幽霊でございます(後編)
怪談話の後編です。
深夜の病院。
本棟から離れた、霊安室に近い病棟の一室に忍び寄る人影があった。
人影は息を殺して耳を澄ませ、何も聞こえないことを確認して、こっそり病室のドアに手を掛け…開いた。
新米看護婦の鍵の締め忘れだ。
直前に聞いた先輩の話が怖くて、霊安室の近くを一刻も早く離れようとしたので、確認が甘くなっていたのだ。
「――♪」
人影は歓喜したが、直ぐに慌てて口を塞いで周りを見回す。
声は出ていなかったし、誰にも気付かれていない。
病室の中を覗くと、一人の少女がベッドで眠っている。
人工呼吸器を付けているが、現在は動いていない。
繋がれている他の計器にも異常は無かった。
『誰?』
陽炎が誰何したが返事は無い。
当然だ。
問い質したのは眠る少女では無く、その空中に浮かぶ、同じ顔の少女――幽霊――なのだから。
人影は空中の彼女の声に気付かない。
病室に入って静かにドアを閉めると中から鍵を掛け、ベッドで眠る少女に近付き、あろうことか少女の胸に手を置いて揉み始めた。
『ひぃっ?!』
空中の少女は自分の肩を抱いて、嫌がるような気持ち悪がるような声を出して身悶えした。
人影は時々計器を見て、大きな揺れが無いことを確認すると、また胸を揉み始めた。
病院関係者が異常を検知して確認しに来ることを警戒しているのだ。
『うぅ…?!』
空中の少女には気持ち悪くてもどうしようも無い。
両手で顔を隠して見ないようにして耐えていたが、指の隙間からチラチラ見ては顔を赤くしていた。
人影はそんな彼女の葛藤には一切気付かず、一頻り胸を揉むと、今度は眠る少女の上半身を慎重に開けた。
大きくは無いが形の良い半球が転び出て、その反動でプルンと震えた。
『いやぁっ!』
ここまで来れば空中の少女にも理解できた。
この人影は途中で止める気が無いことを。
『誰か! 誰か助けて!!』
空中の少女は助けを求めた。
気持ち悪い感触に震える彼女には、何時ものように身体を離れて助けを呼びに行くことも出来なかった…。
***
「!?」
ドンッ!
控え室で夜食の牛丼を食べていた婦長さんは、丼と箸をテーブルに置いて控え室を飛び出した。
「………」
控え室を出て左右を見渡すと、後は脇目も振らず深夜の病院を駆け出した。
右に左に廊下を走るその足音は意外なほど小さい。
普段歩いている時の方が大きいほどだ。
眠っている入院患者さんたちに配慮しているからである。
こんな時間なので廊下は常夜灯しか点いていない。
偶に光が漏れている部屋もあって、普段なら注意をするところだが今回は見逃された。
霊安室に近い、目当ての病室に到着すると、婦長さんは迷うこと無く思い切りドアを開けた。
バキンッ! バァンッ!!
鈍い金属音を立てて頑丈な鍵が壊れ、続けてドアが壁にぶつかって派手な音を響かせた。
「?!」
『花子さん!?』
病室の中にはベッドの上に眠る少女と、少女に跨ってドアの方を見て固まっている男、そして空中の幽霊。
「何をしているざます!」
固まっていた男は無意識に少女の懐から手を引っ込める。
その反応は何をしていたかを如実に物語っていた。
次の瞬間、婦長さんは男が動き出すよりも早く、部屋中に視線を巡らせながら男に詰め寄り、その襟首を掴んで持ち上げてベッドから引き離すと、そのまま捻り上げて男の意識を刈り取った。
「―――…」
婦長さんは気絶した男を床に下ろすと、眠る少女の様子を確認した。
呼吸に多少の乱れはあったが、人工呼吸器が作動するほどでは無く、繋がっている心電図にも異常は無い。
病衣は上下ともに開けていたが、事に及ぶには間に合っていた。
婦長さんは安堵の溜め息を漏らすと、少女の病衣を正してから上を見て言った。
「もう大丈夫ざます」
「花子さぁ~~んっ!!」
視線の先、ベッドで眠る少女の上の空中から、少女と同じ姿をした幽霊が涙目で婦長さんの胸に抱き付いて泣きじゃくった。
婦長さんは彼女を抱き止めて頭を撫でた。
「…怖かった。叫んでも誰も気付いてくれないし…」
「何時までも閉じ籠っているからざます」
「?!」
陽炎は指摘に驚いたが、考えてみれば当たり前のことだ。
婦長を務める花子さんが、彼女が入院している理由を知らないはずが無い。
「困ったら相談する。私だって言われないと分からないざます。貴女だってそうざましょ?」
「…でも…」
「でもでは無いざます。ちゃんと言って欲しいざます。相談してくれたら、私も相談に乗ってあげるざます」
「…うん……うん………」
彼女の瞳が溢れんばかりの涙に潤む。
それから彼女は婦長さんの胸の中で語った。
自分が学校でいじめられていること。
親は落ちた成績のことばかり責めて話を聞いてくれなかったこと。
友達もいじめっ子と一緒にいじめたこと。
誰にも相談できなかったこと。
痛かったこと。
辛かったこと。
苦しかったこと。
…自殺したこと。
だから彼女は怪我が治っても目覚めなかったのだ。
婦長さんは彼女に約束した。
(花子さんはやっぱり私の王子様。だから…
…さようなら)
幽霊は嬉し涙を流しながら、その腕の中で朝靄のように消えて行った…。
***
男は何処にでも居る普通の入院患者だった。
暇を持て余した彼は、病院内を徘徊している内に眠ったままの少女を知り、持て余した性欲から犯行に及んだのだ。
鍵の閉め忘れが無ければ、彼は悶々としたまま夜な夜な徘徊を続けていたことだろう。
彼は性犯罪者として警察に引き渡された。
幸か不幸か、彼は入院していたとは言っても、刑務所内での医療が可能な範囲だった。
治るより早く塀の外に出てくることは無く、病院に戻ることは無かった。
また、新米看護婦が責任を感じて、今まで以上に仕事に真摯に向き合うようになったことは言うまでもない。
***
翌日。
陽炎は目を覚まし、連絡を受けた両親が駆け付けた。
彼女にいじめられていたことを告白された両親が責任の擦り付け合いを始めるも、婦長さんの誠意を受けて反省し、娘を大切にすることを約束した。
両親は彼女の転校も考えたが、転校先が決まる前に学校で変化があった。
まず、いじめの中心人物が全員、何故か登校拒否になった。
その後、いじめを隠していた担任教師が懲戒解雇された。
当然、学校からも彼女の家に示談の申し出があった。
仕方なくいじめに参加していた友達が家に謝りに来たこともあり、彼女は友達と仲直りし、転校は取り止めになった。
いじめっ子たちや学校に何があったのか、彼らは思い出すことすら恐れて誰一人口にしようとしない。
唯一つ確かなのは、彼女が元通り…幽霊だった頃のように明るくなったことだけだ。
「花子さぁ~ん」
陽炎は病院に着くなり婦長さんに抱き付いた。
長く眠っていた彼女には定期的な検診が必要なのだ。
その光景を微笑ましく眺める看護婦が呟いた。
「それにしても、なんで婦長さんは彼女のピンチがわかったのかしら?」
婦長さんは何も答えず、ただ微笑むだけだった。
めでたし、めでたし。
次は明日の08:00頃投稿予定です。




