第80話 影なる者、無より睨む
闇よりも悍ましき影。
「ラッシュさん?」
そこに居たのは小柄な少女だった。
名前はラッシュ。Dランク冒険者であり、〈《黒牙の影》〉に所属している。
普段から挙動不審な態度を取り、まるで諜報や暗殺に不向きな臆病な性格をしている。だからこそ冒険者に最適だったが、未だに開花していない。所詮はマスコット的な位置に収まったキャラクター。
そう思っていたライムだったが、何故ラッシュがここに居るのか? しかも顔を合わせた瞬間に、息が詰まるような殺気を受けた。
「私がその本質さんだ」
ラッシュの口振りが変わっていた。本質的な殺意が滲んでいる。
しかしライムもタダでは死ぬつもりは無かった。
手にしている杖は無いが、手をかざすと魔法を放つ。
「捕らえよ。バインドーラ」
ライムの手のひらから鎖が飛び出した。チャリッと本物の金属音を奏でる。
本物の金属素材で出来ており、飛び込んで来たラッシュを捕らえようとする。
しかしラッシュは一向に退かない。ましてや目の前まで躍り出ると、地面をパンと蹴った。
「逃がしませんよ」
ライムは視線を上げた。空へと逃げた所で無意味。
所詮ここは監獄の中なので、逃げ道など存在しない。
夜天に溶け込もうがライムの領域からは逃れられず、必ず捕まる筈だった……が、しかし。
「なっ!? み、見当たらない_」
そこにラッシュの姿は無かった。一瞬にして姿を消した。
夜天の中に体を同化させると、ライムの鎖を掻い潜る。
バインドーラ——単純な鎖ではなく、雷を纏っている。触れれば感電し、筋肉を麻痺させる。最悪神経機関にまで影響を及ぼすと、そのまま呼吸困難にでも陥れて命を奪ってしまう。ラッシュはそこまで推測すると、ライムの視界から逃れることに全力を掛けた。そうして視界から消え、不安の中にライムを落とすと、耳元に聞こえる声で呟く。
「確か、お前を殺せばこの魔法は解けるんだったな」
「そ、それがどうしまし……かッ!」
鋭いナイフがライムの鼓膜に突き刺さった。
あまりの痛みと大量の血飛沫に意識がフラリとする。
聴力を片方失うと、ライムはよろけて地面に倒れた。
実力は対等……では無い。ライムはラッシュに劣っている。Dランク冒険者の筈が、こんなことはあり得ないと苦しみ藻掻いて考えを巡らせる。
「何故……こんなに」
「喋るな」
ラッシュはライムの背中に乗った。背骨をへし折ると、身動きが取れない。
無様な姿をさらすと、ラッシュは嗚咽を漏らした。
「おぇぇぇぇぇ……」と汚い声を荒げながら、誰にも助けて貰えない。
暗闇の中、肝心のヴィルタリアも完全に崩壊すると、監獄の外に無事に出た。
「なるほど。あの杖に仕込まれた魔鉱石が魔力を供給していたのか」
ラッシュの手の中には、クリスタルが握られていた。
落ちていた杖をいつの間にか拾っており、クリスタルには罅が入る。
魔鉱石と呼ばれる代物で、ラッシュの握力で簡単に壊れてしまった。
「普通だな」
ライムの実力など大したことは無かった。
無理難題な魔法を使用出来ることは優れているが、それでも自分の魔力だけでは賄いきれない。
だからこそ、折れた杖に仕込まれたクリスタル。魔力を溜め込んだ魔石と同等格の高級魔鉱石の魔力を使っていた。結局は使用者が倒れれば魔法は解ける。それだけ脆い代物のようで、ラッシュがクリスタルを破壊したことで完全にライムの活路は潰えた。
「何故、です……何故、分かって……」
「最初からだ」
「最初、から?」
一体何処で気が付かれたのだろうか?
確かに計画は順調だった。いつも通りの態度を取っていた。
所々に含んだ表情はあったものの、だからと言って悟られる訳が無い。そう高くを括っていたからこそ、些細な変化や感情の起伏を抑えられていなかったのだ。
「依頼を出した時から疑っていた。まるで成果が出ていないことを喜ぶような発言。ネイルとシザースが犠牲になった際、表情や声音から進展を嬉しがっていたな」
「そんな……」
「なによりもだ。ここ数日の行動、調べは既に付いている。ライム、お前を雇った奴らは何者だ?」
ライムに言動はおかしかった。気が付いていても指摘出来た冒険者が何人居ただろうか?
