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第四章

謝問は『軽功けいこう』の身法を駆使し、風を切り裂きながら数里の道を駆け抜けた。

息をもつかせぬ速度で進むことしばし、やがて山脈の麓にある小さな街へと滑り込む。


謝問の腕にすっぽりと収まっていた朔は、最初は怯えて縮こまっていたものの、しだいに目の前を凄まじい速さで流れていく景色に目を奪われ、後半は「わぁーっ! すっごーい!」と大興奮で騒ぎ立てていた。


街に入り、謝問が彼を地面に降ろして体の経穴ツボを解いてやると、朔はパチパチと嬉しそうに手を叩いた。


「空を飛べるお兄さん、かっこいい! さくにも教えて!」


(あんたのその頭脳じゃ、一生かかっても無理だな)


謝問は内心で毒づきながらも、口元には不敵な笑みを浮かべた。

「いいぜ。大人しく言うことを聞く良い子にしてたら、いつか教えてやるよ」


「うん! さく、すっごく良い子だよ! 『こうこうこう』の言うことも、お兄さんの言うこともちゃんと聞くもん!」


先ほどから気になっていた。

再びその妙な言葉を耳にした謝問は、眉をひそめて尋ねた。


「おい、さっきから言ってる『こうこうこう』ってのは、一体誰なんだ?」


しかし、朔は無邪気な顔で首を傾げるだけだった。

「こうこうこうは、こうこうこうだよ?」


(チッ、やっぱり会話にならねぇな……)


だが、このおバカさんがその「こうこうこう」の言うことをよく聞くというのなら、そいつが朔の保護者か、あるいは世話係だったのだろう。

そして今日、あの名もなき中年男が命懸けで朔を連れ出し、俺に託した。

状況から考えて、その「こうこうこう」こそが、あの血の海に沈んだ男である可能性が高かった。


そんな思索に耽りながら通りを歩いていると、突如、背後からけたたましい怒鳴り声が響いた。

ハッと振り返ると、隣にいたはずの朔の姿が消えている。


「おい、どこへ行った!?」


慌てて周囲を見回すと、声の主は近くの焼きおやきの屋台だった。

体格のいい店主のオバハンが、一人の男の胸ぐらを掴んで凄まじい剣幕で怒鳴りつけている。

その捕まっている男こそ、他でもない朔だった。


「この薄汚い泥棒乞食め! とっとと失せな! 営業の邪魔だよ!」


オバハンは朔の襟元を乱暴に突き放し、地面へと突き飛ばした。

まるでハエでも追い払うかのように手を激しく振っている。


尻もちをついた朔は、大きな瞳にみるみる涙を溜め、今にも大泣きしそうな顔で固まっていた。


謝問はすかさず割って入り、朔を抱き起こして自分の背後にかばった。

オバハンを鋭い眼光で睨みつける。


「おい、おばさん。理由もなく人に手を上げるのはどういうつもりだ?」


オバハンは顔を真っ赤にして、謝問の背後に隠れる朔を忌々しげに指差した。

「理由なら大ありだよ! この不細工な乞食が店の前に突っ立ってるせいで、他のお客さんが怖がって逃げちまうんだ! それだけじゃない、こいつ、うちの焼き餅を勝手に食っておきながら、金を払おうとしないんだよ!」


「何だって?」

謝問は驚き、振り返って背後の朔を見つめた。

声を低くして問い詰める。

「……本当か? 金も払わずに品物をつまみ食いしたのか?」


朔はバツが悪そうに、潤んだ目で謝問を見上げた。

「……おかね、ってなぁに?」


その瞬間、謝問の脳裏に嫌な予感が走り抜けた。


「物を買う時はな、金を払うんだ。焼き餅を食いたいなら、金を払わなきゃいけない。あんた、金を持ってるのか?」


朔はふるふると首を横に振った。

「しらなーい」


謝問は思わず額に手を当て、天を仰いだ。


完全に失念していた。

こいつはただの世間知らずではない。

「買い物をしたら金を払う」という、この世の絶対的な摂理すら理解していない本物のおバカさんなのだ。

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