第73話 薬品の効果
薬よりも怖いのが、オボロのサイコモード。
僕は鮮明に思い出していた。
自分よりも強い相手と戦う時、まず大切なのは心を落ち着かせることだった。
常に自分自身を意識しつつ、それで居て冷静に物事を見極める。目の前の恐怖の対象から恐怖心を取り払う必要は無いが、必要以上に怯えないことを念頭に据える。
「ふぅ……」
呼吸を整えてロアコボルトの背後を取った。
それと同時にシュナ師匠の言葉が脳裏に焼き付けられ、再生される。
『いいか、オボロ。お前は小さい。おまけに力も無い。だからこそ、その殺意を向けろ。確実に殺すと慄かせろ。そうすれば大抵の相手はお前の希薄にビビって動きが鈍る』
シュナ師匠の言葉は的確だった。
要するに同じ土俵で戦おうとするのではなく、自分に有利な状況を作り出せってことだ。
強引に突破できるシュナ師匠とは違う。僕だけの武器を振りかざし、目の前の敵を殺す。
(ここは洞窟。天井の高さは三メートル前後。ロアコボルトはエメラルに釘付け)
洞窟の高さと幅を計算に入れた。
それから現時点ではエメラルに死線を釘付け出来ている。それだけ脅威の矛先がエメラルに向いているからだろう。
だからこそ僕は自由を得ていた。敵にもみなされていないのは、即ちそれだけ自分の存在感が薄いことに直結する。とても理に適っており、高い敏捷性を活かすには、それからこれから見せる奥の手のためには、必要な要素だった。
「まだ使わなくてもいい。今は……」
奥の手は最期まで取っておく。
だけどいつでも指先を切れるようにはしている。
これでサイコパスになれる。そうなれば僕は今よりもっと強くなれるけれど、あんなものは最終手段でしかない。だからこそ……
「はっ!」
地面を軽い力で蹴った。
パッとロアコボルトの背中に飛び乗ってみせる。
両脚でロアコボルトに掴まり、探検を突き刺して体を固定する。
「ヴァウジャ!?」
「オボロ、なにやってるのよ!?」
「いいや、普通に……ねっ!」
ロアコボルトは痛みとは違う、僕が纏わり付いたせいで迷惑している。
それが重要であり、体をグラグラ動かして暴れている。
今にも振り落とされそうでエメラルとクロンに心配を掛けたけど、全然問題無い。何故なら僕の目的は決まっていて、注射器をブスリと首に刺した。中の薬品を注入する。
「ヴァウジャァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
薬品を注入されると、ロアコボルトはけたたましく叫んだ。
全身が今にも弾けてしまうそうなほど伸びると、暴れ回ってしまう。
当然こうなるのは理解していたけれど、僕も振り落とされないようにした。
だけど全然ダメで、ロアコボルトに放り投げられる。
「って、うわっ。ちょっと待って……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
「ちょっと待って。私に……ぐへっ」
宙を舞った僕。エメラルとぶつかってしまった。
ドンッ! と正面からぶつかって、エメラルは受け身を取っている。
背中から壁に叩き付けらると、苦しそうな表情を浮かべた。
「な、なに?」
「ううっ、弱ってる? 目の色が変わって……」
僕とエメラルが巻き込み事故に遭った。けれどクロンも杖を構えている。
魔法を詠唱しつつ、僕の奇策を待ってくれていたみたいで、いつでも仕掛けられるらしい。
だけどロアコボルトの様子が妙で、全身から熱を放出し大量の汗を掻いていた。明らかに弱っていて、体の動きがやけにギコちなく、指先が震えている。
「ジャウッ……」
ロアコボルトは口からだ液を垂らしていた。
常に下を出した状態で、呼吸がやけに荒い。
今にも勝手に潰れてしまいそうだが、舐めてはいけない。いつでも動けるように体を起こすエメラルだったが、僕が邪魔みたい。
「大剣を落としたわよ!?」
「うん。これならただの大きなコボルト」
ついに大剣を落としてしまった。
もはや汗でびしょ濡れな素手でしか攻撃が出来ない状態。
確実に弱っていると言ってもよく、威圧感はとうに消えていた。
「そうね。動きも鈍足よ」
「クロンでも余裕で躱せるね」
動きがかなり鈍っていた。
悪気は無いけれど、クロンでも易々と躱せてしまいそう。
全身が気怠くて仕方が無く、腕を振り回すも力が入っていない。
小さな岩の破片が散らばる程度で、クロンは楽々と避けてみせた。
今が頃合いだ。一気に勝負を決めた方がいいと悟る。
「ほら、やるわよ。ちょっとオボロ、早く退けなさい」
「うん、ちょっと待ってよ」
エメラルに叩かれた。ちょっと痛いな。
確かにこのままはよくなくて、僕は起き上がろうとする。
エメラルが前線に出られないのは、とてもでは無いけれど損失が大き過ぎた。
それにしても、平たい気がする。
何だろう、装備の胸板で押さえつけられているせいかな?
別に特段意識はしないけれど、完全に筋肉に支えられていた。
「よっと」
「ひやっ!? なによ、またアレなの」
「また?」
僕はエメラルにもたれかかっていたけれど、すぐに起き上がった。
すると妙なことを言ってくれるね。
僕に「また」って何? 全然覚えは無いけれど、ニヤニヤ笑みが止まらない。
「あっ、血……そっか、エメラルの装備に鼻をぶつけて」
完全に自業自得だった。
エメラルは何も悪くないけれど、鼻を折ったっぽい。
この辺は師匠達には全然追い付けなくて、僕は自分の鼻を触る。
ああ、血だ。血だよ血。いい色をしていて、ドクンドクンと心臓が脈打つ。
何かが呼び覚まされるような感覚に浸ると、とても心地よかった。
「ふっふふふ、あはははははははははははははははッ!」
突然腹の底から笑いが止まらなかった。
頭の中がやけに透明でクリアになっている。全てが見通せるような快感がそこにある。
全身の制限が完全に外れてしまうと、身体能力の上限は消えていた。
圧倒的な殺意。純粋なサイコパスではない、養殖産かもしれないけれど、それでも僕には手に余った。
「「はぁ、始まった」」
引かれはしないけれど、溜息を付かれた。だけどそんなの関係無くて、今の僕は早々負けることは無い。
結局こんな事故的な感じだけど、全身から殺意がみなぎっていて、弱ったロアコボルトは敵でも無かった。
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