9-1 決意とは
わたしは、もう逃げない。
かずまはわたしを好きと言ってくれた。
わたしも、かずまが好き。でも━
わたしの過去が、かずまの重荷にならないか。
かずまは、わたしに触れようとしない。
好きと言ってくれたのに、わたしの身体を求めてこなかった。
今までわたしに近づいてきた男たちは、わたしの身体か「力」が目的だった。でも、かずまは違う。
わたしを見てくれている。
向き合わなきゃ、かずまと。
かずまは、命懸けで向き合ってくれている。
心が凍ったあの日以来、ずっと泣くことができなかったのに、今は涙が溢れてくる。悲しくなんかない。悲しくなんかないのに。
それでも、エリスのことは━
エリスをあの男から解放する。
そして、あの男に復讐する。
そのために、わたしはずっと鍛錬をしてきた。
過去の悪夢を振り払うように、身体が悲鳴をあげるまで鍛錬した。
研究所から逃げ、孤児院に匿われてから、ずっと鍛錬を欠かさなかった。
*
1年生女子寮のとある生徒の部屋。
照明は消灯されており、部屋の中は闇に包まれていた。ガラスの窓は、遮光性のネイビーのカーテンに覆われ、屋外の様子は分からない。光が差し込む余地がないため、時間帯も分からない。
しかし、ただひとつ、光を発する物体があった。
スマートフォンのブルーライト。
西山遥はスマートフォンの画面を無気力に見つめている。
画面には、とある男子生徒。
「東条君……」
男友達との談笑で無邪気に笑う横顔。
いつ、どこで、どのように撮影したのかわからない写真。
西山が東条和真に恋した理由。
西山の男性恐怖心。
同年代以上の男子に近寄られると恐怖を抱く。
━でも、東条君は違う。優しくて、強くて、私を守って欲しい……。
和真からは男性特有の「雄」を感じられなかった━それが恐怖を感じない理由。
━私だって、守られたい。愛されたい……。
両親の離婚。
義父、義兄からの暴力。
本当はそんな弱い自分を変えたくて、必死になって暁星学院に入学した。しかし━
━東条君と一緒なら、弱いままでも━
━私だけの東条君……和真君でいて欲しいのに……。
西山にとって目の上のタンコブ、最も憎むべき者。
ユリィ・フロスト。
白いウサギのぬいぐるみの頭部に、ユリィの顔写真を貼り付け━
サバイバルナイフで頭部を刺した。
「……ころす」
ユリィと一緒にいる時の和真。
自分の知らない表情をしていた。
あの日、和真とユリィは、殺し合いともとれる決闘に身を投じていた。
━あいつのせいで、和真君は……。
━私じゃ、なんでだめなの……。
「……ころすころすころすころすころすころすころすころす憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!」
衝動のままにユリィの顔写真を繰り返し突き刺し続ける。
気付けば、ぬいぐるみだった物は綿。原型を留めていなかった。
━あんなやつのせいで、拒絶された……っ!
『ユリィが、どんなに苦しんで!強がって!それでも一生懸命頑張ってるか、知ろうともしないくせに!ふざけたことぬかすなよ!』
ふと、和真の怒鳴り声が脳裏をよぎった。
「私だって……」
━頑張るから。
西山は自身の身体を確かめた。
ユリィにはない、女の武器。
和真を。
自分のものにするには━
*
月曜日の放課後。
今日の義務からの解放感と、まだ月曜日という独特な疲労感が漂う雰囲気の教室にて、敦賀祐一、沙藤竜二が椅子に座っていつもの雑談をしていた。
「あー、再来週いよいよテストかー」
竜二は手を上に上げて身体を伸ばした。
「英語、理科総合、数学、現代文、現代社会、魔法基礎の6科目だな。7月下旬の期末テストもこの6科目みたいだな」
祐一は配られたテスト範囲のプリントを眺めながら科目を列挙した。
テスト範囲のプリントは後日、生徒にメールでPDFとして送信されるものの、一応紙として渡される習慣が残っている。
「それに、俺たちは普通の進学校よりも授業の進行スピードが早いらしいぞ」
山内が自然に2人の会話に入ってきた。
「やっぱり?なんか早いと思ったんだよなぁ。先生すぐ黒板消すしさ〜、特に━」
「杉並先生だろ?」
竜二のぼやきに、山内がその先を回り込んだ。
「ヤマテツも板書追いついてないだろ、な」
