第79話 黒き牙、研ぎ澄ましたりて
ここからはライムの話。
コボル洞窟での一件。結果的にエメラル達の手によって事態は収束した。
しかし冒険者ギルドの汚点であり、〈《黒影の牙》〉から優秀な冒険者が二人失われる運びとなった。
ネイルにシザース。二人の命は、何者かの手による唆されたロアコボルトの仕業によるもの。またベルトも戦線から利圧するだけの深手を負い、冒険者ギルドとの表の繋がりが一つ消えてしまった……にもかかわらずだ。
「いや、無事に終わりましたね」
冒険者ギルドのマスター、当人であるライムは笑みを浮かべていた。
時刻は深夜。既に〇時を回っている。ギルド会館を後にし、しばしの間一人練り歩いていたが、そのどれも人気の無い暗がりの中を行き来している。あまりのも怪しい行動だ。
しかしディスカベルの冒険者ギルドマスター。表だけでは務まらない、裏のことも知っている。ただそれだけのことであり、澄ました表情を浮かべていた。
「〈《黒牙の影》〉との関係性が薄れてしまったのは少々予定外でしたが、結果的に戦力の大多数は分かりましたね」
ライムとしても〈《黒牙の影》〉との関係性が悪化したことは予定に無かった。
ネイルとシザース、それからベルトと、優良な冒険者が深手を負い失われてしまった。対応が不味かったのだが、それも致し方が無い。そう判断すると、ライムはコボル洞窟に向かわせた現在の冒険者の総合力を分析する。
比較的高めだったが、それ以上のこと抱くことは無い。実際にこの目で見た訳では無いが、疲労度から明らかになる。
「やはり、王都の一角を担う四大冒険者ギルド以外は大したことはありませんか」
結局のところ、王都の治安を守る四つの冒険者ギルド。その集まり以外は大して強くも無い。
想定の範囲内であり、これなら予定通りに事を運べるやもしれない。
ポケットの中から小さな小瓶を取り出してニンマリ笑みを浮かべると、音もなく気配さえ残さない何者かが歩み寄る。
「好都合です。これなら……」
「なにを企んでいるつもりだ」
ライムの耳元に低く重低音であり、どよめく囁き声が聞こえた。
ピタリと足を止める。完全に意識の外側だった。
警戒して杖を構えるものの、コロンと先端の結晶が切り取られており、地面に落ちて割れた。
「おや?」
「驚かないんだな」
お互いに想定していたが、想定外ではあった。
ただピタリと時間が停まった様子で夜の闇が静寂に包まれる。
あらゆる感性を一瞬だけ棒に振ると、思考までもが黒の世界に適応する。
「ええ、仕掛けて来るとは思っていましたよ」
「そうか」
「はい。こう見えて、伊達に冒険者ギルドでマスターを務めていませんから」
ライムは既に予期していたことだった。だからこそ、常に冷静を装っている。
実際、滲んだ汗は流れているが、それは殺気をまるで感じなかったから。そこにありふれた黒が蠢き出した程度で、完全に油断の内側に潜り込んで来ていた。
「おっと」
ライムは当然軽い身のこなしで躱そうとした。流石は冒険者ギルドのマスターだ。
しかし伸びた腕は決して離れることは無い。まるで牙のように鋭く尖り、ヘビのように襲い掛かる。
首元に回ると、触れていないのに殺意を感じた。動けば死ぬと、感覚的に理解する。
「くっ! 流石ですね」
「逃がしはしない。逃れれば、執拗に影は追い続けるだけだ」
ライムの足が竦んでしまった。それでも冷静さを失いはしない。
ただ足が止まって逃げることを止めると、声は耳元でより強く聞こえた。
脳に直接語り掛ける様子で、中心以外は空洞で、それ以外は存在しない。そのせいか本質的で純度の高い殺意が纏わり付くと、呼吸が乱れて息も荒くなりそうだ。
「やはり、貴方ですよね。お初にお目に掛かります、〈《黒牙の影》〉の本質さん」
