドリファ。
ようやく皆の顔に笑顔が戻っていくのを見て、パウルもまた微笑んだ。
それから数刻後。
「師団司令部の食料・被服がほぼ手つかずだったのは幸運でした。物資をかき集めれば一月半は食いつなげるかと」
もとは商館だったのだろうか、司令本部に使われていたらしい建物の一室に声が響く。
物資のリストを手に持ち、ブルグミュラーは指揮官に報告していた。そのほかの隊員はティゲールに物資を積み込む作業を行っている。
報告をしながら彼はふと、ただよう異臭に気がついた。閉め切られて放置されていた部屋のせいか、どこか鉄臭い香りがする。
「魔軍の主力にとり、人間やエルフの食料は優先度が低いからな。そして、あの総崩れから1年半しか経っていない」
部屋に放置されていた地図を確認しながら、シグルドリファはそう答えた。
魔族はそれが強大であればあるほど、食料ではなく魔素を大量に必要とする。それゆえエルフィラント軍が陣地を放棄しても、食料は無事であることが多かった。
使用されぬよう魔素で汚染されていることもあるので、油断はできなかったが。
「ティゲールの損傷はある程度の応急修理は可能です。ただ、全速は出すのは控えた方がよい状態ですね。弾薬もある程度は確保できました。88ミリ砲弾は徹甲弾・榴弾を合わせて20発ほど回収できています。ただ、機銃弾の状態は悪く、量も少ないです。錆びた弾がかなりの割合でありますね」
「先は長い。可能な限り無駄な戦闘は避けないとな」
「指揮官殿」
ブルグミュラーの声音が変わった。シグルドリファは地図から目を離し、顔を上げると彼を見つめた。
「本当に、帰れますか」
「各員がベストを尽くせばな。私も含めて」
「先の補給処のように、非情な命令はしないと言えますか」
指揮官の眼帯の下から、心を凍てつかせるような蒼い光が漏れている。しかし、ブルグミュラーは引かない。
その瞳からは、見たくもない地獄を見せられ続けた、戦いに倦んだ兵士の眼光が漏れ出ている。
「シグルドリファ大尉。わたしはあなたがかれらの命を守ろうとするなら、全力で支えます。でも、あなたはかつてのあなたとは変わってしまった。失礼します」
決意をするかのように告げると、ブルグミュラーは儀礼のような敬礼をし、きびすを返して小屋から出ていった。
あとには、沈黙を身にまとった1人の士官が残された。
口からあふれる、赤黒い血を拭いながら、彼女はたたずんでいた。
「おいマジで勘弁しろよ。アタシの商売道具を取り上げる気か」
「しかし、この前の戦闘を考えると対歩兵戦は絶対に起きます。前方機銃は必要なんですよ。それに、同軸機銃も弾薬が不足しています」
「もう、みんな、ケンカしちゃダメだよ……」
暗く塗られた鋼鉄の巨獣が鎮座する、中庭に即席に作られた作業所で、隊員たちが言い争っている。
ティゲールには近づく歩兵を撃退するために、車体の前に機銃を取りつけられるが、それはコーモゥスの時から失われていた。
そしてここ、師団司令部跡も食料は残っていても兵器は撤退時に持っていかれたのか、魔軍が接収したのかほとんど見当たらず、あってもよくて部品取りにしか使えない、スクラップ寸前の代物だった。
なので威力はあるが、いまは戦車内で無視できないスペースを取っているシノの持ち込んだ軽機関銃を取りつけよう、という提案がパウルから出されたのだが、当のシノから大反対されている。
「何を騒いでいる」
後ろからかけられた冷徹な声に、ふたりの戦車兵は即座に向き直ると直立不動の姿勢を取り、敬礼した。
シノは苦々しげにおざなりな敬礼をして、ズィーは戸惑いながらもみんなの真似をして敬礼する。
「直れ。ブルグミュラー軍曹、説明を」
「はっ。ティゲールの前方機銃の件なのですが……」
説明を聞いたシグルドリファは、シノのほうを向いた。
「携帯火器なら、コーモゥスで鹵獲してきた短機関銃があるはずだが、なぜこだわる」
「この軽機は何度も死線をくぐってきた相棒なんだ。そうそう渡すわけにはいかねェ。それに、この席に据えるのなら、ちびっ子に扱えるのか?」
