第41話:神隠しの正体
作家のアジトと目される廃工場。
湾岸エリアにひっそりと佇むその建物は、外見こそ朽ち果てた工場だが、一歩足を踏み入れると、そこは異界だった。
空気が冷たく、重力が曖昧だ。
「……空間が歪んでる」
九条が足元を見る。
コンクリートの床が、アメーバのように蠢いている。
壁の距離感が狂い、遠近感が機能しない。エッシャーの騙し絵の中に迷い込んだようだ。
三半規管が狂い、吐き気を催す。
「神隠しの正体よ」
裂が鋏を床に突き立てる。
ギャアアアッ!
床から悲鳴のような音がした。空間そのものが生きているようだ。
「ここは現世と異界の隙間。過去に『神隠し』で消えたとされる人々が、時を止められて保存されている場所。コレクションルームね」
工場の壁には、無数の人間が埋め込まれていた。
ホルマリン漬けの標本のように、壁の中に人がいる。
江戸時代の着物姿、明治の軍服、戦時中のモンペ姿、そして現代のスーツ姿。
全員が生きたまま、時の牢獄に閉じ込められている。
彼らの体には埃一つ積もっていない。時間が止まっている証拠だ。
恐怖の表情で固まったサラリーマン、何かを叫ぼうとしている女子高生。
その瞳は乾くことなく、永遠の涙を湛えている。
ここは「神隠し」という現象の墓場であり、標本室だ。
「……酷い。これ、生きてるんですか?」
九条が息を飲む。
中には、まだ幼い子供の姿もあった。ランドセルを背負ったまま、泣き顔で固まっている。
「作家は彼らの『絶望』や『未練』をインクにして物語を書いているのよ。人の魂を弄ぶ、最低の趣味ね。自家発電のエコシステムってわけ」
裂が怒りを露わにする。
彼女の殺気が、空間の歪みを強引に固定する。
恐怖で空間を上書きし、安定させたのだ。
「行くわよ、湊くん。一番奥に、あの変態作家がいるはずよ。とっちめてやるわ。延滞料金払わせないとね」
二人は工場の奥へ進む。
空間が捻れ、重力が狂う。
九条は何度も転びそうになるが、裂が腕を掴んで引っ張り上げる。
時には壁を歩き、時には天井を走りながら、最深部を目指す。
物理法則が仕事をしていない。
「ようこそ、私の書斎へ」
最深部の広間。
そこは、無限に続く図書館のようだった。
本棚が螺旋状に天まで伸びている。情報のバベルの塔だ。
その棚には、本ではなく「人の人生」がファイリングされていた。
背表紙には名前ではなく、『転落事故』『通り魔』『失踪』といった悲劇のタイトルが刻印されている。
ここは、この街で起きた全ての不幸のアーカイブなのだ。
その中央に、作家が優雅に座っていた。
彼の周囲には、おびただしい数の原稿用紙が雪のように舞っている。
一枚一枚に、誰かの悲劇が書き記されている。
「君たちが来るのを待っていたよ。これで役者は揃った」
作家がペンを指揮棒のように振るう。
「さあ、始めようか。私の最高傑作の執筆を。クライマックスの開幕だ」
すると、舞っていた原稿用紙が、鋭い刃となって襲いかかってきた。
紙とは思えない、カミソリのような切れ味を持つ、紙の嵐。
一枚一枚に込められた「不幸の物語」が、物理的な殺傷力を持って肌を切り裂く。
「痛っ……! かすり傷一つで、絶望感が流れ込んでくる……!」
九条が呻く。これは精神攻撃を兼ねた斬撃だ。
一斉に殺意を向けてくる。
「紙切れ一枚で私を殺れると思ってんの!? シュレッダーにかけてやるわ!」
裂が鋏で紙吹雪を迎撃する。
切り刻まれた紙片が舞い散る。
インクが血のように飛び散った。
最終決戦の幕が上がった。




