第二話 それは彼の忘れえぬ過去
夜会のあと、この求婚の話はまたたく間に貴族たちの間で広まっていった。
私は周囲から好奇の視線を浴びつつ、アーサー殿下が用意してくださった馬車で帰宅の途についた。
両親にこのことを報告したところ――。
「まあ! あのアーサー殿下が!?」
「お前を見初めてくださるとは……!」
驚きと歓喜に満ちた声をあげていた。
母は喜びで今にも踊り出しそうだ。父は感極まったように、目頭を押さえている。
……私だけが、混乱の中にいるようだ。
二人の反応は置いておき、淡々と報告を続ける。
「実は、アーサー殿下から二人でお茶を飲まないかと誘われており……」
夜会会場をあとにする時、アーサー殿下にお誘いいただいたのだ。
いきなりのことで驚いただろうから、二人で話をする時間が欲しいと。
俯く私の表情を見て、父が静かに語り掛ける。
「……アーサー殿下はお優しい人だと聞く。答えを急かされることはないだろう。……焦らず自分の気持ちを確かめておいで」
いずれにせよ、私はアーサー殿下と話す必要がある。
殿下のことを知るためにも、私はアーサー殿下とお会いすることを決めた。
*
アーサー殿下とお会いする当日となった。
殿下は王宮の敷地にあるゲスト用の離宮に滞在している。
そこの庭園にあるガゼボで、話をすることとなった。
またしても慣れないドレスに身を包む。
母上はアーサー殿下の瞳の色である水色のドレスを勧めてきたが、さすがにそれは憚られたので自分の瞳の色である緑色のドレスを選んだ。
私の姿を見たアーサー殿下は、瞬きもせず数秒見つめると、とろけるように微笑む。
「……ああ、風の妖精かと思いましたよ、ジュリエット嬢。夜会の時の貴方は華やかで美しかったが、今日の姿はまた一段と愛らしい」
直球の言葉に面食らう。
夜会の時も思ったが、殿下の言葉は、その……とても甘い。
「恐れ入ります、ハートロード国王子殿下」
「そんな、やめてください。貴方にはあの時のように、名前で呼んでほしい」
「……では、私のこともどうぞジュリエットと」
戦場では、素早く情報を伝達するため、殿下のお名前を呼ぶことが許されていた。
もう戦場ではないため礼節を持ってお呼びしようとしたのだが……。
「どうぞ掛けてください、ジュリエット。可愛らしい貴方に、傍にいてほしいのです」
「アーサー殿下、お褒めのお言葉は嬉しく思うのですが……私のような武人にはもったいないお言葉で……」
怒涛の甘い言葉に、顔が熱を持つ。
アーサー殿下はけろりとした顔で口にしている。
「いいえ、ジュリエット。貴方の素晴らしさを言葉で表そうとしたら、この程度ではまったく足りません」
殿下の水色の瞳は一点の曇りもなく、本気でそう言っていることが伺えた。
「現代に名を遺す古の詩人も、画壇に革命を起こした画家も、貴方の美しさを完璧に表現することはできないでしょう」
真顔で淡々と話す殿下に、一周回って恐ろしさすら感じる。
殿下は私のどこをどう見て、そんなに褒めてくださるのだろうか。
気恥ずかしさに思わず手を強く握る。傷隠しのための手袋が痛んでしまうけど、気にしていられなかった。
「ああでも、これだけは知っておいてください。私はこうして貴方の素晴らしさをいくらでも話せますが……私は戦場での貴方の姿に、恋に落ちたのです」
その言葉に、ますますわけが分からなくなった。
着飾っている今の姿を見て「恋に落ちた」と言うのなら、まだ理解のしようもあるが。
戦場での私は、血と汗と埃にまみれた武人だ。殿下との会話も、必要最低限のものだった。
殿下に気に入っていただける理由が、なにひとつない。
「無礼を承知でお聞きしてもよろしいでしょうか、アーサー殿下」