恐らくそこまで多くは無く、成果が出ていないことに喜びを噛み締め、被害者が出続けることを良しとしていた。
最低限街までの被害だけを念頭に入れた発言から、冒険者を使い捨てのコマのように扱っていた。そのどれもが、冒険者ギルドのマスターには不格好にも似つかわしくないと思わせたのだ。
そもそも論、ラッシュは初めから睨んでいた。違和感を感じていた。
この程度のことはラッシュではなくとも、優秀な人材の揃う〈《黒影の牙》〉なら誰もが勘付いていただろう。
それでもライムを微かな信用で生んだ油断。それが今回、ネイルとシザースが命を落とした理由だった。
もちろんそのことは既に清算されている。
今更後悔しても遅かったが、何故依頼を出したのか、表沙汰にして体裁を守りたかったのだろう。
ただし甘かった。感情のベクトルを誤っていたからこそ、死線を絶えず歩み続けて来たラッシュ達には効かなかった。騙すことが出来ず、故に話を早く切り上げたかったのだろうと、簡単に想像も付いた。
「まあいい。私の仲間に手を出したんだ。地獄の果てまで追い掛けて、その喉元を掻き切ってやる」
「ッ!? ま、待ってくれ。情報を吐く、情報を提供すれば……」
「どうせお前は死ぬ。末端の命など安いものだ」
ライムは信じれなかっただろう。
想像以上に、〈《黒影の牙》〉が仲間想いであり、諜報や暗殺を専門に行うものの、命の価値を理解していた。
だからこそ、ライムはラッシュの逆鱗に触れた。可愛い顔をしておきながら、真実は何処までも深い闇。本質的な殺意を前に命乞いは無意味に終わる。
末端の命など、何の価値も無かった。
そこから得られる情報など、〈《黒影の牙》〉は容易く集めることが出来る。
地獄の果てまで追い掛け、喉元に食らい付いて根底から潰す覚悟を示すと、ライムは怒りを露わにする。ここで死にたくはない、終ってたまるかと魔法が使えないのに足搔こうとした。
「ギルドマスターが死ねばどうなるか分かっているのか!」
「黙れ」
ボキッ!
ラッシュはライムの首をへし折った。体重を乗せて踏み潰すと、あっという間に命は掻き切れる。
目が見開いたまま口から泡を吐き出すと、体はピクリとも動かない。
地面には赤い体液が垂れ流れると、ライムの命など安いもので、呆気ない幕引きだった。
まるで相手にもならない。地獄へと堕ちる様を見届けると、死体が地面に転がった。
「ふぅ」
「マスター、ご無事ですか?」
ホッと息を整える。それも数秒にも満たなかった。
暗殺を終えたラッシュだったが、休まることを知らない。
背後に忍び寄る影。すぐさま気が付くと、声を掛けられた。ラッシュのことを、マスターと呼んでいる。
「ブレード。ああ、終った」
「そうですか。なによりです」
彼の名前はブレード。〈《黒影の牙》〉の幹部の一人だ。
特に優秀な人材であり、Aランク冒険者に数えられている。
とは言え積極的に冒険者活動をせず、主に要人の警護を行っている。世間体では騎士の爵位を与えられているが、その本質は〈《黒影の牙》〉のマスターに付き従う忠実な部下だった。
「それよりも手筈は整っているか?」
「もちろんです、マスター。それより、標的の始末」
「任せる」
「はっ」
無事にライムの命を奪った。作戦通りだ。
瞬く間に片付いてしまうが、標的と目されていた以上、〈《黒影の牙》〉の敵とみなされる。
その後ラッシュが確認を取ったのは、この後のことだ。手筈通り整っているのか訊ねると、ブレードは「もちろん」と言いたげに頷いた。
「マスター。一体敵は?」
「分からないな。だが、相当悩みを抱えている筈だ」
「闇……では、標的は? 生かしておかなければよいのですか」
「恐らく末端からの指示を受けていただけだ。これ以上生かしておいても、ロクな情報は出ない」
一体本当の敵は何者なのだろうか? ブレードはラッシュに訊ねるものの、まだ本質を掴めては居ない。
得体の知れない深い闇が広がっており、こちらを見つめている気がした。
今は精々それだけの話で、ライムをこのまま生かしていてもロクな情報は出て来ないだろう。
だからこそ、“未知なる脅威”が顔を覗かせるだけで、手出しの仕様も無かった。
「ではこれからどうされますか?」
「いつも通りだ。新しい冒険者ギルドのマスターが赴任するまでの間、得体の知れない影が何処で目を光らせているか分からないからな。警戒を怠るな」
「はっ」
ブレードの問いに速やかに答えを出す……ことは出来ない。
ライムの命を奪ったことで、今後どのような事象が介入するか未知数になる。
新しい冒険者ギルドのマスターが赴任する手筈のため、それまで最大級の警戒をしつつ、敵の正体について少しずつでも確実に喉元に食らい付くため追い掛けるつもりだった。
「死体の処理は頼んだぞ。それじゃあ……後は頼みます、ブレードさん!」
死体の処理をいつも通り部下に任せる。
特に今回は冒険者ギルドの現ギルドマスターの暗殺を行った。
最新の注意を支払うことを忘れないでいると、ラッシュはこれ以上本質を曝け出す訳には行かない。
素早く切り替えると、スイッチがONとOFFで切り替わった。何も知らない、無垢なる少女が現れる。
「あ、あのえっと、えっ、ブレードさん!?」
「ラッシュ、こんな所にいたら危険です。すぐに離れて」
「離れる? えっ、ら、ら、ライムさん!? し、死んで……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
ライムの死体に動揺するラッシュ。ここまでのことを何も覚えていない……訳では無かった。
作り出したもう一つの人格と意識と記憶を共有すると、表の面を裏の面に付け替えただけ。
ただ夜天に響き渡る大絶叫を上げると、ブレードはラッシュをあやすようにその場から離れた。こうして静けさが再び街を支配し、脅威を一つ食い尽くした。
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