8-10 修復へ
和真のいる医務室の部屋を出たゆかりは、祐一及び竜二とは別行動をとった。
ゆかりが向かうのは、別の医務室。決闘騒動で負傷し、運ばれたもう1人。
ノックした後、横開きのドアを開いて部屋に入った。
カーテンを開けると、ベッドで体を起こしている銀髪の少女、ユリィ。
ユリィはゆかりの方へ目を配ることなく、ただ真っ直ぐを見つめていた。よく見ると、目の下が少し赤くなっていた。
「和真、目を覚ましたよ」
ゆかりは丸椅子に腰掛けた。
「……そう」
最小限の返事。だが、わずかにホッとしていたように見えた。
しばらく沈黙が続いた。
「ゆかり」
ギクシャクした空気の中、ユリィが口を開いた。ゆかりはユリィの顔をじっと見つめた。ユリィの目は、今にも吸い込まれそうな錯覚さえ与える。
何かを躊躇っている様子のユリィだが、目には迷いは見えなかった。
「……ごめん」
ユリィはそう口にした後、少し俯いた。
「どうしたの、ユリィ」
何に対しての謝罪か、分からない。
きょとん。
「……ゆかりに、酷いこと言った……」
ゆかりは何も言わず、首を横に振った。そして、両手でユリィの手を包み込んた。
「私も言い過ぎた、ごめんなさい。それより、会えるようになったら、和真と仲直りしなさい」
ゆかりは優しく諭した。ユリィはコクリと頷いた。
「……わたしは、もう逃げない」
「……そっか」
ユリィの決意を聞いたゆかりは、晴れやかな気分になったと同時に、どこか寂しさのようなものを感じた。
━これじゃあ、勝てるわけないじゃない……。
━好きな人の為なら、命さえ張れるなんて……ユリィが羨ましい……。
もはや妬むことすら馬鹿馬鹿しい。
「……ゆかり、どうしたの?」
ゆかりは少しぼんやりしていた。ユリィの一声にハッと我に返った。
「ううん、なんでもない、ちょっと疲れてたのかも」
そう言ってゆかりは立ち上がった。
「また明日来るね、ユリィ。退院したら、また一緒に買い物に行こうね」
「……うん」
ゆかりは踵を返し、医務室を後にした。
ドアから少し離れた後、立ち止まった。
堪えきれず、頬には涙が伝っていた。
*
和真が目を覚ました土曜日の14時頃。
紅葉は、兼孝にとある部品を持ってきて欲しいと電話で依頼された。紅葉もちょうど1階へ降りる理由があったので、仕方なく持っていくことにした。
表玄関の自動ドアを通過し、向かった先は、シマ研の外部客用の駐車場。その駐車場は、平日でも満車になるのは稀である。いわんや休日の土曜日をや。
しかし、一台だけ車両が止まっていた。
軽トラック。
白い年季の入った軽トラックは、白線の間を丁寧にバック駐車されている。
フロント部分の前には、兼孝が胡座をかいていた。黄色のヘルメットを着用し、尻には段ボールが敷かれていた。兼孝の傍には、工具箱、部品の入ったプラスチック製の箱、ジャッキ、消火器などが置かれている。
「……何してんの、貝塚?」
不審者を見る目で紅葉は訊ねた。
紅葉に気づいた兼孝はこちらを向き、無邪気に笑って立ち上がった。
「おお、紅葉さん。持ってきてくれたんだー」
紅葉は指定された部品を兼孝に手渡した。
兼孝は軍手を着用しており、油のせいか黒く汚れていた。
部品を受け取った兼孝は、開いたままの工具箱の中に置いた。
「ところでこれ、何してるの?」
改めて紅葉が訊ねた。
「これ?国武院から逃げてきた時の軽トラなんだけど━」
「え?返してなかったの?」
「だって気まずいじゃない?今は国武院と暁星学院は対立関係にあるから、とても返す雰囲気じゃないし」
兼孝はなんでもないかのように言い切った。
「それに、軽トラの借りパクについて国武院の人含めて誰も言及してないし。痺れを切らして堂ノ上理事長に返すかどうか聞いてみたら、『好きにしてよい』って言われたし」
「『好きにしてよい』って……」
紅葉はあんぐりしていた。呆れを通り越してもはや面白い。
「コズミックの矢場内さんに渡すのも考えたんだけどね……」
━迷うことなく引き渡せ。
「んで、経緯は分かったわ。今何してるの?」
最初の質問に戻る。
「この軽トラ、マニュアル車なんだよね」
兼孝は作業しながら話す。
「操作方法をオートマチックに変換して、運転しやすくする改造をしてるんだぁ」
サラッととんでもないことを口走る兼孝。
「え、えぇ」
あたかも簡単にできると言わんばかりにのたまう兼孝に、紅葉は言葉を失った。よく見渡すと、前輪のタイヤの近くに、取り外されたクラッチペダルと思われる物が転がっていた。
「あとは性能向上のために━」