ヤマテツ━山内と竜二はお互いに指差し合った。竜二は、数学教師のモノマネをし始めた。モノマネに明らかに誇張があったものの、話し方や所作が似ていたため、3人は腹を抱えて笑い始めた。
笑いが自然収束すると、3人ともどこか神妙な表情に変化した。誰1人として視線が交わらなかった。
「まあ、数学なら俺らには心強い味方がいるからな」
不思議な雰囲気を察したのか、竜二はすぐに軌道修正。
「そ、そうだな、『青チャの問題と答えを全部覚えてる疑惑』のある和真がいるからな」
竜二の意図をすぐさま汲み取り、山内も表情を緩ませた。
「本人は『それ絶対誇張入ってるよね』って絶対言うよな」
祐一は和真のセリフをモノマネした。「それ言いそう〜!」と竜二と山内も笑いながら同意。
「あんた達、最近マトモに授業受けてれない和真のことをよくアテにできるね?」
男子の集団に物怖じすることなく近づく女子生徒、北条ゆかり。その表情は呆れ半分、安心半分といった様子だ。
「今週中には退院できるとルノワール先生から聞いてるけど、あんまり和真を振り回さないでね?」
「そりゃそうだな、今のアイツは色々あるしな」
祐一は上前歯をみせるようにニヤリとした後、ゆかりの方を見た。
「これからフロストとイチャイチャするのに忙しいからな」
竜二も祐一と同じようにニヤリと笑った。
対照的に、山内はなぜか絶望感を漂わせていた。
「なんだと〜!あの素朴オブ素朴童貞侍の和真が俺たちとの男の友情を差し置いて女に現を抜かすなど、断じてあり得〜ん!」
「まあ、それもあると思うけど、色々と、世間的にも、ね……」
ムンクの叫びのような表情で切実に叫び続ける山内をゆかりはガン無視。どこか歯切れの悪い素振りを見せていた。
「『世間的』って、昨日からやってるあのニュースの件か?」
「あのニュースって?」
祐一の確認にゆかりが小さく頷いた。竜二はまだ内容を掴みきれていない。なお、山内はまだ1人で意味不明なことを口走っている。
「見てないのか?医薬品工場に魔法による襲撃事件が起きたって。魔法主義勢力によるテロだって」
「しかも、それを知った反魔法主義の市民団体がホープフル社の本社ビルの前で抗議活動だって。今は理事長が火消しに奔走してるみたいだけど……国武院の件もあるから学院が関与してるんじゃないかって」
祐一とゆかりの説明に、竜二はようやく他人事ではないと認識し始めたようだ。
「てことは、俺たち、っていうか、学院、どうなるんだ?」
祐一とゆかりはしばらく沈黙した。ゆかりは少し躊躇った後、口を開いた。
「……すぐにはどうなるとかは無いと思うけど……」
「じゃあ、魔法に対するデモなら、暁星学院だって危ないんじゃ?」
それまで奇声を発したり不思議な踊りを踊っていた山内が、真っ当な疑問を口にした。
「それは大丈夫。いくら政府でも暁星学院には介入できないから。デモ活動も法律で制限されてる。仮に変な人がいてもすぐに警備隊が動くはずだから」
「言葉が正しいか分からないが、治外法権みたいなもんか」
ゆかりの言葉に、祐一が要約する。
「あとさ、新聞で読んだんだけどさ、小渕さんのお父さん、与党の議員じゃん?」
祐一は他の生徒に聞かれないように小声で話しを始めた。
「祐一って新聞読むんだ、意外」
ゆかりは目を丸くした。祐一は「うるせえ」と生返事。
「その小渕幹事長が脱税疑惑とか書かれてた。記事は新聞の隅っこに追いやられてるみたいな感じだったけど」
「えぇ……」
竜二は周囲を見渡す。幸い小渕紗子とその従者はいなかった。
「あの性格であの父親、とは思いたくないけど、真偽は分からないし、他で話題に出さない方がいいと思う」
ゆかりはあくまでもメディアを鵜呑みにする気にはなれなかった。
「そんな暗い話より、今は目の前のテストの心配だけしてればいいんじゃないの」
ゆかりの一声に、3人は頷いた。
「和真とユリィにもテスト範囲を知らせなきゃね。和真はともかく、ユリィが少し心配かな」
4人の空気は再び明るい雰囲気に包まれた。が━
ゆかりにはひとつ、気がかりになる光景が目に入った。
西山遥。
髪は少しボサボサで、顔色はチアノーゼを起こしているのかと思うほどに青白い。どこか虚な瞳で、視力があるのかすら怪しい足取りで、教室を出ていく姿。足音なく、気配を消すように。
━そういえば遥、今日ひと言も発してない……。
ゆかりはどこか胸騒ぎを覚えたが、なんでも無いと自分に言い聞かせたのだった。