「本質さん?」
「ええ、恨みを抱くとすれば〈《黒牙の影》〉の方でしょうから。それでなにになりますか?」
「分かっているなら、どうして逃げない」
そこにあるのは〈《黒牙の影》〉——その本質に最も近い部分。
否、まさに本質そのものに触れ、喉元を掴まれている状態だった。
目的は恐らく仲間の仇討。仲間意識があるのはマフラー達だけだと思っていたがこれは予想外の展開だ。
侮辱されたこと、見殺しにされたことを忌々しく思っているのだろう。使い捨ての命では無いと、ライムは認識を改めるが復讐を働いた所で何になるのだろうか? と、何故か達観した姿勢を取る。
「どうして? どうしてと言われれば、逃げられないからですよ。貴方方は執拗に影となり追い掛ける。あなたほどの実力者であれば尚のこと。ギルドマスターの指示ですか? それとも仲間を見殺しにされた恨みからの行動でしょうか?」
それでもライムは決して逃げることは無い。逃げようと思えば、実力を行使する。
何故取らないのか? それとも取れないのか? 単純な思考ではない。
渦巻いているのは負けず劣らずの巧妙な思惑であり寧ろ好都合だった。
「どうだろうか?」
「質問を質問で返しますか。ではそのお言葉に解を出して上げますよ」
質問に対して質問で返す。腹立たしい行いだ。
けれどライムは冷静に捉え、本質相手に解答を突き出す。
逃げられない……否、その必要などありはしないと豪語する。
「逃げられない……何故なら、逃げる必要など更々ないのですよ!」
魔力が躍り出した。ライムの感情に震え、落ちていた結晶が蠢き出す。
突然コンパスのように円を描き出すと、ライムの呼び掛けに応じるように魔法を発現させる。
夜の闇をものともしない、眩しい閃光が淡く煌めく。あらゆる殺意を無碍にするような煌々たる輝きは、ドップリ浸かった悪意のようにギラギラと白い歯を反射させた。
「ん、これは?」
「貴方を殺すための魔法ですよ。見たことが無いでしょう、これが絢爛たる悪意、ヴィルタリア。飲み込んだものを決して取り逃すことは無い、死の絶対監獄です」
コンコンと空間を叩いた。魔力の防護壁が張られている。
ドーム上に展開されたソレは、生半可な衝撃では破壊することは出来ない。
悪意に対するより強烈な悪意で塗り固めたような、酷い魔力で練り上げられたものだった。
「これが監獄?」
「ええ、この監獄からは決して逃れることはできない。少なくともこの魔法を発動した本人が死ぬか、周囲の魔力を全て喰らい尽くすまでは」
「そうか。だったら話は早いな」
ヴィルタリア—ライムの開発した魔法であり、特異な薬品で強化したものだ。
一度立ち入れば発動した張本人以外は外に出ることは出来ず、一方通行でさえない。外と内を完全に遮断してしまうと、逃れる手段は一つだけ。
それは周囲の魔力の流れを断つか、発動した魔法使いの息の根を止めることだった。
最もライム自身は死ぬ気など更々なく、鼻っから無理だと悟っていた。にもかかわらず余裕そうな笑い声に腹を立てる。
「おっと、殺そうとしても無駄ですよ? この監獄の中では無敵。つまり貴方の正体を把握することも可能……はっ!?」
振り返ったライム。顔だけでも確認しておこうと思った。
一体どんな冒険者が姿を見せたのか? これだけ強烈にして無なる殺意だ。
興味を持ってその顔を確認する……しかしライムは固まった。感想が出ない、一体何故と思わされると、昼間の地震の無さとは裏腹にあらゆるものを死へと至らしめる善でも悪でもない、無を抱いた瞳をチラつかせるラッシュの姿だった。
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