第9章:祭りのあとに、小さな約束を : 前編 : 歩み寄る足音と夜風のささやき
清涼川のほとりにある丘の上。夜空高くに打ち上げられた最後の巨大な金と赤の大輪が、ゆっくりとその余韻を消していく。今年の花火大会のフィナーレを告げる打上花火だった。薄い灰色の煙が上空の深い闇へと溶け込んでいく。川岸を埋め尽くしていた何千人もの観客からの歓声や拍手も、時間の経過とともに次第に収まっていった。
さっきまで一つに固まっていた人波は、少しずつ小さなグループへとほぐれていく。眠そうにする子どもの手を引く家族連れ、楽しそうにおしゃべりを続ける中高生のグループ、そして寄り添いながら駅の方向へと歩き出す若いカップルたち。
夜店に沿って吊るされた赤や黄色の紙提灯が、店主たちの手によって一つ、また一つと消灯されていく。焼きイカやタコ焼き、綿菓子の芳ばしく甘い香りは、川沿いの冷気をはらんだ夜風にかき消されていった。
家路につく人々の足音が響く中、西条朝陽と話光は、幹線道路の歩道を並んで歩いていた。
芝生の丘に立っていたときには固く結ばれていた二人の指先は、今では数センチほど離れている。けれど、花火の光の下で感じた光の掌のぬくもりは、今も朝陽の右手に焼き付いたままだ。歩を進めるたび、朝陽の水色のシャツの袖が、光の薄いニットカーディガンにふと触れ合う。そのたびに、朝陽の胸は大きく波打った。夕方、藤島亮太と対峙して以来、完全には落ち着いていなかった心臓の鼓動が、再び激しく鳴り響く。
朝陽は横顔を盗み見た。街灯の温かい黄色い光が、光の表情を優しく照らしている。小花柄が散りばめられたクリーム色のワンピースが、夜風を受けるたびにふんわりと揺れた。一日中歩き回った疲労感がかすかな吐息に滲んでいるものの、その澄んだ茶色の瞳には、まだ喜びの余韻がはっきりと宿っていた。
(本当に……光と一緒に歩いてるんだ……)
朝陽は胸中で呟き、手の震えを隠すようにリュックのストラップを強く握りしめた。
(数日前までの俺は、クラスの隅で目立たないように、誰からも嘲笑われないように必死だったただの陰キャだったのに。それが今夜は……一日中デートした後に、こうして彼女を家に送ってる。悪夢が一気に人生一番の幸せな夢に変わったみたいだ)
「朝陽くん……」
静寂を破るように、光が優しく声をかけた。夜風を切り裂いて届くその声は涼やかで、彼女の明るい茶色の髪を軽やかに揺らしていた。
朝陽はハッと我に返り、必死に呼吸を整える。
「あ、うん。どうしたの、光?」
彼女の名前を口にするとき、一瞬の躊躇いが生まれた。
首元から両耳の先端へと、一気に熱が駆け上がっていく。今日の昼間、水族館の中で、光から「苗字の『話』じゃなくて、名前で呼んでほしい」とはっきりお願いされたのだ。そして『光』という名前が唇からこぼれ落ちるたび、朝陽は二人の関係にある大きな境界線を飛び越えているような感覚に陥るのだった。
光は少し顔を背け、前髪の隙間から朝陽の横顔を見つめた。その薄い唇に、限りなく柔らかく、誠実で温かい笑みが浮かび上がる。
「今日、本当にありがとう」
光はかすかに微笑み、アスファルトを踏みしめるサンダルのつま先を見つめた。
「私……すごく楽しかった。本当に嬉しくて、この土曜日が終わってほしくないって思っちゃうくらい。正直に言うとね、今朝出かける前、私、死ぬほど不安だったんだよ?」
「不安?」朝陽は不思議そうに目をパチクリさせ、隣の光を見つめた。
「どうして?」
光はくすりと笑った。
