9-4 再会
翌日、和真は退院する事はできた。
外傷は消え、肉体は回復した。
しかし、精神面はとても万全とは言い難い。
退院後の謹慎期間中、寮の研修室で、リモートで授業を受けていたが、心ここに在らずといったところだった。授業の板書を見つめているというより、パソコンのモニターを眺めているようだった。
あの後、西山遥はどうなったのか。
あの時、自分がちゃんと西山と向き合っていたら、こんな事にはならなかったのでは、と和真は自身に責任を感じていた。
ある時、兼孝から電話越しに話を聞いた。
「あの子、引き返せなかったんだね」
と、同情とも冷淡ともとれる口調でそんなことを呟いた後、ユリィに対する嫌がらせ行為への加担とその動機について語ってくれた。
ユリィを襲撃する事に失敗し、紅葉とクリストフによって取り押さえられた後、西山は教員や警備員に連れて行かれた。その道中、ゆかりは連行される西山と目が合ったようだ。その時の会話━
「ゆ、ゆかりちゃん、あのね、私、和真君を━」
「黙れ。2度とその名前を口にするな」
ゆかりの声は低く、冷え切っていたようだった。
事態と経緯を知った矢場内此人が言うには、
「やったことは殺人未遂だし、多分退学になると思うわ。退学処分になれば、魔法についての記憶、自身が魔法を持っている事についての記憶、学院での記憶を消去されるわ。その後、ご実家へ送還され、地元の普通校に編入するらしいわ。高校生の間は保護観察付きね」
と。この退学制度は、魔法に関与せずに生きる選択肢を与える一種の救済措置だ。現在西山は、学院の地下にある留置所にいるらしい。
西山が自分にした事はともかく、ユリィに危害を加えたことを許す気にはなれない。
今も強烈に残る唇の感触━
シャワー中の和真は、ひたすら唇を指で擦り、お湯で洗い流す。今度はボディシャンプーを指に浸し、再び唇を擦った。
あんな思いをするくらいなら、泥水を啜っていたほうがマシだったかもしれない。
━ユリィにどう顔向けしたらいいか分からない……。
━せっかくなら、初めてはユリィが━
「いやいやいや、そんな事考えちゃいけない!」
首を横にブンブン振る。ぬるま湯に濡れた髪が水滴を弾き飛ばした。
「ユリィに……そんな欲を向けちゃ、いけないんだッ……」
浴室の壁をドンッと拳で叩きつけた。無機質なモルタルの壁は和真に返事をしない。
全身に行き渡る未知の衝動を、理性で抑圧しようとする。
━いっそのこと、会わない方が━
「いやいやいや、それは違う!ユリィと向き合うって決めたんだ!自分の感情に振り回されるな和真!」
頭部のシャンプーをシャワーで洗い流しつつ、頭を抱える和真。
━それに━
「好き、って言っちゃったし……」
決闘後、意識を失う前の記憶は定かではないが━
━大声ですごく恥ずかしい事叫んだ気がする……!
具体的な文言は覚えていなかった。
しかし、今になって恥ずかしくなってきたのだ。
和真は声にならない情けない声をあげ、濡れた髪の毛を掻きむしった。
*
土曜日、朝5時36分。
和真は目覚めた。
「……あんまり寝れなかった……」
3日間の謹慎が解除され、ついに寮の外に出られるようになった。生徒会長であるクラリスからも外出の許可を得た。
外に出ずに寮内で過ごすことは苦ではないものの、どこか窮屈であった。
身体は万全、しかし、夜の鍛錬は当然不可。和真は毎晩落ち着いていられなかった。
それが眠れなかった理由の1つではある。
最大の理由。
━やっと、ユリィに、会える……。
昨晩は、ウキウキで胸が高鳴っていた。それと同時に━
━でも、もしもユリィが、僕を拒絶したら……。
頭ではそんな不安も抱えていた。
ベッドに横たわっていても、カフェインを過剰摂取したかのように心臓が張り切っていた。
和真は枕元のスマートフォンを手に取った。
画面には、チャットアプリの通知。
ユリィからだった。
和真の心臓は、独り歩きしようとしていた。
和真は恐る恐る画面をタッチした。
見慣れたチャット画面。
ユリィからのメッセージに全神経を注ぐ。
『起きてる?会いたい。いつもの場所で』
その文を読んだ瞬間、考えるより先に身体が動いた。
歯磨き、洗顔、寝癖直しを秒で完了させた。鏡を見て、「よし!」とチェック。制服に手を掛け、急いで服装を整える。ズボンのチャックを閉めた事、ブレザーのネクタイが曲がっていない事を確認。
最低限の小物をポケットに入れ、和真は寮を飛び出した。
いつもの場所━
それは、人気の少ない校庭のベンチ。
和真は一直線に駆け抜けた。
太陽はすでに昇り始めていた。
曲がり角の先には、美しい銀色の髪を揺らす少女━
銀色の髪が、太陽の光を反射し、その後ろ姿がどこか輝いて見えた。
「ユリィ!」
和真が声を掛けると、ユリィはすっと振り向いた。
見返り美人とはこの事だろうか、ユリィの振り向く一瞬の横顔に、和真は魅了された。
「……かずま」
ユリィがそう溢した。
和真は息を整え、ユリィを直視した。
表情は無い。しかし、以前とは異なり、ユリィの瞳には「光」が灯っていた。
「ひ、久しぶり、ユリィ……」
「……うん……会いたかった……」
沈黙。
話したい事が山ほどあったはずなのに、何を話せばいいのか分からない。和真の口から言葉が何ひとつ出てこなかった。
「わたし━」
ユリィが意を決したように沈黙を破った。不安なのか、プリーツスカートの折り目を握っていた。
「……大嫌いなんて、嘘。本当はかずまのこと、すき」
か細い声、だが芯の通った言葉に、和真はドキドキを抑える事ができない。
「……わたしは、人形で、兵器で……それを知ってもかずまは、わたしを好きって……」
文を言葉で組み立てるように、ユリィは続ける。
「……つよくって、やさしくって、いつも真面目で、でもどこか抜けてて……」
和真は息を呑んだ。胸が締め付けられる。
肺に罪悪感を押し込められるような息苦しさ。
「……わたしは、かずまのこと、もっと知りたい」
ユリィは一歩一歩、確かめるようにゆっくりと、和真に近づいた。
━っ!近い!
