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氷銀の魔女  作者:
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8-11 歴史の邂逅

 17時32分、学院の食堂。


 その約1時間前、兼孝は、軽トラックの改造作業の途中で、朝から何も食べていないことに気づいた。最後に食べたのは、深夜2時にバターロール1個のみ。


 作業をちょうどよく終わらせることが出来たので、カゴ台車に工具箱や部品などを雑に乗せ、一度研究室まで持ち帰った。


 流石に体中が油に塗れた状態で公衆の面前に出るわけにもいかないので、寮の自部屋で最低限シャワーを浴びた。適当なパーカーとズボンを着用、制服は寮共用のドラム式洗濯機に放り込んだ。ボロボロで汚れだらけの白衣はそのまま燃えるゴミへダストシュート。同期の3年生がその光景を見ており、ゴミ箱に丸めた白衣がすっぽり収まった時は「お見事!」と、拍手喝采。


 そして17時32分、食堂に至る。


 土曜日の食堂は平日ほど混雑はしないが、夕方であればそれなりの生徒が座っている。


 兼孝はかき揚げそばとショートケーキをトレーに乗せ、レジで会計を済ました。


 どこの席に座ろうかと見回すと、見知った顔がいた。兼孝はその人物の対面に着席した。


「やあお疲れちゃん、紅葉さん」


 紅葉はカレーを頬張り、飲み込んだ後に「おつかれー」と返した。


━カレーのサイズはLだね。


「新しい猫ちゃんが迷い込んだんだってね?」


 駐車場での会話で、紅葉が首輪を持ってたことを思い出し、訊ねた。


「うん、名前は『マダム・スミス』にしたの!あの肉球はまさに『神の見えざる手』よねー!」


 苦笑。


 紅葉は目を輝かせながら自慢げに話した。


「キミのネーミングセンスはどうなってんだか、『小野小町35世』といい……」


「失敬な、昔実家で飼ってた猫の名前は『シュレディンガー』だったのよ。猫の名前ってそんなんじゃないの?」


「うん、キミがそう思うならそれでいいと思う」


 一定の理解は示すものの、どうにも腑に落ちない兼孝。


━あれはシュレディンガーさん所有の猫であって、シュレディンガーという名前の猫じゃない事は黙っておこう……。


「ちなみに、犬だったら?」


 兼孝は興味本位で聞いてみた。


「うーん、普通に『ポチ』とか?」


 紅葉がそう言うと、兼孝は啜っていた蕎麦を噴き出しかけたがギリギリ堪えた。


「ゴホッ、ゴホッゴホゴホッ」


 その弾みで咽せてしまった。


 咳が止み、落ち着きを取り戻した。それまで紅葉は「私変な事言った?」と言いたげな顔をしていた。


「ねえ貝塚、ひとつ聞いていい?」


「ん?藪から棒にどうしたのさ?」


「ユリィさんの力についてなんだけど━」


 兼孝はハッとし、表情を一変させた。ストップと伝えるため、手のひらを紅葉に向けた。周囲を見渡した。聞かれる心配はなさそうだが、万が一のことも考えられる。


 極光魔法。


 兼孝の様子で察した紅葉は「ごめん」と謝罪。


「……明日は日曜日だけど、貝塚はアレの改造やるの?」


 昼間に兼孝が改造を施した軽トラックの話だ。


「んとね〜、改造はだいたい終わったかな〜」


 兼孝はかき揚げをパリパリと噛み砕いた。


「え?結構大掛かりなことしてたわよね?」


「うん、確かにちょっと大変だったね。こんな事するくらいならその仕様の中古買った方が早いって事に途中で気づいたけどね」


「その前に借りたものを改造すんな」


 紅葉は呆れ気味に突っ込んだ。


 カレールーが付着した福神漬けをスプーンでガサっとすくい、口に運ぶ。


「明日はね、今SNSで流行りの映画を観に行こうと思うんだ」


 兼孝は箸を置き、スマートフォンを操作。


 アニメ映画のホームページ。


 スマートフォンの画面を紅葉に見せた。


「ああー、これねー、『ギョギョの刃』ね。漫画がバカ売れしたとか」


 兼孝も紅葉もサブカルチャーや流行には疎い方ではあるが、SNSやニュースを閲覧する時についでに目に入るため、頭に入っていた。


「貝塚ってマンガとかアニメに興味ないと思ってた、話を聞いたことがないから」


「今回は気まぐれかな、最近ずっと動きっぱなしだったから、たまには気分転換にね〜」


 蕎麦をずるずるずると啜る音。器を持ち上げて、汁をずずずと飲む。


 あっさりしたダシ汁が喉を通るたびになんとも言えない満足感。兼孝はぷはあ〜と蕎麦を平らげた。紅葉の方はすでにカレーライスを完食していた。


「紅葉さんは明日何かするの?」


 兼孝はショートケーキの一部をプラスチックのフォークで突き刺した。スポンジの変形でケーキのバランスが崩れ、イチゴが。


「明日はね、ゆかりと一緒に池袋に行くの。ユリィさんと和真君の退院祝いを買おうかなと思って」


 ケーキから逸脱したイチゴをじっと見つめながら紅葉は話す。


「ユリィさんはともかく、和真君には何がいいのかなーって悩んでるのよね」


 紅葉が遠回しに意見を求めていると兼孝は解釈した。


 生クリームの糖分が兼孝の脳内を活性化させる。軽トラックの改造作業による身体の疲労も、わずかに軽減されているような感覚。


「和真クンねー、彼、物欲がなさそうだからね、強いて言えば、プロテインでもあげたらいいんじゃない?」


「貝塚も稀にマトモな事を言うのね。てっきり『枕代わりの1000ページ越えの学術書』とか、『ボーアモデルの原子模型』とか言うと思ってた」


 紅葉は目をぱちぱちさせた。


 身振り手振りで兼孝の奇行と気の抜けた声のモノマネ。紅葉の声の出し方に若干の悪意すらあった。


「そりゃどうも」


 兼孝は表情を変える事なく受け流した。


 ショートケーキは跡形もなくなった。


 「さて」と、トレーを持ち、立ち上がる紅葉。遅れて兼孝も。


「紅葉さん」


 兼孝は、食器の返却口に向かおうとした紅葉を呼び止めた。雑談を嗜む柔らかい表情から硬い表情に変化していた。


 そんな兼孝の声音で察した紅葉は振り返った。


「もし例の件を知りたいなら━」


 紅葉は表情を強張らせた。


「この後、研究室に来て欲しいな」

読者様 各位

いつもご愛読ありがとうございます。

一応補足ですが、紅葉命名の猫の名前「マダム・スミス」は経済学者のアダム・スミスをもじっております。

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