第四話 それは彼女の溢れ出す感情
アーサー殿下が訓練を見学された翌日。
私はエリザベス王女殿下に呼ばれて登城していた。
――曰く、『アーサー殿下からの求婚について』。
「……やはりこうなったか」
軽くため息をつく。
……呼び出されることは、予想出来ていた。
「私からのプロポーズが、何か問題でもあったのでしょうか?」
私の隣にいるアーサー殿下が、小首を傾げていた。
本当は私一人で謁見するつもりだったのだが、私が呼び出されたことを知ったアーサー殿下が同行すると言ったのだ。
「問題といいますか……呼び出された心当たりは、あります」
「……なるほど」
心当たりはあるが、私の口から話せるような内容ではない。
いずれにせよ、私が王女殿下の臣下である限り、彼女に説明しないわけにはいかないだろう。
気を引き締めて、謁見の間へと足を運んだ。
*
謁見の間にて、首を垂れて王女殿下の入室を待つ。
ほどなくして、王女殿下が現れた。
「っ!」
王女殿下の驚いた息遣いが聞こえる。
それもそのはずだ。本来彼女に呼ばれたのは私だけだ。
アーサー殿下が来ることは連絡が行っているだろうが、まさか本当にいるとは思わなかったのだろう。
「……面を上げて良いわよ」
鈴を転がすような声が聞こえる。
ゆっくりと顔を上げると――。
栗色の柔らかそうな髪に、私と同じ緑の瞳。
御年11になる、エリザベス王女殿下がいらっしゃった。
「……本当に、アーサー殿下もいらっしゃったのね」
「お初にお目にかかります、エリザベス王女殿下。そして急にお訪ねするご無礼をお許しください」
王女殿下は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
一方のアーサー殿下はというと、涼しげな笑みを崩さない。
「……用があるのは、そこにいるジュリエットだけなのですが」
「ジュリエット嬢と私の婚約のことでお呼びになったと聞いております。それならば私からも、ジュリエット嬢の主人であるエリザベス王女殿下にご説明差し上げねば、と」
アーサー殿下は笑顔だが、声がどこか張り詰めている。
……まだ幼さが残る王女殿下とはいえ、相手は同盟国の王族だ。気が抜けないのだろう。
アーサー殿下の笑顔に気圧されたのか、王女殿下はおずおずと話を切り出す。
「……なぜ彼女なんです?」
「私は先の戦争で、ジュリエット嬢に命を救われました。あの時のジュリエット嬢の姿や誇り高さを目の当たりにし、ぜひ我が妻にお迎えしたいと思い求婚した次第です」
「他にも、アーサー殿下に相応しい女性がいるのではなくて?」
「立場だけを考えれば、私と結婚できる女性は他にもいるでしょう。……しかし、私はジュリエット嬢を選びたい。我が国のために尽力してくれた、気高き武人である彼女を」
……アーサー殿下の説明は卒がなかった。
王子としての立場を崩さず、それでいて情があることも感じられる。
「救われた恩を返すためなら、他の方法もあるではありませんか……!」
王女殿下がひじ掛けを握っている。
その指先は、力が籠っているからか真っ白だ。
横目でアーサー殿下の方を伺うと、アーサー殿下は背筋をまっすぐに伸ばして、少しも王女殿下から目を逸らしていなかった。
「いいえ、王女殿下。私は恩を返すためだけではなく――」
彼ははっきりとした声で、告げる。
「――ジュリエット嬢に惹かれたからこそ、彼女に妻となっていただきたいのです」
アーサー殿下の、その言葉に。
王女殿下は、言葉が詰まってしまった。
しばしの沈黙が続く。
アーサー殿下はじっと王女殿下を見据えていた。
内心落ち着かなかったが、私も静かに、王女殿下が口を開くのを待っていた。
「……アーサー殿下のお気持ちは分かりました」
王女殿下が小さな声でつぶやく。
その薄い唇が、わずかに震えている。
緑の瞳がゆらゆらと、潤んでいる。
