8-7 鉛の空、悲痛の叫び
『よく来たな、イェーガー』
スマートフォンの画面の向こうから男の声。
イェーガーと呼ばれた中年の男は、身長2メートルにも及ぶ程の巨漢である。顔の彫りが非常に深く、顎にはヒゲを携えている。かつては自衛隊所属3等陸佐であったが、現在は傭兵となっており、その目は獲物を必ず捕える野獣そのものである。
『居住ブロックの寝心地はどうだ?』
「よく眠れたよ。悪夢を見るほどにな」
『それは何よりだ、早速作戦内容だが━』
イェーガーの皮肉は、画面の向こうの男には通用しなかった。
『現在この研究所は魔法テロリストによって狙われている。この研究所の機密には国の存亡がかかっている。お前達傭兵の仕事は、主にこのテロリストから地下3階の機密を守ることだ』
イェーガーは紙の見取り図のようなものを机の上に広げた。
「だいたい分かったが、それだけではないんだな?」
『写真を送る』
添付された画像ファイルをタップ。
画面には、銀色の髪とアメジストの瞳を持つ少女━
「ガキじゃねえか」
『魔法テロリストの中にそれがいるはずだ。それの回収も任務だ』
「このガキが、魔法テロリストだと?にわかには信じ難いな。魔法テロリストって、一体どんな連中なんだ?」
イェーガーの疑問に対し、男は少しだけ間を空けた。
『魔法を操る悪魔、と言えば分かるか?』
「……」
イェーガーは、男の抽象的な言い回しに、理解し難いといった声を漏らした。
「はっきり言う。気に入らんな」
『ほう?』
「そのアンタの言う機密ってのは何なんだ?このガキと機密はなんの関係があるんだ?その機密ってのは、本当に国に影響を与えるものなのか?」
『それを知る必要はない。機密というのは、外部に知られたくないから機密なのだ』
「……」
イェーガーはふん、と鼻を鳴らした。
『イェーガーが気に食わないのは、お前が楽をしようとしてきたからだろう』
「俺が、楽を?」
『お前は一兵士だったのだ。与えられた条件から任務を忠実にこなすことなど、容易いはずだ。知りすぎることは、任務の妨げになることもある。佐官だったお前こそ、理解しているのではないか』
「……」
『もっと視野を広げて世界を見ることだ。お前が自衛隊を辞めても戦いを捨てられないのは、お前自身の闘争本能が消えていない何よりの証拠だ』
何が言いたいのか分かりかねたのか、イェーガーは顔を顰めた。
『お前の生き方は素敵だ。あれはお前の闘争本能を存分に満たしてくれよう』
「フッ、タナトス、アンタは食えん男だな」
『作戦の計画書を送る。お前達には研究員として偽装してもらう』
「了解した」
『高い金を払っているのだ、民主主義国家、大日本の為にな』
通話がプツンと切れた。
「……ふう」
イェーガーは椅子の背もたれに寄りかかる。椅子のフレームがギィィという悲鳴をあげていた。
「イェーガー3佐」
イェーガーの背後から部下と思われる男が1人。
「俺はもう3佐じゃねえ━分かっている、お前達の感じる違和感は」
研究所の異様な雰囲気。
機密に対する異常な扱い。
少女を「あれ」「それ」呼ばわりする男。
「俺は、俺たちは、何をさせられるんだ?」
*
どれだけ突き放されたとしても。
どれだけ拒絶されたとしても。
何度追い払われても。
━僕は踏み込む。
理事長室から出た和真は、校舎の中を走り回った。
━僕は
━ユリィのことが忘れられない。
━ユリィのそばにいたい。
━ユリィを支えたい。
時間が経つほどに焦りは増幅していく。
廊下の角を曲がると、銀色の髪が━
「ユリィ!」
しかし、彼女の目の前には、背の高い2年生の男子。
和真は反射的に隠れてしまった。
聞き耳を立てるのは悪いと思いつつも、2人の方に耳を傾けた。
「ユリィ・フロストさん、俺と付き合って欲しい!」
告白だった。
心臓がバクバクと暴れ始めた。呼吸が浅くなった。首筋や背中に冷たい感覚━
