第9.2章:祭りのあとに、小さな約束を : 後編 : 部屋の灯りと新しい月曜日へ
静涼南のバス停に四番系統の最終バスが静かに停車した。エアブレーキの吐き出す排気音に見送られながら、朝陽はゆっくりとステップを下りた。住宅街を包み込む夜気は冷たさを増していたが、胸の奥で灯った温かな火は少しも消える気配がなかった。
見慣れた路地裏を歩く朝陽の足取りは、いつになく軽やかだ。かつては俯きながら、周囲の目を逃れるように歩いていたこの道。しかし今夜は、アスファルトを踏みしめる一歩一歩に確かな手応えと誇りを感じていた。
カチャリと静かに玄関の鍵を回す。
「ただいま……」
家族を起こさないよう声を潜めたつもりだったが、リビングの明かりは煌々とついていた。ソファの上では妹の結衣がクッションを抱えてゲームのコントローラーを握り締め、テーブルでは母の恵美が洗濯物をたたんでいる。
「あら、ご到着! 我が家のアオハル主人公!」結衣がすぐさまゲームを中断し、コントローラーで朝陽を指さした。
「夜の十時十五分! お母さん見てよ、普段なら八時には部屋に引きこもるお兄ちゃんが、こんな時間まで連れ回されてる!」
「結衣、からかうのはやめなさい」恵美は優しく宥めつつも、目元にイタズラな笑みを浮かべて立ち上がった。
「おかえり、朝陽。楽しかった?」
朝陽は靴を脱ぎながら、照れくさそうに視線を泳がせた。
「あ、うん……楽しかったよ。ちゃんと家の前まで送ってきたから遅くなっちゃって」
「ほらね! 送り狼じゃなくて紳士気取り!」結衣がさらに茶化す。
「で、どうだったの? デート服の光ちゃん、可愛くて直視できなかったでしょ?」
「ゆ、結衣! 余計なこと言うな!」朝陽は顔を真っ赤にして逃げるように二階への階段を駆け上がった。
「お風呂入って寝る! おやすみ!」
「あはは! トマトみたいに真っ赤!」後ろから結衣の爆笑と、母の呆れたような笑い声が追いかけてくる。
「朝陽」階段の途中で、母の声が優しく響いた。
朝陽が足を止めると、恵美は温かな眼差しで見上げていた。
「勇気を出して外へ踏み出してくれて、ありがとうね。今夜のあなたの目、すごくキラキラしてるわ」
胸が熱くなった朝陽は、小さく頷いた。
「……うん。おやすみ、お母さん」
自室に入り、風呂を済ませた朝陽はベッドの上に身を投げ出した。六畳間の静けさの中で、壁の時計がカチカチと十一時を刻んでいる。朝陽は右手をかざし、天井の灯りの下で己の小指を見つめた。数時間前、光の華奢な指と深く絡め合った記憶が、鮮明に蘇る。
(俺は約束したんだ……。もう逃げない。光を一人にはさせない)
その時、枕元でスマホがブッと震えた。画面を開くと、連絡先の名前に『光』と表示されたチャットが届いていた。
『朝陽くん、無事に家に着いた? お母さんと葵が、さっきの「大好き」の言い間違いをまだからかってくるの……驚かせちゃってごめんね!』
朝陽はベッドの上で思わず吹き出し、画面をタップした。
『今お風呂から上がったところだよ。ご家族、すごく優しくて温かい人たちだね。俺の方こそ緊張して固まっちゃって恥ずかしかったよ』
すぐに既読がつき、返信が返ってくる。
『ふふ、お母さんもお父さんもしっかり朝陽くんのことを気に入ったみたい! 今度はお茶しにおいでって! ……あとね、約束、忘れないでね? 月曜日の朝、校門前で待ってるから。一緒に教室まで歩こうね!』
朝陽は深く息を吸い込み、胸に宿る決意を文字に込めた。
『うん、絶対に約束する。月曜日の七時四十五分に校門前で待ってるよ。おやすみ、光』
『おやすみなさい、朝陽くん! 甘い月曜日を楽しみにしてるね✨』
画面を閉じ、朝陽はスマホをサイドテーブルに置いた。横になって目を閉じると、窓の外には夏の夜空と星々が広がっている。廊下の噂も、他人の視線も、もう怖くはなかった。胸の中に灯った小さな約束が、朝陽の明日を強く照らしていた。