「でも……私が言いたいのはそうではなくて……」
眉を寄せて、俯く王女殿下。
――ああきっと、もう限界だ。
「だって……ジュリエットは私の騎士なのよ!? 隣国の王子様と結婚したら、もう今までのように会えなくなるじゃない!」
彼女が必死に押しとどめていた言葉が、あふれ出した。
「王女殿下!」
そんな彼女の姿が痛ましくて、思わず駆け寄る。
「やだ! そんなよそよそしく呼ばないで!」
「……リズ様」
そうだ。
エリザベス王女殿下――リズ様は、ずっと私のことを気に入ってくれていた。
「ジュリエットは私のだもの……! どこか遠いところへ行っちゃうなんていや……!」
リズ様は駆け寄ってきた私に抱き着くと、そのまま胸元に顔を埋めて泣き出した。
リズ様の背中をさすりながら、アーサー殿下の方に視線を向ける。
「……そういうことでしたか」
アーサー殿下は、どこか胸を撫でおろしたような、緊張が解けた顔つきをしていた。
念のためアーサー殿下に、私とリズ様の関係を説明する。
「王女殿下の幼き頃より、私は近衛としてお仕えしておりまして……今は騎士団と兼務しております」
「それはそれは……王女殿下にとってはさぞ頼もしかったことでしょうね」
リズ様が物心つく年ごろから、お傍にお仕えしていた。
数少ない女性騎士ということもあり、リズ様と共に過ごす時間は長かった。
そのため――リズ様は私を、姉のように慕ってくれている。
「やっと戦争から戻ってきたのに、ジュリエットは騎士団のお仕事もあるし……! 私だけのジュリエットじゃなくなっちゃったのに、お嫁に行ったらもっと会えなくなってしまうわ……!」
リズ様はその大きな瞳を真っ赤に腫らして私を見上げる。
涙で目元に髪の毛が張り付くのを、そっと払って差し上げる。
「リズ様。いつか別れは来るものです。リズ様もいつかお嫁に行くでしょう?」
「でも、こんなに早くジュリエットとお別れになるなんて思わなかったの……!」
リズ様の手が、縋るように私の騎士服を掴んでいる。
少しも力を緩めないその手を見ていると、一部始終を聞いていたアーサー殿下がリズ様に語り掛けた。
「エリザベス殿下。……私は貴方にお誓いいたします」
「……なんですか」
リズ様は自分の泣き顔を見られたことを恥ずかしがるように、ぶっきらぼうに返す。
「エリザベス殿下は、ジュリエット嬢にとって大切なお人です。私の都合で、お二人を無理やり引き離すようなことは致しません」
その言葉に、驚かされた。
あれだけ愛の言葉を告げてきたアーサー殿下が、これまでと同じ真摯な瞳でそう言う。
「エリザベス殿下が私のことを認めてくださるよう、努めます」
「……認めなかったら、諦めてしまうのですか? ジュリエットへの気持ちはその程度だと?」
いじけたリズ様はこうして意地悪を言う。
仮にも相手は隣国の王族だと内心焦ったが、アーサー殿下は少しも動じていなかった。
「いいえ。貴方にご納得いただけるまで諦めません。……たとえ千年かかっても、ジュリエットのことを待ちます」
「……待つ間に他の女性との縁談の話が来ても?」
「もちろん断ります。……ジュリエットでなければ意味がない」
そう言って彼は、眉を下げて笑う。
「貴方がジュリエットを愛するように。貴方にとってジュリエットの代わりはいないように」
言葉のひとつひとつを噛みしめるように。
言葉を紡いでいくアーサー殿下の姿を、リズ様は瞬きもせず見据えていた。
「――私も、ジュリエットが良い。私にとっても、彼女の代わりはいないのです」
……リズ様が息を飲む音が聞こえた。
その丸い瞳が更に大きく丸くなる。
リズ様はそうして、言葉を考えるように何度か口を開きかけた。
そうしている内に、私の騎士服を握りしめていた手が緩んでいく。
「……本当は、分かっているの。アーサー殿下が良いお方だっていうことも、この結婚がジュリエットにとって良いお話なことも……」
