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第十四章

奇妙――などという言葉では、生ぬるい。


考えてみれば、こうこうこうの命を奪った『傀儡蟲』とて、梵炎教が得意とする蠱術の一種だ。これが単なる偶然であるはずがなかった。


あの二人の狙いは、自分たち――いや、他ならぬ朔その人なのではないか。


――◇◇◇――


「……つまり、あの梵炎教の二人が、傀儡蟲の件に関わっている可能性がある、と?」


長風から得た情報を皇甫軻へ伝えると、皇甫軻は表面上こそ平静を保っていたものの、その瞳の奥には瞬く間に深い陰が差した。


「あくまで推測に過ぎませんが」


謝問は声を潜めながら、少し離れた席で何も気づかぬまま、一心不乱に飯をかき込んでいる朔へ視線を向けた。


しばし顎に手を添えて沈思していたが、やがて脳裏に閃光のようなひらめきが走る。


「そうだ。師尊、ひとつ妙案があります」


謝問は音もなく皇甫軻の傍へ身を寄せ、その整った耳元へ唇を近づけると、吐息混じりの低い声で密かに策を囁き始めた。


亥の刻。夜も更け、人々が寝静まる頃。


皇甫軻が自室で衣を緩め、床につこうとしていたその時だった。


壁を隔てた謝問たちの部屋から、かすかだが規則的な音が響いてくる。


コン、コン、コン――コ、ン。


三長一短。


途切れることなく繰り返されるその叩音。


それは四年前、二人が南華山の麓の草庵で暮らしていた頃、皇甫軻が耳にタコができるほど聞き慣れた合図だった。


当時、重病に苦しんでいた謝問は、一時的に声を失っていた。


皇甫軻の呼びかけに対し、彼はいつも壁を叩いて応えていたのだ。


「三長一短」は、激しい痛み、あるいは『緊急事態』を意味する暗号。


長い歳月を経て再び耳にしたその懐かしい調べに、皇甫軻の胸は強く締めつけられた。


まるで四年前のあの日々へ、一瞬で引き戻されたかのような錯覚に陥る。


たまらず扉を開け、暗い回廊を見渡す。


隣室の扉がわずかに開いており、その隙間から漏れる頼りない蝋燭の灯が、床に細い光の筋を落としていた。


吸い寄せられるように歩み寄り、白く細い指を木扉へかけた――その瞬間。


室内から伸びてきた力強い腕が、皇甫軻の手首を掴み、そのまま有無を言わさず部屋の中へ引きずり込む。


「っ……!」


よろめいた身体は、一瞬で温かく厚い胸の内へ閉じ込められていた。


見上げれば、悪戯に成功した野良犬のように目を輝かせた謝問が、すぐ目の前で不敵に笑っている。


皇甫軻は即座に身を捩って距離を取り、冷えた視線で室内を見回した。


そこに、いるはずの少年の姿はない。


「……あの子はどうした?」


「白子曦と李初照に連れ出させました。今頃はもう、闇に紛れて南華山への道を登っている頃でしょう」


「なるほど。すべてはお前の『計画』通り、というわけか」


謝問は得意げに胸を張る。


「あの店主も給仕も、まさか俺たちが企みに気づき、それを逆手に取って『身代わりの罠』を仕掛けたなんて夢にも思わないでしょうね」


「大した策士ぶりだな。師まで巻き込み、こんな茶番の片棒を担がせるとは」


皇甫軻の声音には、隠しきれぬ不機嫌が滲んでいた。


他人のために命を懸けようとする弟子への、言葉にできぬ焦燥が胸を掻き乱している。


謝問はその怒りを宥めるように、あえて一歩近づき、皇甫軻の手の甲へそっと己の手を重ねた。


「怒らないでください。それより師尊……四年前のあの暗号を、今でもそんなにはっきり覚えていてくださったんですね。私、本当に嬉しいです」


「お前という奴は、よくもそんなことを……!」


皇甫軻は込み上げた感情に突き動かされるように、謝問の手を強く振り払った。


胸が大きく上下する。


「あの暗号が、この私にとってどれほどの意味を持つか……お前は何も分かっていない……!」


むき出しになった師の激情に、謝問は息を呑んだ。


皇甫軻もまた、自らの失言に気づいたのだろう。


ハッと表情を変えると、すぐに片手で胸元を押さえ、薄い唇を真一文字に結んで固く口を閉ざしてしまった。


「……すみません」


謝問は胸の痛みを押し隠し、今度は拒まれぬよう、そっと皇甫軻の手を包み込むように握り直す。


そして肩へ手を添え、優しくベッドの端へ座らせた。


