第34話:夢魔のVR
「……起きないんです」
被害者は、VRヘッドセットを装着したまま昏睡状態に陥っていた。
最新のVRMMOゲーム『ファンタジア・オンライン』内で、プレイヤーが次々と意識不明になる事件。
現実世界の肉体は眠っているが、精神がログアウトできなくなっているのだ。
魂のデジタル誘拐。
犯人はゲーム内に巣食う「夢魔」。
デジタルの夢の中で精気を吸う怪異だ。
「夢の中で精気を吸うなんて、古風な手口ね。デジタルな世界でもやることは同じか。進歩がないわね」
裂がヘッドセットを見る。
「私がこれ被って、直接叩き潰してこようか? アバター作成で最強キャラ作ってやるわ。課金アイテム全部乗せで」
「無理ですよ。口元さんのマスク、ヘッドセットに干渉します。それに、その鋏、コントローラーで操作できませんよ。物理的なサイズが合いません」
物理的な問題だ。
裂のアナログ装備は、最新鋭のVR機器との相性が最悪だった。
「……俺が行きます」
九条が名乗り出る。
「湊くん? アンタ、童貞でしょ? サキュバスの誘惑に勝てるの? 鼻の下伸ばしてミイラになるのがオチよ。経験値足りてないんじゃない?」
「童貞関係ないでしょ! ……まあ、免疫はないですけど。警察官としての精神力でなんとかします。公務ですから」
九条はヘッドセットを装着した。
意識がデジタル空間へダイブする。
ゲームの世界は、中世風のファンタジーな城だった。
どこかで見たことのあるような、テンプレ的なアセットだ。
その玉座に、露出度の高い美女がいた。
ボン・キュッ・ボンの完璧なプロポーション。
紫色の瞳が妖しく光る。エフェクト過多だ。
背中にはコウモリのような小さな翼、腰からは先がハート型の長い尻尾が動き回っている。
ポリゴン数は百万を超えているだろう。髪の毛一本一本が物理演算で揺れ、肌の質感はもはや実物以上に瑞々しい。
「美」を数値化して最大出力で出力したような、暴力的なまでの魅力だ。
『あら、新しいお客様? 可愛い坊やね。経験少なそう』
サキュバスが甘い声で囁く。
声そのものに麻痺毒が含まれているような、精神干渉攻撃だ。
九条の脳内に、強制的な快楽物質が濁流のように溢れそうになる。
仮想現実なのに、触覚までリアルだ。
彼女の指先が頬を撫でる感触、吐息の湿り気、肌の柔らかさまでが再現されている。
最新のハプティクス技術が、あろうことかエロに使われている。技術の無駄遣いだ。
脳が「これは現実だ」と誤認し、心拍数が異常上昇する。
視界がピンク色の明滅に染まり、思考がドロドロに溶けていく。
「……ああ、まずい。これ、抗えないやつだ……」
魂が指の隙間から滑り落ちて、サキュバスの口元に吸い込まれていくような極致の脱力感。
「くっ……! これが、精神攻撃……! 理性が……」
『私に身を委ねなさい……楽にしてあげる……全部忘れさせてあげる……』
サキュバスが抱きついてくる。香水の甘い香りが(VRなのに)する。
その豊満な肢体が押し付けられる。
九条の理性が飛びそうになる。
こんな美女に迫られて、断れる男がいるだろうか。
その時、脳裏に浮かんだのは――
マスク越しの罵声。「アンタ、童貞でしょ?」という嘲笑。
赤いコートを着た、目つきの悪い、凶暴な相棒の顔だった。
「……ダメだ」
『え?』
「俺のタイプじゃない。完璧すぎる」
九条がサキュバスを突き放した。
『な、なんですって!? これほどの美女を前にして! 貴方、不能なの!? バグってるの!?』
「俺の相棒はな……」
九条がニヤリと笑う。
その目は、快楽よりも深く暗い、一種の「狂気」に近い情熱を宿していた。
「もっと理不尽で、乱暴で、マスクの下がどうなってるかわからないけど……それでも、アンタみたいな作り物の美女より、ずっと魅力的なんだよ! リアルな重みがあるんだよ!」
『……はぁ? 何言ってんのこの男。ドMなの?』
「だから、お前みたいなテンプレ美女には興奮しないんだよ! 俺の性癖を舐めるな! 俺はもっと危険な女が好きなんだ!
いつ喉首を掻き切られるかわからない、そのスリルに勝るドーパミンなんて、この世に存在しないんだよ!」
それは最早、刑事としての正義感ですらなかった。
ただの告白だ。ログインしたまま世界配信されていれば、即座に炎上案件だろう。
九条が拳を突き上げる。
その歪んだ熱い想いが、VR空間内で物理的な力(アバターの攻撃力)となって具現化する。
精神力がそのままパラメータになる世界なのだ。
「システム・ログアウトオォォォ! 俺を現実に帰せ!」
ドガァァン!!
九条の一撃(童貞の怒り)がサキュバスを吹き飛ばした。
城壁を突き破り、サキュバスは星になった。断末魔はデジタルのノイズ音だった。
強制ログアウト。
現実世界。
九条が目を覚ますと、裂が心配そうに覗き込んでいた。
「……湊くん、大丈夫? 鼻血出てるわよ。変な夢でも見た? まさかアンタ……」
「……大丈夫です。勝ちました。俺の勝ちです」
九条は鼻血を拭う。
「ふーん。どんな相手だったの?」
「……口元さんよりは美人じゃなかったです。作り物でした」
「……何よそれ。お世辞言っても何も出ないわよ。バカじゃないの」
裂が少し照れたように視線を逸らした。
耳が少し赤くなっている。
九条の誤った性癖(?)と、相棒への歪んだ愛が世界を救った瞬間だった。
彼はこの戦いで、何か大切なもの(普通の恋愛観)を失った気がした。
「……湊くん。明日、精神鑑定受けてきたら? 補助金出るわよ」
「……いえ、これが俺の『通常運転』ですから」
九条は遠い目をしながら、サキュバスの残り香(これもバグで自分の服に残っていた)を消すために、ファブリーズを全身に浴びた。