感情の問題だ、とやりとりを聞いていたブルグミュラーは思った。
つい先ほどの自分と指揮官とのやりとりと同じもの。
死守命令が出され、陣地にこもることにより機動力を殺され、相手の物量で吹き飛ばされていく味方の戦車を見送らなければならなかったあの時の苦い記憶を押し殺して、ブルグミュラーは銀髪の指揮官の次の言葉を待った。
「貴君の想いも理解できる。ならば、これを代わりに渡そう」
シグルドリファは腰のホルスターに手を伸ばし、そこに収められていた拳銃を抜いた。
それを掌に載せ、シノに差し出す。
「おいおい拳銃なんかで……、ってこりゃあ」
そこにあるのは、銃本体に装飾であるエングレーブを華麗に施された、芸術品のような銃だった。
おそらくドワーフの職人が何か月もかけて銃本体に彫り込んだのであろう。風と樹木をあしらった金の彫金が、さび止めの被膜処理が施された青みがかった黒色の本体に映えていた。
「テメエ、何のつもりだ」
シノが剣呑な目つきでシグルドリファを見据える。
身分証明にすらなりかねないものを軽々しく渡すのは何故か。
あるいは買収のためか。
女オーガの胸中に様々な疑念が巡っているのが、他の隊員たちには痛いほどわかった。
「ねね、パウルくん、あの拳銃ってどんな価値があるの?」
すすっ、と隣に寄って、小声で聞いてくるズィーに、茶色の髪の少年はこれもささやくように返す。
「僕も詳しくは知らないけど、貴族の象徴みたいなものだから、あれを見せれば高級レストランやホテルに何も言われずに入れるほどの価値があるものだよ」
こほん、とブルグミュラーが咳をする。あわててふたりは口を閉ざした。
「私が貴官の戦友のかわりに差し出せるのは、これしかないからだ。金、名声、宝石。すべてにおいて貴官には無意味だろう。ならば名誉の象徴を渡すしかない」
事実のみを告げる検察官のような、淡々とした言葉が流れる。
それを聞くシノは、ただシグルドリファをじっと見つめている。
すべてを見逃さない、狩人の瞳で。
しばらく睨み合ったあと、ふ、とシノの視線がやわらかくなった。
「……誠意か。それを持ち出されたのなら仕方ねェな」
差し出された拳銃を受け取ると、シノはマガジンを抜いてチャンバーを引き、弾が薬室内に残っていないか確認する。
マガジンを入れなおし、彼女はそのまま無造作にポケットに入れた。
2人を除く、居合わせた全員から、長い息が漏れた。
「ズィー」
「ひゃい!」
名前を呼ばれ、慌ててズィーはシグルドリファの方を向いた。
怖い隊長さんに何を言われるのか、と緊張している姿が傍目にもわかる。
「君は前、言ったな。戦争のない世界に行くのだ、と」
「う、うん」
「君の望みがそうならば、私は、それをかなえるために全力を尽くそう」
そのまま、シグルドリファはきびすを返して去っていく。
ズィーは、その背中を呆然と見送っていた。
翌日の朝。
「隊長殿、出発準備ができました」
ティゲールやクルーたちの準備ができたことを確認してからブルグミュラーは、部屋で身支度をしていたシグルドリファに声をかける。
「了解した。すぐに出る」
「隊長殿」
「なんだ」
「昨日の納め方はお見事でした」
「なすべきことをなしただけだ。われわれはヴェルイーンに戻り、君たちを故郷に返す。それが私の義務だ」
淡々とシグルドリファは告げる。まるで機械のように。
それでもブルグミュラーは、それらの言葉が指揮官の本心であると悟った。
「……そうですね。我々は目標に向かって全力を尽くすだけです」
「そうか、ならば出発しよう。」
その言葉に、ブルグミュラーは完璧な敬礼で応えた。
身を翻し、士官としてシグルドリファは部屋を出る。
彼女を見送ってから、ブルグミュラーは敬礼を解き、指揮官を追った。
次回予告
帝国が生み出した鋼鉄の巨獣。
しかし、その歩む道は決して平坦ではなかった。
次回、外伝 ティゲール重戦車
間に合った兵器こそが、優れた兵器である。