言葉を失っている紅葉を気にすることなく、無邪気に笑いながら兼孝はさらに続けた。
「ガソリンをハイオク仕様にするんだぁ」
「それって嫌がらせじゃ……」
「ノンノン、紅葉さん、軽トラは男のロマン。男のロマンといえば最高性能を追求することに尽きる。つまり、軽トラをより高性能にすればマジ最強だと思うの!」
目を輝かせながら意味の分からないことを語る兼孝。
━何言ってんだこいつ。
思考回路を全く読むことができない。
「さらに4輪駆動にして山道も雪道もばっちり!ここ東京だけど」
何が恐ろしいか、兼孝には悪意がないことだ。
完全に「止めても止めないモード」に入ってしまっている。唯一の救いは、人や物に実害を与えるような真似をしないことだ。安全には最大限に配慮しているようだ。
「うん、まあ……せいぜい頑張ってね……」
たかだか数分の会話で、紅葉には謎の疲労が蓄積していた。
本来の目的の場所に向かおうと踵を返すと、1人の女子生徒がこちらに向かって歩いてくる。
クラリス・ガーフィールド。
「クラリス!」
「しばらくぶりだな、紅葉」
クラリスは仕事モードを解除し、柔らかい笑みを浮かべていた。
「そうだ、和真君もようやく目を覚ましたんだね」
「ああ、今は起き上がることすら厳しそうだったがな。だが表情はどこか晴れやかだったな」
「国武院の件以来、ユリィさんも和真君も元気がなかったみたいだったし、よかったわ━ところで、クラリスはこんなところに何か用なの?」
閑話休題。紅葉はクラリスに目的を訊ねた。
「ああ、貝塚と情報共有しておこうと思ってな、紅葉もいるなら話は早い」
クラリスは資料のようなものを紅葉に渡した後、軽トラックの方を向いた。兼孝は、上半身を軽トラの下に潜り込ませていた。
紅葉はクラリスのほうをチラッと見た。なんとも言えない表情をしていた。
「……深く考えるだけ無駄だと思うわ」
紅葉が苦笑いでそう言うと、クラリスも苦笑いし、軽トラックに歩み寄った。
「貝塚。情報共有をしておきたい、今いいか?」
「ん?クラリスさん?いいも悪いもないんでしょ?」
兼孝がそう言うと、軽トラックの下から上半身を出した。「よっこいしょー」という愉快なかけ声と共に立ち上がった。ボロボロの白衣に付着した埃を手で払い除けた。
「ところで、ここがよく分かったね」
「教員に聞いたら『大袈裟な荷物背負って駐車場の方に行くのを見た』とな」
━頭はいいくせに台車を使う知恵はないのね。
クラリスは同じ資料を兼孝に渡した。
兼孝は「はてはてはて」と独り言を呟きながら資料を眺めた。
「国武院での一件以降で起きた出来事を時系列順に記載した」
「山梨の研究所にはガサ入れできなかったんだ、おおかた警察が政府から圧力を受けたんだろうね」
兼孝は諦めに近い表情で吐き捨てた。
「理事長もそうおっしゃっておられた」
「警察が頼りにならないんじゃ、コズミックが独自に動くしかないの?」
「そうせざるを得なかった。コズミックが調査に赴いたが、研究所に入ることすらかなわなかったのだ」
クラリスの説明を聞いた後、紅葉は兼孝の方を見た。いつになく神妙な面持ちである。
「……どういうこと?」
紅葉がクラリスに訊ねた。
「どうやら、奴らは傭兵を雇ったようだ」
「傭兵?」
聞き慣れない単語に、紅葉は訊ねた。
「金さえ払えば殺しや戦争行為を行う人達だね、そうまでして隠したい物があるってことだね」
「……コズミックの調査部隊は傭兵達に返り討ちにされたのだ」
いつもより声が低くなるクラリス。
いつになく目が笑っていない兼孝。
その様子に紅葉は息を呑んだ。
空気が冷たい。静寂がさらに不安を煽る。
「それで、まさか、研究所にカチコミに行くとか言わないよね?」
兼孝の言葉に、クラリスは俯き黙り込んだ。 しばらくすると、顔を上げて口を開いた。
「……研究所の件を、今後話し合うことになる。当事者のお前達にも、話し合いには参加してもらう。これは理事長の意向だ」
クラリスはわずかに視線を逸らした。
「がってん!」
「……え?」
兼孝の唐突な切り替わりに、紅葉は困惑した。クラリスの眉が少し上がった。
「そういうことなら、ひとつ案があるんだ〜、話し合いの日までに準備しとくね〜」
「あ、ああ、頼む」
「クラリスさんのお願いなら断れないからね〜」
悪巧みをしている兼孝を、クラリスはポーカーフェイスで見つめていた。彼女の心中を察することは紅葉には出来なかった。
「では、失礼」
クラリスはそう言い残し、踵を返して立ち去った。
兼孝はワクワクした表情で作業を再開した。
━私達、というか、この学院、どうなるの。




