第38話:百物語の開演(後編)
「確保ぉぉぉ!」
九条が作家にタックルした。
身体ごとぶつかり、蝋燭の祭壇になだれ込む。
「確保」というより、捨て身の体当たりだ。
無数の蝋燭が倒れ、火が消える。
百物語の儀式が中断される。
黒い煙が上がり、焦げ臭い匂いが漂う。
「……野蛮だねぇ。もっとスマートに終わらせたかったんだけど」
作家は倒れ込みながらも、不気味に笑っていた。
眼鏡がズレているが、その目は冷静なままだ。
まるで、この展開すら想定内であるかのように。
口の端から血を流しているが、それを舐め取る舌は爬虫類のように長い。
「……素晴らしい暴力だ。君のその『必死さ』が、物語にリアリティを与えるんだよ」
「儀式は失敗だ。だが、種は蒔いた。もう芽吹いているよ」
「何を言っている!」
九条は作家の手首に手錠をかけた。
カチャリ、と冷たい音がする。
公務執行妨害、器物損壊、殺人教唆……罪状はいくらでもある。
法の裁きを受けさせなければ気が済まない。
「……見てみたまえ。美しいだろう」
作家が空を指差す。
東京タワーの先端。
そこに、巨大な黒い靄がかかっていた。
百物語で集めた恐怖心が凝縮され、渦を巻いている。
黒い太陽のように、光を飲み込んでいる。
「百物語はあくまで呼び水。本命は、人々の『恐怖心』そのものだ。それが臨界点を超えた時、最強の『概念』が生まれる。人々が望んだ終末の形だよ」
黒い靄が収束し、一つの形を成していく。
牛の体に、人の顔。
古来より伝わる、予言獣。しかし、そのサイズは怪獣並みだ。
その「人の顔」は、苦悶の表情を浮かべた老人のようでもあり、泣き叫ぶ赤子のようでもある。
皮膚は腐った肉のようにただれ、無数の目が身体中に開いている。
見るだけでSAN値(正気度)が削られる、冒涜的な造形。
「あれは……」
裂が駆けつけてくる。
彼女の顔色がさっと変わる。
余裕の笑みが消え、戦慄が走る。
「『件』よ。でも、デカすぎるわ」
「件?」
「生まれてすぐに予言を残して死ぬ妖怪。でも、あれはただの件じゃない。災厄そのものだわ。あんなのが喋ったら、世界が終わるわよ」
作家が笑う。狂気的な笑い声が響く。
「そうだ。あれは人々の不安、絶望が生み出した『終末の予言者』。あれが言葉を発すれば、その予言は現実となる。因果律さえも捻じ曲げる。言霊の最終形態だ」
『……滅ビル……人ハ……滅ビル……』
件が口を開く。
その声は耳ではなく、街中の人々の脳内に直接響いた。
重苦しい、地底からの響きのような声。
脳が揺さぶられ、鼻血が出そうになる。
「……まずい! 予言を聞くな! 耳を塞げ! 聞いたら現実になるわよ!」
裂が叫ぶが、遅かった。
九条の脳内に、その言葉が侵入してしまった。
ウイルスのように、思考を侵食する。
『……九条湊……オ前ハ……孤独ニ……死ヌ……』
「うっ……!?」
名指しされた。
九条が膝をつく。
頭痛が激痛に変わる。視界が明滅する。
強烈な暗示。
ただの言葉ではない。魂に刻まれる「運命の宣告」。
未来が確定したような、逃れられない絶望感が全身を襲う。
冷たい手で、心臓を握りつぶされたような感覚。
血の気が引き、指先が震える。呼吸が浅くなる。
「死」という概念が、圧倒的なリアリティを持って迫ってくる。
心拍が止まるような錯覚。
視界の端に、自分の葬式が見えた気がした。
「孤独死」のビジョン。誰にも看取られず、冷たい部屋で腐っていく未来。
それが「確定事項」として脳のシワに刻み込まれる。
拒否権はない。これは予言ではなく、宣告なのだ。
「湊くん!」
裂が九条を揺さぶる。
その隙に、作家は煙のようにその場から消えていた。
手錠だけが地面に残されている。
身代わりの術か、あるいは幻影だったのか。
儀式は阻止した。これ以上の怪異の拡散は防いだ。
しかし、作家は最悪の置き土産を残していったのだ。
九条の心に植え付けられた「死の予言」という種を。
それは、どんな傷よりも深く、彼の心を蝕み始めていた。




