ひとときの休息①
幼いがしかし、よく通る透明な声が、朗々とした響きとともに室内に響いた。
「祈りよ、遠き地の果ての同族の元へ。届け我が祝福の祈りを」
ふわり、と少女の体から蒼い光が浮かび上がった。その光は少女の手に集まっていき、手に持つ水をなみなみとたたえた器に集まっていく。
やがて水の色は、彼女の肌に浮かぶ紋様と同じ、蒼に染まっていった。
集まった村人にどよめきが走る。
詠唱が止まり、差し出された器を村長である老人がうやうやしく受け取った。
緊張の解けたズィーの顔に、年相応の明るい笑みが浮かぶ。
数日前。
「却下だ。ただでさえ予定は遅れている。これ以上時間を浪費すると冬が来る」
冷徹ともいえる声が室内に響いた。
魔素汚染から回復した女性を残し、村の旅籠の別室に隊員たちは集まっていた。
彼女が訴えた、彼女の故郷であるサマリンという名の村を救ってくれ、という要望についての話し合いだったが、シグルドリファは開口一番言い放った。
「どうして! わたしはみんなを治せる『生命の水』っていうの、作ることができるのに!」
「我々は医師団ではない。帰還を最優先に考えるのなら、長雨による道のぬかるみを避け、そして雪に大地が覆われる前にこの大地を抜けなければならない」
それは駄々をこねる子供に言い聞かせるような雰囲気であった。
「でも何もしなかったら、おばさんの村もこの村みたいになっちゃうんだよ! そんなの、わたしはいやだ!」
ズィーの意思を反映するようなまっすぐな視線を、シグルドリファは真っ向から受け止める。
双方ゆずらぬ意思が部屋に張り詰め、緊張感が頂点に達したとき。
「意見具申をよろしいでしょうか、大尉殿」
空気を崩すかのように、ブルグミュラーが手を挙げた。
「……許可する」
「ティゲールの足回り、そして魔動機の点検を行いたいかと。いかに自己修復機能があるとしても、これからの旅程を考えると無茶はさせたくありません」
ティゲールの優れた特徴として、ゴーレムの機構を応用しある程度のダメージなら、魔動機から供給される魔力により自己修復機能が働くようになっている。
これは40tにも達する車体、特に足回りの整備において有効に働き、前線の整備の手間を大幅に軽減していた。
しかし完全なメンテナンスフリーというわけではなく、転輪や変速機への潤滑油注入や履帯の調整など、通常でも整備する箇所は無数にあった。
さらに、コーモゥス近郊での戦闘で損傷した足回りのせいで、いまだに全速は出せない状態だ。
「あの補給処は魔素供給機こそ破壊されていましたが、車両整備用の施設はさほど荒らされていません。食料は村の人々から治療の代価として受け取ることにして、この機会に整備をしておきたいのです」
ブルグミュラーの進言に、シグルドリファは将校用にあつらえられた帽子をかぶり直し、考え込んだ。
沈黙が部屋を満たしていく。やがて、隻眼の指揮官は口を開いた。
「期間は」
「可能なら半月は」
「……1週間半だ。それ以上はスケジュールに支障が出る。我々が駐留することになる村にも負担がかかる」
「やったぁ!」
「ズィーは無理をするな」
喜びの声をあげるズィーに、釘を差すようにシグルドリファは言った。
「村のことまで考えるたぁお優しいこって。まあ、アタシもやりたいことがあったからちょうどいいが」
皮肉っぽいシノの言葉をあとに残し、会議は終了した。
そして現在。
「お疲れさま、ズィーちゃん」
「パウルくん、ありがと! これ大好き!」
提供された村長の家の一室で、パウルとズィーはくつろいでいた。
木の枝で編まれた椅子や小さなテーブルなどがあり、素朴ではあるが整えられた調度品が客をもてなすための部屋であることを示している。
最初は一行を不安と疑いの目で見ていた村人たちも、救出された女性の説得とズィーが創り出す「生命の水」で家族が回復していくのを目の当たりにして一転、生き神様のような扱いになっていた。
畜産に力を入れているというサマリン村の自慢の一品である、とろりとしているがさわやかな酸味のあるヨーグルト。鳥や花が鮮やかに彩られた木製のコップにパウルが注いでくれたそれを、ズィーは一息に飲み干す。
「牛の乳の出もよくなってきたし、村人も回復してきたしみんな感謝していたよ」
「そっかあ、よかった!」
笑みを浮かべるズィーに釣られるように、パウルもまた微笑む。
そして、彼はふとつぶやいた。
「村の人たちだけじゃないよ。隊長どのもようやく立ち直ってくれている。君のおかげだ」
「隊長さん……、が?」
けげんな顔をするズィーに、パウルはうつむきつつ、軽くうなずいた。
陰になった彼の眉間には、戦争という非日常で深い苦悩を経験した人間に刻まれる皺があらわれ、それが彼をずっと年上に見せている。
「隊長どのは負傷して、変わってしまった。でも、君と出会ってから、すごく柔らかくなったんだ。かつての隊長どのを思い起こさせるように」
「そうなんだ……、ね」
パウルだけではなく、隊員たちの時折見せる影はズィーにとって戸惑うものだった。
彼らの言葉の端々から、長い戦争があったのはわかる。
しかし、コーモゥスにおいて、逝ってしまった降下猟兵によって閉じ込められていた函より助け出されたときより前の記憶のない自分にとって、彼らがどんな体験をしていたのか想像もできない。
でも。
戦争の記憶、それに軽々しく触れるのは、彼らにとって耐えがたいものであることも、ズィーには感じ取れた。
そんなとき、どうしていただろうか。
彼女の脳裏に、おぼろげな記憶がふわりと浮かび上がる。
そこに映る女性がおこなっていたように、ズィーはパウルの手を取った。
男の子らしい、自分の手と比較するとひとまわりは大きいその手を、柔らかく自分の手で包み込む。
それだけで、かつての自分の不安は消えたから。
「パウルくん、この旅が終わったら、色々話してくれる?」
驚いたようにパウルはズィーを見た。
「うん、そうだね……、うん」
目の前の少年がかろうじて絞り出した言葉に微笑むと、目の前のその年には似合わぬほどごつごつとした手をぎゅ、と握る。
「約束、だよ」
じ、と見上げるズィーにパウルは照れたように顔を背けた。
「そういえば、隊長さんやシノさんたちは何をしているの?」
さすがに自分も照れ臭くなり、ズィーは強引に話題を変えた。
「あ、ああ、隊長は調べることがある、と言ってから姿が見えないな。シノ伍長はブルグミュラー曹長といっしょに、あの補給処にティゲールの整備に行ってるよ」
次回予告
鉄床で火花が散った。
ブルグミュラーはその光景に、かつて極東の地で見た儀式を思い出す。
歴戦の「オーガ」の過去とは。
次回「ひとときの休息②」
運命は流転し、縁は袖振り合う。
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