か細い声が、ぽつりと漏れる。
「……でも、寂しいの……」
泣きはらした目が、惑うように揺れている。
……王族と言えど、まだ11歳。少女と言っていい年齢だ。
親しい者との別れは、すぐに割り切れるものではないだろう。
私はそっとリズ様の足元に跪いて、その手を取る。
いつもこうして騎士の振る舞いをするたびに、リズ様はきゃらきゃらと声をあげて笑ってくれていた。
「私はリズ様の盾でございます。それは昔も今も、変わりません。……リズ様が呼んでくださったなら、私は地の果てからでも、貴方様の元へと駆けつけましょう」
リズ様と過ごした日々は、かけがえのないものだった。
彼女をお守りできたことは、騎士として生きる私の支柱になっている。
「離れていたとしても、私の心はリズ様と共に有ります」
――最高の主人に巡り合えたと、そう胸を張って言えるのだ。
リズ様はしばらく、静かに私の目を見ている。
――緑の瞳がお揃いだと、リズ様はよくはしゃいでいた。
そうしてリズ様は、少し鼻を鳴らして涙を拭うと、椅子に深く座り直した。
「……分かったわ」
その声はもう、怒りの色は滲んでいない。
「……アーサー殿下。先ほどは無礼を申し上げてしまいました。どうぞお許しくださいませ」
「いえ。先に無礼を働いたのは私の方ですから」
リズ様はアーサー殿下に頭を下げると、アーサー殿下と私の顔を交互に見る。
そして――柔らかに、笑った。
「私はお二人の結婚を、心から祝福いたします」
この国の王女として、背筋を伸ばしてそう言うリズ様。
ああ――この方が主人であることは、私の誇りだ。
「結婚をお許しくださり、ありがとうございます」
アーサー殿下もリズ様に頭を下げている。
リズ様はそれから、私の方を見上げると、いつものあどけない笑顔を見せた。
「大好きよ、ジュリエット――絶対に幸せになるのよ」
「……ありがとうございます。リズ様」
こうして、嵐のようなリズ様への謁見は終わったのだった。
*
「……一件落着ですね」
「私が言える立場ではないのですが……お騒がせしました」
謁見からの帰り道、二人だけで言葉を交わす。
なぜリズ様が私を呼び出したのか、見当はついていた。
それなのにアーサー殿下を巻き込んでしまったことは、申し訳なかった。
「いえ、貴方の新たな一面を見ることが出来たので、むしろ役得でしたよ」
「そんな……」
アーサー殿下は心から楽しんでいるようだ。
申し訳ないと思いつつ、そんなアーサー殿下に甘えている自分がいた。
(……本当にアーサー殿下は、素晴らしい方だ……)
先ほどの謁見で、アーサー殿下がリズ様に話していた言葉を思い出す。
『たとえ千年かかっても、ジュリエットのことを待ちます』
少しも言葉に詰まることなく、即座にアーサー殿下はそう言ってのけた。
私だけでなく、私にとって大切な人たちのことも、すべてまとめて、受け入れてくれている。
なんて懐が深くて――強い人だろうか。
(……眩しい)
アーサー殿下が、きらめいて見える。
その強さが、彼の芯なのだとしたら――。
(私はその強さを、支えたい――)
彼の芯の強さが、内なる輝きとして目に見えるようだった。
その輝きを隣で守ることが出来たなら、それはどんなにか――。
「――そう言えば、ジュリエット」
「なんですか?」
ふと声を掛けられて、アーサー殿下を見上げる。
「王女殿下の祝福を受け入れたということは――私との結婚を前向きに考えてくれていると、期待してもよろしいですか?」
「それ、は――!」
そうだ、私はまだアーサー殿下に、正式に返事をしていない――!
しかし謁見の時の私の態度は、既に結婚を受け入れている者の態度だ!
「……ちゃんとした場でお返事しますから、もう少しだけ待っていただけますか……?」
「もちろんです。……楽しみにしていますよ、ジュリエット」
覚悟を、決めなければ。
彼を、生涯支えていくために。




