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第七章

ドサリ、と音がした。

謝問が椅子を蹴立てて立ち上がっていた。彼の顔からは完全に血の気が引いている。

猛然と書生の胸ぐらを掴み、狂気染みた目で問い詰めた。


「お前、今何と言った!?もう一度言え!」


書生は突然現れた男の迫力に怯えながらも、震える声で繰り返した。

「さ、サクを守れ、洛陽へは戻るな、です……毎日、一晩中聞こえるから、聞き間違いのはずがありません!」


(そんな馬鹿なことが……あってたまるか!)


謝問の指先が、氷のように冷たくなっていく。

あの時、俺は確かに男の息の根が止まったのを確認した。この手で土をかけ、墓を建てたはずだ。死体が自ら動き出し、この汝州城内で生きているなど、絶対にあり得ない。


謝問のあまりの動揺ぶりに、南華門の二人もただならぬ気配を感じ取ったのだろう。

白子曦が静かに進み出ると、書生の前に立ちはだかる謝問へ向けて、穏やかに、しかし芯のある声で問いかけた。


「失礼ですが……その悪鬼の言葉に、何か心当たりがおありですか?」


その声で、謝問はハッと我に返った。

無礼を詫びて書生の胸ぐらを離すと、乱れた衣服を整え、表情を硬くしたまま二人の白衣の道士に向き直る。


「……取り乱した。申し遅れた、俺は謝問という。にわかには信じがたいが、その書生の話が本当なら……夜な夜な現れるその男は、俺の命の恩人かもしれない」


李初照と白子曦が顔を見合わせる。「事情があるようですね」

白子曦が真っ直ぐに謝問を見つめた。

「謝問殿。もしよろしければ、今夜、我らと共にこの書生の屋敷へ赴き、事の真相を確かめてみませんか?恩人の名誉のためにも、そしてこの汝州の怪異を終わらせるためにも」


謝問は拳を握りしめ、冷徹な目を向けた。

「望むところだ。陰陽の術は知らんが、戦場で鍛えた武芸ならある。足手まといにはならんさ」


「さくも行く!お兄さんと一緒に行くーっ!」

隣で朔が元気よく手を挙げた。


普段なら突き放すところだが、謝問は少し考えた。このおバカを一人で宿に置いていく方が危険だし、何より、その幽霊とやらが本当にあの男なら、朔に見せれば彼が言っていた『こうこうこう』かどうかが一発で分かる。


「いいだろう」謝問は朔の手を握りしめた。「ただし、絶対に俺の側を離れるなよ」

「うん!さく、お兄さんから離れない!」


――◇◇◇――


子夜の刻。

中天に冴え渡る孤月が、万物が寝静まった庭園を白々と照らしていた。


曲折した回廊の突き当たり、不気味にそびえる築山の影から、二つの頭がひょっこりと突き出ている。


「お兄さん、さく、さむいよぉ……っ」


朔がガタガタと身震いし、本能的に謝問の懐へと潜り込んできた。


昼間見れば風雅なはずの崔家の庭園は、夜の闇に包まれると、まるで現世から切り離されたかのような陰気が立ち込めていた。

怪しげな月光に照らされた朔の不細工な顔は、その恐怖のせいで、いつも以上に凄まじい造形へと歪んでいる。


「……なぁ、俺たち、ここで何をしてるの?」


背後から、不意にそんな声が聞こえた。


謝問は振り返りもせず、声を極限まで潜めて返した。

「シーッ、静かにしろ。例の『コケコッコー』が現れるのを待ってんだよ。大声を出すと驚いて逃げちまうだろ」


「そっかぁ。さく、良い子でお留守番するね」


その瞬間。

生温かい陰風が吹き抜け、謝問の背筋にゾワリとした悪寒が走った。


(待て。今、俺の後ろにいるのは……)


謝問はゆっくりと、隣にいる朔へ視線を動かした。

「……おい。今の声、あんたか?」


朔は両手で必死に口を塞ぎ、潤んだ黒い瞳を限界まで見開いて、激しく首を横に振った。


――じゃあ、今、俺のすぐ後ろで相槌を打ったのは、誰だ?


背後から、生臭い、腐臭の混じった吐息が吹きかかる。

二人は凍りついたように、ギチギチと音を立てながら後ろを振り返った。

その視線の先にいたモノを見た瞬間、全身の毛穴から冷や汗が噴き出した。


月光の下。

乱れ髪の間から、完全に生気を失った土気色の顔が覗いていた。

その光のない、ガラス玉のような瞳が、じっと謝問たちを見下ろしている。


手足は炭のように黒ずみ、全身は泥と乾いた血にまみれていた。

そして胸元には、大きな風穴――あの日、謝問がこの手で埋葬したはずの、あの男の無残な傷跡が刻まれている。


朔がその影を指差し、悲鳴のような声を上げた。

「こうこうこう……! 『こうこうこう』だぁ!」


謝問の掌に、じっとりとした汗がにじむ。

死者が蘇るという噂は聞いていた。心の準備もしていたはずだった。

しかし、いざ目の前で、自分が墓に葬った骸骨も同然の怪物が動いているのを見て、凄まじい衝撃が脳髄を殴った。


「……あんた、俺たちのことが分かるのか?」

謝問は湧き上がる恐怖をねじ伏せ、探るように声を絞り出した。


怪物の口元が不自然に歪み、途切れ途切れの声が漏れる。


「……サク……逃げ……誰かが、サクを、殺そうと……」


「朔は誰だ!? あんたを殺したのは誰なんだ!?」


謝問がさらに踏み込もうとした、その時。


不気味な、地を這うような『笛の音』が、夜の静寂を切り裂いて響き渡った。


ヒュロロロロ……。


その音が届いた瞬間、怪物の肉体がまるで電流を流されたかのように激しく痙攣し始めた。

頭を抱え、獣のような苦悶の声を上げる。


やがてピタリと痙攣が止まり、怪物がゆっくりと顔を上げた。


そこには、先ほどまでの哀切な光は微塵もなかった。

残されていたのは、ただ獲物を引き裂くことだけを目的とした、圧倒的な『殺意』。

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