揺れる蝋燭の灯の下。蒼白だった皇甫軻の頬には、夕焼け雲のような鮮やかな朱が差していた。


真っ直ぐ注がれる謝問の視線に耐えきれなかったのか、皇甫軻はそっと顔を背ける。


師の美しさは、四年前と何一つ変わっていない。


だが、こうして至近距離で、その横顔を遮るものなく見つめられたのがいつ以来なのか、謝問にはもう思い出せなかった。


拒まれ、すれ違い続けた日々が、胸の奥を鈍く締めつける。


「……ほんの少しだけ、私のわがままを許してください」


謝問の声音には、押し殺した情愛が滲んでいた。


皇甫軻は俯いたまま、何も答えない。


ただ、その手が寝具を白くなるほど強く握り締めていることだけが、胸中の激しい葛藤を物語っていた。


張り詰めた空気を破るように、謝問はわざといつもの気楽そうな笑みを浮かべる。


「明日になったら、師尊の気が済むまで殴るなり罰するなりしてください。謹んでお受けします。ですが今夜だけは、私に付き合って我慢してもらいますよ」


皇甫軻は怪訝そうに眉を寄せ、顔を上げた。


「……何をする気だ」


謝問は答えず、掛け布団を豪快に跳ね上げると、そのままベッドへ潜り込む。


「さあ師尊、早くこちらへ。賊が網にかかるまで、私たちは眠ったふりをするんです。一網打尽にするためにね」


ベッドの端に取り残された皇甫軻の顔に、言葉にならない動揺が走った。


「……もしお前の考え違いで、今夜何も起きなかったらどうする?」


謝問は布団からひょっこり顔を覗かせ、悪戯っぽく、それでいてどこか切なげな瞳で師を見上げる。


「その時は……こうして二人、一つの布団で朝まで語り明かすだけですよ。四年前みたいに」


皇甫軻は拳を固く握り締め、歯を食いしばった。


「不埒者め……わざとやっているな」


「滅相もない。ただの芝居ですよ。それに、師尊と並んで眠るなんて、今さら恥じらうことでもないでしょう?四年前、南華山の麓では、私たちは毎日こうして同じ寝床で眠っていたんですから」


「あの頃と今とでは……何もかも違う……!」


皇甫軻の細い声が、焦燥に震える。


「師尊――」


謝問は甘えるように語尾を伸ばし、皇甫軻の白い衣の裾をぐっと掴んで引いた。


振り返ったその瞬間、皇甫軻の視線は、まるで捨てられた大型犬のように哀願する謝問の瞳と真っ向からぶつかる。


精悍で英気に満ちたその顔立ちの中に、四年前の、真っ直ぐで情熱的だった少年の面影が鮮烈によみがえった。


胸に渦巻いていた怒りは、行き場を失って霧散する。


皇甫軻は深いため息をつき、自分がすでにこの愛弟子の仕掛けた「罠」から逃れられないことを悟った。


諦念とともにベッドへ足を入れ、謝問のすぐ隣へ身を横たえる。


最初は、二人とも微動だにしなかった。


謝問は寝返りを打ち、皇甫軻の華奢な背中を穴が開くほど見つめ続ける。


どれほど時間が流れただろうか。


やがて謝問は意を決したように、ゆっくりと手を伸ばした。


その指先が、皇甫軻の肩へそっと触れる。


「……師尊?」


拒絶の言葉は返ってこない。


師が静かに目を閉じ、拒む様子を見せないことに気を良くした謝問は、さらに大胆にその手を滑らせていく。


そして――皇甫軻の細い腰を、後ろからそっと、優しく抱き締めた。


その瞬間、皇甫軻の美しい眉が、苦痛に耐えるように激しく跳ね上がった。


だが彼は一言も発せず、謝問の無遠慮な行為を黙って受け入れる。


謝問の身体が触れた瞬間から、皇甫軻の五臓六腑には、心臓を無数の刃で抉られるような、文字通り『錐心の激痛』が荒れ狂っていた。


血の気を失った唇を必死に噛み締め、全身の真気を総動員して、のたうち回りそうな痛みを懸命に押し殺す。


だが、暗闇の中で背を向ける皇甫軻のその壮絶な苦闘を、背後から抱き締める謝問が知る由もない。


謝問はただ、最愛の人の体温を壊れ物のように感じながら、それ以上の無礼を働くまいと、腕の力をわずかに緩めて抱き続けていた。


これこそが、師が自分に許してくれた最大限の『譲歩』なのだと信じて。


謝問は枕元へ手を伸ばし、揺れていた蝋燭の火をふっと吹き消した。


視界が完全な闇に沈んだ瞬間、二人の意識は、あの眩しいほど幸福だった四年前の記憶へと、深く溶け落ちていった。


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