「不安になるでしょ! 朝陽くんの性格、知ってるんだから。考えすぎるし、すぐに自分なんてって落ち込むし、問題が起きるとすぐ引きこもろうとするじゃない? だから今朝、『昨日の図書館での約束、急にキャンセルされたらどうしよう』とか『藤島先輩が流した噂を怖がって、部屋に閉じこもっちゃったらどうしよう』って心配で……。駅前で朝陽くんが現れなかったときのために、プランBを10個くらい考えてたんだから!」
その素直な打ち明け話を聞いて、朝陽は恥ずかしそうに頭の後ろをかいた。
「うぐっ……俺って、そんなに信用なかったんだ……」
「当たり前でしょ!」光は楽しそうに茶化した。
「でもね……私の予想は、見事に大外れだった。」
朝陽は少しうつむき、街灯の光によって歩道の上に長く伸びる二人の影を見つめた。「俺だって不安だったよ、光。ううん、君以上にパニックになってたかもしれない。」
「えっ? 本当に?」光は少し体を乗り出し、好奇心に満ちた瞳で朝陽を覗き込んだ。
「本当だよ」朝陽はかすれた声で言い、冷たい空気の中で小さな白い息を吐き出した。
「金曜日の放課後から頭が破裂しそうだった。似合う服を探すために押し入れを3回もひっくり返したし、大樹には何度も電話して呆れられた。昨日の夜なんて、ネットでヘアセットの動画を見てたら朝の2時になっちゃって……」
情けない秘密を暴露してしまった恥ずかしさで一瞬言葉を詰まらせたが、朝陽は勇気を振り絞って続けた。
「怖くてたまらなかったんだ、光。格好悪い姿を見せたらどうしよう、退屈な場所に連れて行っちゃったらどうしようって。そして一番怖かったのは……俺が隣にいることで、他の学校の奴らから君がもっとバカにされたりすることだった。でも……そんな不安、全部吹き飛んだよ。今日は……俺の人生で一番幸せで、忘れられない日になった。」
光は大きく目を見開いた。朝陽の口からあふれ出たまっすぐな言葉に、一瞬足が止まる。胸の奥から深い感動が込み上げ、目元がじんわりと熱くなった。
「ほらね! だから私を信じてって言ったでしょ!」光は誇らしげに胸を張り、眩しい笑顔を向けた。「それに……今日の髪型、すごく似合ってるよ。服のセンスもバッチリ。いつもと違って、すごくカッコいい。」
「も、もう褒めないでくれ!」朝陽は照れ隠しに視線を逸らした。
「学校一の有名人の隣を歩くのに、恥ずかしくないように必死だっただけなんだから。」
「あはは! パニックになってる朝陽くん、ホント可愛い」光はくるりと振り向くと、朝陽の前を後ろ向きで歩き始め、ワンピースを綺麗にたなびかせる。「ねえ、朝陽くん……今日いろいろあった中で、何が一番驚いて、一番嬉しかったか分かる?」
朝陽は後ろ向きに歩く光にぶつからないよう歩調を緩めた。
「水族館のとき? それとも、かき氷を食べたとき?」
「ううん!」光は首を大きく横に振った。
「今日の夕方、公園で私をかばって、藤島先輩の前に立ってくれたときだよ。」
ドクン。朝陽の心臓が跳ね上がった。夕方の公園での出来事が脳裏に鮮明に蘇る。
「ひ、光……お願いだからもう思い出させないでくれよ」朝陽は視線を落とした。
「あの時は……ただ無鉄砲だっただけだ。空さんと凛さんが助けに来てくれなかったら、俺、もっと追い詰められてたかもしれないし……」
「でも、逃げなかったじゃない!」光が強い口調で言葉を遮った。彼女は後ろ歩きをやめ、朝陽のわずか二歩前で真っ直ぐに立ち止まる。