和真は思わず、藁にもすがる思いで願った。
しばらくするとユリィが口を開いた。
「……知らない。あなたのことを知らない」
感情が籠っていない、透き通るような、絶対零度の声。
和真はその声に強い衝撃を受けた。あの声を、仮に自分に向けられたら、と考えずにはいられなかった。
「そ、そんな、せめて1日━」
踵を返して立ち去ろうとするユリィの腕を男子は掴んだが━
「……あなたには、興味ない。時間の無駄」
凍り付くような拒絶。ユリィは軽く振り払い、その場を離れた。
━僕は、最低だ……。
ユリィが他の男子に告白される瞬間を見てしまい、「盗られる」と思ってしまった。
ユリィの意志を尊重しないで、告白が失敗してほしいと思ってしまった。
━支えたいとか、結局は自分本位でしかないのか……でも━
もう後には退けないところまで来てしまった。
かずまなんて、大っ嫌い。
冷静になって考えると、あの言葉には、確かな「熱」があった。
しかし、今の拒絶は、「熱」という言葉には程遠い━絶対零度。
頭を冷やす。男子トイレの水道の蛇口を捻る。顔を洗う。ハンカチで水分を拭き取る。頬をポンポンと叩く。
水の冷たさが、世界の輪郭をはっきりと思い出させた。
━さあ、行こう。
先程の場所にはユリィは既にいなかった。
和真はふと思い出した。2人の思い出のベンチを。
━あそこなら。
最短距離を走る。校舎から屋外へ。
あの角の先には、ベンチのある校庭。3匹の猫が見えた。和真が近づくと、猫達はどこかへ行ってしまった。
角を曲がると、美しい銀髪。
「ユリィ」
息を整え、和真は声をかけた。
ユリィは振り向くことなく肩を震わせ、拳を握った。
ユリィは一言も発しない。しかし和真は呼びかける。
「ユリィ」
「……どうして」
声が震えていた。凍り付くような声ではなかった。
「僕は、ユリィのことが好きだ」
風の音。木々の葉がガサゴソ揺れる音。
「僕は、ユリィを支えたい。君は自分を兵器だと思ってるかもしれない。けど━」
銀色の髪が風で揺らいでいた。
「君は、人間だ!」
*
━わたしも、かずまのことが、すき。
「……知ったんだ。ユリィのことも━」
和真の真剣な告白に、ユリィの瞳に光が宿った。
「エリスのことも━」
「……!」
━どうして、それを……!
ユリィは目を見開いた。一瞬の瞬きで瞳から光が消えた。
ユリィはすぐに振り向いた。
「そこに踏み込むなっ!」
━どうして、わたしは……
校庭に殺意の籠った怒鳴り声が響いた。
あたり一面が少し暗くなった。木々の揺れる音が不安を煽る。
━素直に、助けてって言えないの……。
風の音とは対照に、2人は黙ったままだった。
「……そこに、踏み込まないで……」
怒鳴り声とは打って変わって、今にも泣きそうな、弱々しい震え声。怒りではなく、不安。
「……そこに踏み込むなら━」
━違う!そんなことを言いたいわけじゃない……っ!
ユリィは、唇を震わせながらも、意を決して和真を睨みつけた。
「かずまでも…………斬る……っ!」
あまりにも冷え切った言葉だった。
口にした瞬間、ユリィは後悔した。
取り返しがつかない。
その場が凍りついた。
和真はじっとユリィを見つめていた。
青かったはずの空は、いつの間にか雲で包まれていた。
和真は意を決したように、息を吸った。
「……わかった、なら━」
和真から、焼けつくような殺気━
「ユリィ、僕と決闘しろ」
和真はユリィを指差した。低い声で、宣戦布告。
「僕を殺すつもりで来い。僕は全てを受け止める……!」
━どうして。
━どうして、あなたは。
和真の険しい顔、放たれた殺気。低い声。それでも━
不思議と怖くなかった。
━かずまに殺されるなら……。
ユリィは目をカッと見開いた。
凍てつくような殺気━
すなわち、決闘の受諾。
のどかな校庭に、互いの視線が交錯する━
空はすでに黒い雲に覆われていた……。




