第6話:廊下の囁きと涼太の影
男子トイレに飛び込んだ浅美は、一番奥の個室の鍵を閉め、ドアに背中を預けた。そのまま冷たい床にへたり込む。男としてのプライドも傷ついたが、何より光の評判を傷つけてしまったことが苦しかった。
バタン!
突然、男子トイレの外ドアが勢いよく開き、浅美の心臓が跳ね上がった。
「浅美! 中にいるんでしょ?! 出てきなさいよ!」
鋭く毅然とした声……大樹ではない。凛の声だ!
「た、橘さん?! ここ男子トイレだよ! 入ってきたら違反ポイントが……!」
「違反ポイントなんて知るか! あんたの鈍感ポイントの方がマイナス点よ!」凛がドア越しに叫ぶ。
「悩み過ぎたアニメの主人公みたいにトイレに逃げ込むようなドラマチックな行動、話さんを余計パニックにさせるだけだって分かってんの?!」
「でも……高橋くんの言った通りなんだ」浅美の声が小さくなる。「昨日の写真……話さんが僕のせいで噂になって……僕はただのモブで、彼女に何も与えられない。一緒にいたら迷惑がかかるだけだ……」
バン!
個室のドアが優しく、けれど確実に叩かれた。今度は、ずっと柔らかく、震える声が聞こえてきた。
「浅美くん……」
ドクン。浅美の心臓が止まりそうになる。
「は、話さん?! 君まで男子トイレに入ってきたの?!」
「う、うん……」光の声は恥ずかしそうだったが、強い意志が込められていた。
「凛ちゃんが入口で見張ってくれてるから……。でも、ここがどこだろうと関係ないよ、浅美くん。お願い、ドアを開けて……」
「ダメだよ、話さん。これ以上変な噂が立ったら……。僕たちは住む世界が違うんだ。君はライトノベルの表紙を飾るヒロインで、僕の存在なんて……」
外で凛が派手に額を押さえた。
「はぁ……勝手にネガティブモードに入っちゃって、まったく」
「浅美くん」光はドアに頬を押し付けるように声をかけた。「よく聞いて。私、涼太先輩が何を言おうと、周りがどう噂しようと気にしない。私の評判が悪くなるのは、あなたと一緒にいるからじゃない……」
光は深呼吸をし、頬を真っ赤に染めながら決意を固めた。
「……私が悲しいのは、周りの意見のせいで浅美くんが急に遠ざかって、私を他人みたいに扱うことなの! だからドアを開けて……じゃないと凛ちゃんに壊してもらうから!」
(なんで……なんでそんなに優しいんだよ……)
浅美の胸の奥の緊張が、彼女のまっすぐな言葉によって溶けていく。浅美は降参するように息を吐き、鍵を外した。
ガチャ。
ドアが少し開き、申し訳なさそうな浅美の顔が覗く。目の前には、腕を組んで少し目を潤ませた光が立っていた。怖がるどころか、とびきり愛らしい拗ね顔で浅美を見つめていた。
反撃の戦略と緊急「デート」計画
「今度からはね」光は小さな人差し指で浅美の胸を突いた。「何かあったら私に話して。こんな変な匂いのする場所に逃げ込まないで!」
「学校のトイレだよ、話さん……芳香剤の匂いだし、変じゃないよ……」浅美は小さく反論した。
「黙りなさい! 私をパニックにさせた罰として、あなたは今説教中なの!」光は頬を膨らませて腕を組んだ。
ドアフレームに寄りかかる凛は、個室の前で男子を叱りつける「学校の宝石」という奇妙な光景に呆れ果てていた。
(気まずいし怖い hazu なのに……)浅美は光の表情を見つめた。(なんでこんなに胸が温かいんだろう。全校生徒の視線の中で、彼女だけが僕の存在を肯定してくれる……)
「はいはい、トイレのメロドラマはそこまで」凛がスマホを見ながら割り込んだ。「学年グループが荒れてるわ。涼太のやつ、バスケ部での立場を利用して浅美を追い詰める世論を作ってる。このまま黙ってたら、浅美は卒業まで陰湿ないじめに遭うわね」
「そんなことさせない!」光が素早く言った。瞳には燃えるような闘志が宿っている。「凛ちゃん、撤回させなきゃ!」
「どうやって? 深々と頭を下げて謝罪動画でも撮って学校のSNSにアップする?」浅美が自虐的に言った。
「違う!」光は胸の前で小さな拳を握り締め、浅美を真っ直ぐ見つめた。「状況をひっくり返すの。私たちが二人で歩くのが珍しいと思われるなら……それが当たり前になるようにすればいいんだよ!」
浅美と凛は目を丸くした。
「ど、どういうこと、話さん?」
光の唇に、少し悪戯っぽい——けれど最高に可愛い笑みが浮かんだ。
「今日から毎休み時間、1-Aの教室に行くね。昼休みは屋上で一緒にご飯を食べるの。そして今週の土曜日……」
光はわざと言葉を区切り、浅美へ一歩近づいた。
「また二人でお出かけするの。雨が降ったからじゃなくて、私が正式にあなたを誘うんだから!」
(待って……息が止まりそう。顔が近すぎる……! フレッシュなヴァニラの甘い香り……なんでこんなにキラキラした人が、僕みたいな存在を求めるんだ……?!)
浅美の頭の中は大パニックだった。
「ええっ?!」浅美は思わず叫び、手を口に当てた。「ま、待って! それじゃ火に油を注ぐんじゃ……!」
「その油、私がまとめて燃やしてあげる!」光は微かな迷いもなく宣言した。「涼太先輩の子供っぽい脅しなんて、私には一切通用しないって教えてあげるの!」
部屋の隅で凛が満足そうに手を叩いた。「素晴らしいわ、話さん心衛委員長。支持するわ。涼太の苦虫を噛み潰したような顔が見られるなら最高のボーナスね」
「で、でも話さん……君の評判が……」
「私の評判は私の問題だよ、浅美くん」光は優しく言葉を遮った。怒りは消え去り、浅美を射抜くような温かい瞳に変わっていた。光は小さな手を伸ばし、浅美の制服の袖をそっと掴んだ。
「それに……浅美くんの近くにいても、私の価値なんて下がらないよ。むしろ……あなたと一緒にいる時が、一番自分らしくいられるんだから」
(神様……これがストレスで見ている幻覚なら、どうか覚めないでくれ……)
浅美の頭からは湯気が出そうだった。
パシャッ!
突然、トイレの入口からカメラのシャッター音が響いた。
三人は固まり、一斉に振り向いた。そこには、スマホを右手に掲げた吉田大樹が、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「だ、大樹?!」
大樹は唾を飲み込み、男子トイレの中で学校のトップ美少女二人 囲まれている親友を見つめた。
「浅美……」大樹の声が劇的に震えた。
「お前がトイレで自殺でもするんじゃないかって心配して探しに来たら……中でハーレム作ってただと……?! この裏切り者ーっ!」
「違うんだよ大樹! 誤解だーーッ!」
浅美の悲鳴が響く中、光は手で口を覆いながら、可愛らしくクスクスと笑っていた。




