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第十章

「では……何者かが意図的に、あの男に蠱毒こどくを仕込んだと?」


謝問の問いに、皇甫軻は静かに頷いた。


「おそらくはな」


皇甫軻は立ち上がると、傍らの若い道士たちへ視線を向けた。


「初照、子曦。その者の身体を支えよ。私が内功ないこうを送り、体内の蟲を追い出す」


「はい!」


二人が言われた通りに怪物の身体を真っ直ぐに抱え起こすと、皇甫軻は呪訣じゅけつを唱え、男の背掌に向けて一撃を叩き込んだ。


数瞬の後、男の首筋にある黒ずんだ穴から、うじほどの大きさの、五彩にきらめく極彩色の蟲が這い出してきた。蟲は慌てふためいた様子で、草むらの中へと逃げ込もうとする。


「逃がすかッ!」


李初照が即座に足を突き出したが、蟲の動きは驚くほど機敏だった。夜の闇も災いし、一瞬にしてその姿を見失ってしまう。


「くそっ、私の反応が遅かったばかりに……!踏み潰しておかねば、また新たな犠牲者が出るやもしれません」


悔しがる李初照を、皇甫軻は淡々といなした。


「案ずるな。傀儡蟲が自ら人を襲うことはない。宿主を失えば、一刻と持たずに干からびて死ぬ」


謝問は眉をひそめた。


「ですが、もしあの蟲を操る黒幕が、別の者を次々と狙った場合はどうなるのです?」


「害意を持つ者が糸を引いている以上、一匹を殺したところで、蟲がまた現れるだけだ」


皇甫軻の涼やかな目に、ふっと凍てつくような寒気が宿る。


「問題の本質は蟲ではない。蟲を操る『術者』を見つけ出さねば、根本的な解決にはならん。……今の我々にできるのは、ここまでだ」


謝問は沈黙した。師の言う通りだ。


敵は闇に潜み、自分たちは白日の下に晒されている。握っている手がかりがあまりにも少なすぎる。朔の身の安全を本当に守るためには、何としても彼を狙う黒幕を突き止めなければならない。


遺体の傍らで、魂を抜かれたように俯いている朔を見つめ、謝問は無意識のうちに拳を固く握りしめた。


――◇◇◇――


長い夜が、ようやく明けようとしていた。


さい家の人々に涙を流して感謝されながら、一行は男の遺体を丁重に葬り、宿へと戻った。


薄明かりが差し込む客室。


修羅場をくぐり抜けた朔は、まるで霜に当たった茄子のようにすっかり気落ちし、ベッドの端に腰掛けてぼんやりと窓外を眺めていた。


謝問は熱い湯を張った木桶を運び、湿らせた手拭いで朔の顔の血汚れを拭い始めた。


特に首筋に深く刻まれた歯痕は、汚れを洗い落としても、なお痛々しく赤黒く腫れ上がっている。この傷跡は簡単には消えまい。下手をすれば、生涯残る傷になるかもしれなかった。


湯の中で黒く溶け出していく血の塊を見つめながら、謝問の胸に重苦しい塊がわだかまる。彼は一度汚水を捨てに行き、再び新しい湯を汲んで戻ってきた。


初冬が近づき、朝晩の寒さは肌を刺す。


朔の手足は、骨格こそ若者だが肌はきめ細かく、しかし今は氷のように冷え切っていた。謝問がその足を温かい湯に浸してやった時、朔が蚊の鳴くような声で呟いた。


「お兄さん……さくは、悪い子なの?」


謝問が顔を上げると、朔は八字眉をこれ以上ないほど情けなく下げ、縋るような目でこちらを見つめていた。


「どうしてそんなことを言う?」


「だって……さくが、『こうこうこう』を殺しちゃったから……」


朔の声が微かに震える。


この世に生を受けて以来、危機に瀕するたびに朔が真っ先に思い浮かべたのは、あの男の存在だった。


そして男の側も、死してなお蟲に操られながらも、最期まで朔を守ろうとしていた。主従を超えた二人の絆の深さは、謝問にも痛いほど伝わっていた。


普段は何も考えていないように見える朔だが、彼もまた血の通った、傷つく心を持った一人の人間に違いなかった。


あの瞬間、かつて最も親しかった者の後頭部へ利刃を突き立てた時、この少年がどれほどの恐怖と絶望に駆られたか、謝問には想像もつかなかった。


朔にしてみれば、男がすでに死人であったことなど知る由もない。自分の手で、大好きな人間の息の根を止めてしまったと思い込んでいるのだ。


「朔、よく聞きなさい」


謝問は朔の目を真っ直ぐに見据え、一言一句を噛み締めるように告げた。


「あんたがあの人を殺したんじゃない」


「さくが、やってない……?」


謝問は力強く頷いた。


「そうだ。あの人は、とっくに悪い奴らに殺されていたんだ。そればかりか、あの悪党どもは死んだあの人の身体を操り、あんたや俺の命まで奪おうとした。すべての罪は、その企みをもくろんだ『黒幕』にある。分かるか?」


「くろまく……わるいやつ……?」


記憶を失った朔にとって、その言葉は少し難解すぎたようだ。彼は困惑したように不細工な頭を掻いた。


「よくわからないけど……お兄さんが言うなら、さく、覚える」


謝問は朔の手の甲を優しく叩いた。


「いつか必ず、あんたはすべてを思い出す。その時が来れば、すべての真相が明らかになるはずだ。もしあんたが思い出せなくても、この俺が必ず見つけ出してやる」


「本当?さくが思い出したら、あの悪い奴を、やっつけられる?」


「ああ。だからあんたが今すべきことは、泥のように眠って体力を蓄えることだ。一日も早く記憶を取り戻して、あの人の仇を討つためにな」


それでもまだ暗い顔をしている朔を見て、謝問はわざと悪戯っぽく、湯に浸かった朔の足の裏をくすぐった。


「ひゃあうっ!?」


不意打ちを食らった朔は、驚きのあまり湯の中で足を跳ね上げ、バシャリと景気よく謝問の顔面に湯を浴びせた。


「このガキ……!よくも人の顔に足洗いの湯をかけやがったな!」


謝問は怒ったふりをしてベッドに這い上がり、朔を組み伏せると、その脇腹を一心不乱にくすぐり始めた。


「あははははっ!くすぐったい……さくが、あははは!悪かったから!許してぇ!」


謝問の下敷きになった朔は身悶えし、手足をバタつかせながら必死に許しを請う。その萎びた葉のようだった不細工な顔に、ようやくいつもの無邪気な笑顔が弾けた。


醜い顔も見慣れてくれば、美意識など簡単にひっくり返るものらしい。


謝問は朔のこの笑顔が好きだった。彼が笑う時、その眉宇には一切の濁りがない純粋無垢な光が宿る。その声も、驚くほど清らかに響くのだ。


二人はベッドの上でしばらくじゃれ合っていたが、やがて朔は心の重荷が取れたのか、急激な睡魔に襲われ、深い眠りへと落ちていった。


謝問は足音を忍ばせて掛け布団を整えてやると、静かに部屋を後にした。


一歩、廊下へ踏み出した。


そこには――朝靄あさもやの薄闇の中、皇甫軻が静かに佇み、謝問の方を振り返っていた。


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