気づけば、和真の顎下あたりにユリィの頭頂部。フローラルなシャンプーの匂い。
━っていうか、ユリィの髪、すごく綺麗、いい匂いがする……。
━って、いかんいかん、せめてユリィの前ではしっかりしろ和真!
和真は反射的に半歩退いた。それは決して拒絶ではない。
ユリィはわずかに頭を傾げた。
「……僕も、もっとユリィのことを知りたい。ユリィと、一緒に……」
和真は言葉を詰まらせた。差し出そうとした右手を、反射的に引っ込めた。
再び、沈黙。
「かずま」
「っ!はい!」
ユリィが何かに気付いたのか、口元を緩ませた。和真は声を裏返らせて返事をした。
ユリィは少し悩み、口を開いた。
「……手を、繋いでも、いい?」
「っ!」
和真の脳内に電流が走った。思わず唾を飲み込んだ。
ユリィに悟られないようにゆっくり呼吸を整えた。
「……うん」
和真がそう答えると、ユリィはわずかに笑みを浮かべながら右手を差し出した。
和真は左手でユリィの手に触れた。
互いの掌が重なり合う。指と指が絡み合う、『恋人繋ぎ』。
━……やばい!手を繋いじゃったあぁぁ!しかもこれ、恋人繋ぎだ!
内心では動揺しつつも、どうにか笑顔を保とうとする。手汗をかかないように深呼吸。
「……かずまの手、おっきいね。なんかゴツゴツしてて、なんだかたくましい」
ユリィは俯き加減で呟いた。和真の心臓の鼓動はますます早くなった。
「……少し、歩こう?」
「うん、そうだね」
ユリィの提案を、和真は静かに受け入れた。
朝日が昇る午前6時頃、静かなレンガ畳の道を、2人はゆったりと歩いた。
和真の歩く速さに合わせようと普段より少し速歩きになるユリィと、それを察知し、歩幅をユリィに合わせる和真。
再び、沈黙。だが、この沈黙すら、心地よい。
「ねえ、ユリィ」
思い切って和真が声を掛けると、ユリィは無言で和真を見上げた。
「……その、ありがとう」
和真の感謝の言葉に、ユリィは目を逸らすように正面を向いた。
「……人生ってさ、すっごく苦しくて、辛くて、世界は灰色だと思ってたんだ」
和真は続ける。ユリィは正面を向いたまま瞬きを繰り返した。
「でも、ユリィと出会ってから、世界がカラフルになった気がするんだ」
━今思うと、一目惚れだったのかもしれない……。
初めて会ったあの夜━
ジムで超人的なトレーニングをする姿。
会話どころか、目すら合わせていなかったのに。
「……わたしは、別に……」
ユリィはわずかに目線を落とした。
「……わたしも、かずまが━」
ユリィが何かを言おうとしたその時━
「うああああああ!どいてええええっ!」
若い女性の悲鳴が聞こえてきた。空から。
悲鳴と共に聞こえてきたのは、何かが空気を切る音。
和真は斜め上を見上げた。背中に何か仰々しいものを背負っている女性が、一直線にこちらに向かって墜落してくる━
「危ない!」
和真は反射的にユリィを庇い、地面に伏せた。非常事態故に、触れるのは致し方ない。
幸い、伏せた場所は芝生だった。
次の瞬間、先程まで2人がいた場所に何かが激突した。衝撃音とともに、砂煙が立ち込めた。
明らかな大惨事を物語る砂煙の中から、1人の女性が、何事もなかったかのようにケロリと立ち上がった。
『ハヤリ、大丈夫か!?』
無線と思われる機械からは、若干カタコトな男性の声。
「私は無事だけど……そもそもこの《アルキメデス改》、重すぎて体勢の自由が利かないし、旋回性も悪すぎるし…………あら?」
淡いマゼンタヘアーの女性は身体についた埃を払いのけながら無線の向こうの男性に応答した。そして、地面に伏せた和真とユリィの方に目を向けた。
「ユリィ、大丈夫?ケガはない?」
「……あ、あの、かずま、そ、その……」
なぜか顔を赤らめるユリィ。
「……朝からお盛んなカップル〜!いいですね〜!」
女性が笑顔でそう言った瞬間、和真は自分の置かれた状況を理解した。
ユリィに覆い被さっていた。
「わあああああああっ!」
和真は慌てて立ち上がり、ユリィから離れた。和真の顔は耳までトマトのように熟していた。
「……あの、かずま、ありが━」
「わー!わー!わー!これは1000パーセント事故であって決してわざとじゃないから!」
和真はそう言い訳をし、手をぶんぶんさせながらどこかへ走り出した。
「……不器用な人……」
その場に残されたユリィはわずかに微笑んでいた。