「木曜日の廊下で噂が広まったとき、朝陽くんはうつむいて屋上へ逃げたよね。自分を責めて、私から離れようとした。でも今日の夕方……大勢の人がいる前で、みんなが怖がる藤島先輩の前で、朝陽くんは一歩踏み出した。私のすぐ前に立ってくれた。」
光が一歩歩み寄る。
街灯の光が、感動に揺れる彼女の瞳を照らし出した。
「あの時、私の前に立った朝陽くんの背中を見て……すごく大きく見えたの。すごく温かくて、安心できた。あの瞬間に確信したんだ……私の気持ちは間違ってなかったって。私が選んだ男の子は、みんなが言うような臆病者なんかじゃないって。」
光の言葉が、朝陽の心の奥深くにじんわりと染み渡っていく。劣等感も、過去の暗い影も、一瞬にして跡形もなく崩れ去った。
朝陽は深く息を吐き出した。冷え込んできた夜気が肺を満たし、不思議なほどの安らぎをもたらす。朝陽は足を動かし、二人の間の距離を詰めた。前髪の隙間から覗く黒い瞳には、静かで深い決意が宿っていた。
「俺は、自分がすごい人間だからそうしたんじゃないんだ、光」朝陽は低く落ち着いた声で告げた。
「耐えられなかったからだ。藤島先輩たちが君の努力をバカにするのも、君がどれだけまっすぐで、今日どれだけ楽しそうにしていたかを踏みにじるのも許せなかった。そして何より……昨日の図書館で自分に誓ったんだ。君を泣かせたり、一人にしたりすることは二度とするもんかって。」
光は息をのんだ。朝陽の言葉に込められた強い意志に、美しい瞳が大きく見開かれる。白い頬が一気に朱に染まった。
「俺は……相変わらずつまらない陰キャで、目立たないかもしれない」朝陽は視線を逸らさなかった。
「でも……君のことが大切なんだ。すごく、大切なんだよ、光。だから頼むから……自分を責めたり、君が隣にいることが俺の負担になってるなんて、二度と思わないでくれ。」
住宅街の角に、静寂が降り積もる。二人の前方、50メートルほど先に話家の邸宅が見えてきた。
光は俯き、幸せな笑顔を噛み締めた。そして再び顔を上げ、心からの信頼を込めて朝陽を見つめ返した。光はゆっくりと右手をつき出し、華奢な小指を差し出す。
「じゃあ……ここで、正式な約束をして?」光は甘く囁いた。
「今夜のお祭りの陰で交わす、小さな約束。私たちの道のりは……まだ始まったばかりでしょ、朝陽くん? 月曜日からの学校では、もう廊下でうつむいて歩かないこと。噂が流れても逃げ込まないこと。そして一番大切なのは……これからもずっと隣同士で歩いて、新しい新学期も、その先の季節も、一緒に乗り越えていくこと。……どうかな?」
朝陽は夜風に揺れる光の小指を見つめた。かつては灰色だった自分の未来が、今、色鮮やかな光で満たされていく。
朝陽は一切の躊躇いもなく右手を上げ、光の華奢な小指へと優しく自分の小指を絡め合わせた。親指同士がそっと重なり合う。
「うん」朝陽ははっきりと頷き、心からの優しい微笑みを浮かべた。
「約束するよ、光。」
二人は指を絡ませたまま見つめ合った。夏の夜風が優しく吹き抜け、残されたのは、新しい季節を迎えるために固く結ばれた、二つの心だけだった。
初めまして、プトラ_SP13(Putra_SP13)です!
数ある作品の中から『かけがえのない宝石にたどり着く、僕の旅の物語』に目にとめていただき、ありがとうございます。
【※読者の皆様へ(お知らせ)】
本作品は、インドネシアの著者が執筆したオリジナル小説を日本語に翻訳してお届けしている作品です。
カクヨムおよび「小説家になろう」にて同時に連載を行っております。
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