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特殊事象対策課の新人刑事、相棒は「口裂け女(更生済み)」でした  作者: なは


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第29話:小豆洗いのASMR

「ショキ……ショキ……サワサワ……」


 深夜の動画配信サイト。

 「最強のASMR」「眠れる音」「脳が溶ける音」と話題のチャンネルがあった。

 画面には、ただ小豆を洗う手元だけが映し出されている。


 川で小豆を洗う音。

 ただそれだけなのだが、聞いた人間が精神錯乱を起こしたり、原因不明の睡魔で交通事故を起こしたりする事件が多発していた。

 「ショキショキ……」という音が、耳から侵入して脳の髄を直接冷たい指で撫で回すような、不快な快楽を伴うという。

 中毒者は「小豆を洗いたい……わしも小豆になりたい……」と呟きながら、キッチンのシンクで徹夜で豆を洗い続ける。

 洗剤で洗われた小豆は無惨にも泡まみれになり、排水溝が詰まって部屋が浸水しても、彼らは手を止めない。

 現代のネットワークを通じて、古い怪異が「ASMR」という形を変えて増殖していた。


「……現代版・小豆洗いね。間違いないわ」


 裂がタブレットで動画を再生する。

 高性能なスピーカーから、ゾワゾワするような音が流れる。

 小豆が擦れる「ショキショキ」という音は、脳の皺を直接撫で回されているような感覚を引き起こす。

 そして、その背後で聞こえる水音の中に、微かな、しかし粘り気のある怨嗟の声が混じっている。


『洗オウカ……食ベヨウカ……ショキショキ……人間ノ魂……ショキショキ……チャンネル登録シテ……』


「サブリミナル効果みたいに入ってるわね、呪いが。しかも登録を促してるわ」


「これ、どこで配信してるんですか?」


「IPアドレス辿ったら、多摩川の河川敷よ。野外配信のパイオニアね。5G対応かしら」


 二人は現場へ向かった。

 深夜の河川敷。草むらの中に、怪しい光が見える。


 ブルーシートで囲われた一角に、ハイスペックなノートパソコンと、ダミーヘッド型の高価なバイノーラルマイク(耳の形をしたやつ)が置かれていた。

 その前で、小柄な爺さんがザルに入った小豆を、一心不乱に洗っていた。


「……おい、爺さん」

 裂が声をかける。


「ひっ!? だ、誰じゃ! わしの聖域スタジオに入ってくるな! 録音中じゃぞ!」

 小豆洗い(YouTuber)が振り返る。

 目は血走り、クマができている。配信中毒者の顔だ。


「再生数稼ぎもいいけどね、リスナーを呪うのはマナー違反よ。規約違反で通報するわよ。垢BANされなさい」

 裂がスマホを操作して、その場で通報ボタンを連打する。

 「怪異による精神汚染」という項目はないため、「スパムおよび詐欺」で報告を飛ばす。


「う、うるさい! わしは有名になりたいんじゃ! スパチャで豪遊して、タワマンに住むんじゃ! 銀の盾が欲しいんじゃ!」

「登録者100万人の記念動画では、琵琶湖の水を全部小豆の茹で汁にしてやるわ! 日本中をASMR中毒にして、わしが教主インフルエンサーになるんじゃい!」

 爺さんがマイクに向かって叫ぶ。

 彼の背後には、虚空から現れた巨大な計量カップと、血のように赤い小豆の山が積み上がっていた。

 怨念が物理的な質量を持ち始めている。



 爺さんがマイクに向かって叫ぶ。

 その声が増幅され、キーンという不快なハウリングを起こす。


「……音が悪いわね」

 裂が耳を塞いで顔をしかめる。


「ハウリングしてるじゃない。イコライザーの設定も甘いわ。ASMRってのはね、もっと繊細なものなのよ。音圧上げればいいってもんじゃないの」


「何じゃと! わしの小豆洗いは伝統芸能じゃぞ! 室町時代から洗っとるわ! キャリアが違うんじゃ!」


「いいえ。ノイズが多いわ。川の雑音も入りすぎ。ウィンドスクリーン(風防)つけなさいよ」


 裂が爺さんの手からザルを取り上げた。


「本物のリアルを聞かせてあげる。骨まで響く音をね。脳髄を揺らす音よ」


 彼女はザルを握りつぶした。


 バリバリッ!!


 竹細工が砕ける、乾いた破壊音。

 マイクがその轟音を拾う。高性能マイクが音割れを起こす。


 さらに、マイクスタンドをへし折る。


 バキンッ!!

 グシャアッ!!


 金属破壊音と、プラスチックの破砕音。

 そしてパソコンを踏み抜く音。


「これが私のASMR(破壊音)よ! どう、脳髄に響くでしょ? 鼓膜破れそう?」


「ひぃぃぃ! 機材がぁぁ! 総額50万円がぁぁ! ローンが残ってるのにぃぃ!」

 爺さんが泣き崩れる。小豆が散乱する。


「……口元さん、それただの暴力です。ASMRじゃなくて騒音公害です」

 九条が冷静に突っ込む。


 チャンネルはBAN(アカウント停止)され、爺さんは厳重注意処分となった。

 しかし、裂が機材を破壊した時の「バキンッ!」という音が切り抜かれ、ネットで「スカッとする音」「ストレス解消になる」とバズったという。

 皮肉な結末だった。

 裂は「私の破壊音には美学があるからね」とご満悦だった。

 九条は、粉々になったバイノーラルマイクの耳の部分を見て、「これ、シュールすぎて夢に出そうだな……」と溜息をついた。

 ちなみに、爺さんは最近「小豆の洗浄・自動化」に目覚め、全自動洗濯機で小豆を洗う動画で再起を狙っているらしいが、やはり垢BANされたという。

 「音の深みがないのよ、回転式の音は」とは、裂の談である。

 彼女は密かに、自分の鋏を研ぐ音を配信しようか迷っていたが、九条に全力で止められた。

 「それは本当の意味で『脳を削る音』になりますから。物理的に」と。



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