第49話:処分の撤回
事件から数日後。
警視庁本庁、大会議室。
重苦しい空気が漂っていた。
窓の外は晴天だが、室内は嵐の前の静けさだ。
「……口元裂(Subject-K)の廃棄処分を決定する」
上層部の幹部が、冷淡な声で宣告した。
今回の事件で、彼女の力が強大すぎることが証明されたからだ。
九尾の狐すら単独で撃破する戦闘力。それは国家にとって脅威でしかない。
制御不能な兵器は、処分するしかない。それが組織の論理だ。
管理できないリスクは排除する。公務員的な発想だ。
「異議あり!」
バンッ!
会議室のドアが乱暴に開かれた。
全身包帯だらけの九条と、胃薬を飲みながらの課長だった。
九条は松葉杖をついているが、その目は燃えている。
「九条巡査? 君に発言権はない。退出しなさい」
「あります! 私は現場の責任者です! 当事者の声を聞いてください!」
九条が書類の束をテーブルに叩きつけた。
紙吹雪のように舞う報告書。
「これは今回の事件の報告書です。彼女がいなければ、東京は壊滅していました! 彼女は英雄です! 彼女が命懸けで戦ったから、あなたたちは今、そこでコーヒーを飲んでいられるんです!」
「しかし、彼女は危険だ。いつ暴走するとも限らない」
「危険なのは、彼女を『兵器』としてしか見ないあなたたちだ!」
九条が叫ぶ。
普段の温厚な彼からは想像もできない剣幕に、幹部たちがたじろぐ。
「彼女はただの怪異じゃない。心を持っています。怒り、笑い、そして信頼に応えてくれる。私の相棒です! 道具じゃない、パートナーなんです!」
「……感情論だな。警察官にあるまじき失言だ」
「感情論で何が悪い! 恐怖を食べる怪異を御するには、信頼という感情が必要なんです! データや理屈だけで彼女は縛れません! 彼女をつなぎとめているのは、鎖ではなく絆なんです!
彼女の心臓に銃口を向けるのではなく、背中を任せること。それが唯一の制御方法なんです!
管理ではなく、共存。それが新しい時代の対怪異プロトコルです!
怪異を否定すれば、彼らは『闇』に逃げ込み、より強大な『恐怖』となって帰ってくる。
認めるんです。受け入れるんです。彼らもまた、この街の住人なのだと!」
九条の熱弁。
空気が変わる。
課長も援護射撃する。
彼は眼鏡の位置を直し、冷静に切り出す。
「えー、補足しますと……彼女の破壊した公共物の賠償金ですが、今回の作家のアジトから押収した財産(隠し金庫の金塊等)で全て補填できます。むしろお釣りが来るレベルです。来年度の予算も黒字です。彼女は優秀な集金マシーンでもありますよ」
「……金の問題は解決か」
幹部たちの顔色が少し変わる。現金なものだ。
「それに、彼女を処分すれば、彼女を慕う他の怪異たち(天狗や河童、人面犬など)が一斉蜂起する可能性があります。彼らは『口裂け姐さん』を慕っていますからな。いわば怪異連合のトップです。彼女を敵に回すということは、日本の全妖怪を敵に回すことと同義です」
「む……それは困る。同時多発テロは防がねば」
九条は最後に付け加えた。
決定的な脅しを。
「何より、彼女を怒らせたら、このビル……いや、警視庁ごと物理的に消滅しますよ? 誰が彼女の首に鈴をつけるんですか? SATでも機動隊でも止められませんよ?
核ミサイルと交渉できますか? 台風に手錠をかけられますか?
私が止めなければ、今頃ここは更地ですよ? 彼女の『機嫌』という名の安全装置を握っているのは、世界で私一人なんです!」
「…………」
沈黙が支配した。
誰も、口裂け女と戦いたくはない。それが本音だった。
保身が正義に勝った瞬間だ。
「……処分は『無期限の保留』とする。引き続き、特対課・九条巡査の監視下に置くものとする。全責任は君が負え」
「……了解しました!」
勝った。
九条はガッツポーズをした(心の中で)。
首の皮一枚で、相棒との日常を守り抜いたのだ。




