第二章
「……誰かいるのか?」
半信半疑のまま、謝問は古びたお堂の扉を押し開けた。
中は見事にからっぽで、部屋の隅に机や椅子のガラクタが雑多に積み上げられているだけだった。
あの男が命懸けで守れと言っていた奴の名前は、確か――。
「朔……だったか?」
「朔! そこにいるのか? あんたを捜せって言われて来たんだが!」
がらんとしたお堂に、謝問の声が大きく響き渡る。
その直後だった。
視界の端を、何かが凄まじい速さで横切った。
ガラクタの山から、ひょっこりと一つの頭が、警戒するように突き出される。
「ぼくが、朔だけど……お兄さん、だれ?」
鈴を転がすような、清らかな水泉を思わせる透明感のある声だった。
驚いたのはその瞳だ。
漆を流し込んだかのように漆黒で、潤んだ美しい瞳が、好奇心に満ちた様子でこちらをじっと見つめている。
(……綺麗な目だな)
謝問は思わずその瞳に目を奪われた。
あえて近づくことはせず、その場にしゃがみ込むと、まるで迷子の仔犬でもあやすかのように手を振ってみせた。
「よぉ。俺は謝問だ」
「お兄さんは、わるい人? それとも、いい人?」
あまりにも無邪気な問いかけだった。
謝問は思わず吹き出してしまう。
この朔という男、一体いくつなのだろう。話し方が幼すぎて、まるで子供のようだ。
「あんたを守りに来たんだ。当然、いい人さ」
そう答えた瞬間、部屋の隅からゴソゴソと音がした。
朔がガラクタの山から這い出そうとしたらしい。
しかし、お世辞にも器用とは言えない動きのせいで、次の瞬間、凄まじい大音響が響いた。
ガシャーーーン!!
山積みにされていたガラクタが見事に崩落し、朔は「あいたっ!」という情けない悲鳴と共に、その下敷きになってしまった。
「おいおい、大丈夫か!?」
謝問は慌てて駆け寄り、崩れた木材を払いのけ、少年の腕を掴んで引っ張り出した。
朔は「うう、痛いよぉ」と涙目で顔を上げた。
――その顔を見た瞬間、謝問は息を呑んだ。
(……うわっ、これは凄まじいな)
土気色の肌は凹凸だらけで、まともな皮膚がどこにもない。
押し潰されたような鼻の穴は上を向き、乱れた八字眉の下にある眼窩は異様に落ち窪んでいる。それなのに頬骨だけが不自然に突き出ていた。
例えるなら、散々ぶちのめされて腫れ上がった野良犬のようだ。
いくら修羅場をくぐり抜けてきた謝問でも、ここまで凄惨な不細工にはお目にかかったことがない。
もしこれが夜だったら、間違いなく妖怪の類だと勘違いして腰を抜かしていただろう。
それでも、謝問は持ち前の教養と冷静さで表情を崩さなかった。
すんでのところでポーカーフェイスを維持し、少年の服についた埃をパンパンと払ってやる。
「怪我はないか?」
朔は後頭部を押さえ、目に涙を浮かべながら口をへの字に曲げて泣き出した。
「頭が割れちゃったぁ。さく、死んじゃうんだぁ……っ」
「何だって!?」
謝問は驚いて、彼が押さえている手を無理やり退けて後頭部を確認した。
だが、血など一滴も流れていない。ただ小さなタンコブができているだけだった。
謝問は拍子抜けし、そのタンコブを指で少し強めに揉んでやった。
「安心しろ、割れてねぇよ。死にやしないさ」
「痛い! 痛いよぉ!」
頭の痛みにパニックになっている朔は、謝問の言葉を信じず、なおも声を上げて泣き続ける。
いい加減、謝問の耳が限界を迎えた。
「泣き止んでくれ。あんた、ただでさえ不細工なんだから、そんな顔で泣いたら本当に野良犬そっくりだぞ」
朔はさらに傷ついたようで、涙で潤んだ瞳を大きく見開いて謝問を睨みつけた。
「嘘つき! さくは野良犬じゃないやい!」
……それにしても、妙な男だった。
顔の造形はこれ以上ないほど醜いというのに、その瞳だけは夜空の星を閉じ込めたかのように澄み渡っている。
おまけに、天上の仙人が奏でるような美声だ。
もし仮面を被せて目だけを見せれば、誰も彼がこれほどの不細工だとは信じないだろう。
(天の神様ってのは、随分と悪趣味な真似をするもんだな。なんでこんな絶世の『声』と『瞳』を、この不細工に与えたんだ?)
「はいはい、分かったよ。あんたは野良犬じゃない、朔だ。これでいいか?」
謝問は彼の腕を引いて立ち上がらせた。
「それより教えてくれ。あんたは一体何者で、なんでこんな場所にいるんだ?」
朔はグズグズと鼻水をすすりながら、きょとんとした顔で謝問を見つめるだけだった。
(……駄目だこりゃ。会話が噛み合わん)
謝問は諦め、先ほどの中年男の遺体から回収した『令牌』を取り出し、朔の目の前に突きつけた。
「俺はこれの持ち主に、あんたを守るよう頼まれたんだ。この令牌に見覚えはあるか? あいつが誰だか知っているか?」
朔はぽかんと令牌をしばらく見つめていたが、突如、それをひったくるように掴むと、あろうことか口元に運んでガジガジと噛み始めた。
「おい、食うな!」
何を聞いても要領を得ない様子に、謝問の心に焦りが生じる。
彼は朔の肩を掴み、がくがくと揺さぶった。
「じゃあ、これだけでも教えろ。あんたを狙っているのは誰だ!? 敵が誰かも分からずに、どうやって守れって言うんだよ!」