「ジュリエットの聞きたいことはいくらでも答えましょう」
「恐れ入ります。私はあの戦場で……殿下に特別お目を掛けていただけるようなことを成した覚えがないのです」
私の中にある最大の疑問。
これを聞かないことには、アーサー殿下を知ることはできないと思った。
「私は敵襲から退却する手伝いをさせていただきました……しかし、これは武人としては当然のこと。それを特別に思っていただく理由が、見当つかないのです」
(……殿下は、『貴方に生かされたあの日から』と言っていた)
つまり、殿下を逃がす助けをしたことがきっかけなのだろう。
おそるおそる殿下の表情を伺うと、殿下は懐かしむように、目を細めていた。
「なるほど。貴方にとっては、そうなのですね……。いえ、そう言える貴方だからこそ、私は貴方の魂に惹かれたとも言えます」
なにかに納得したように、殿下は何度か頷いている。
殿下は紅茶を一口飲むと、戦場でのことを話してくれた。
「私たちは国境を防衛するために、東の街道に陣を構えていたでしょう? そしてそこを強襲された」
ハートロード王国は大陸の交通の要所だった。そこを他国から狙われ、防衛戦が始まった。
私たちは重要拠点のひとつである東の街道を防衛していた。
そこに、敵の急襲があったのだ。
「あの時は敵の軍勢が多く、一時退却しなければならなかった。……本当はあの時、私は貴方と共に退却するつもりだったのです」
――私も、覚えている。
アーサー殿下は、部隊の中でただ一人の女である私に気を配ってくださっていた。
だからこそ、だろう。
私が殿を務めると申し出た時に、殿下は止めようとされていた。
それを、私が断ったのだ。
「惑う私に、貴方は言ってくれたのです」
殿下はまるで昨日のことのように、あの日の私の言葉を語ってくださる。
『アーサー殿下がここで命を落とせば、ハートロードの国民たちは悲しみに暮れましょう。王族を討ち取ったとなれば、確実に敵の追い風となってしまう』
『私を女性として庇護しようとしてくださったこと、ありがたく存じます。しかし私は武人。殿下をお守りする一助となることこそ、我が誉れなれば』
「『どうか私に、貴方をお守りする栄誉を、お授けくださいませ』――。貴方はそう言って、私を守り抜いてくれたのです」
とっておきの宝物だと言うように、アーサー殿下は私を見つめる。
「ジュリエットのその言葉に、凛とした眼差しに、貴方の中の芯が見えたのです。……誇り高く、まっすぐな」
殿下は目を逸らさない。
まるで本当に、私の芯を見つめているかのようだ。
「退却するときに振り返ると……ひとつに束ねた貴方の金色の髪が、流星のようになびく姿が見えました。その輝きと、勇ましい横顔が……ずっと私の目に焼き付いているのです」
『我が麗しの流星の姫君』
殿下が私をそう呼んだ理由が、分かった。
戦場生活が続き激しく痛んでいた私の髪が、殿下の思い出の中では美しい景色として残っている。
「そう、でしたか……」
今はおろされている長い髪を、手袋越しにそっと触れる。
「夜会で再会した時は、本当に胸が震えたのです。着ているものこそ違いましたが……貴方はあの日と同じように、凛と背筋を伸ばしてあの場所に立っていた。だから、私は貴方を見つけられた」
静かに、しかし明瞭な声でアーサー殿下は話す。
「……お分かりいただけましたか? 私がどれだけ、貴方に恋い焦がれているかを」
「……痛いほどに、実感いたしました」
ここまであらゆる言葉を駆使して、過去の記憶を掘り起こして語り聞かされたら、嫌でも分かってしまう。
しかも、アーサー殿下は求婚までしてきている。
「理解はしましたが……私のように淑女らしからぬ者が、一国の王子殿下の伴侶となるのは……」
「ジュリエットは女性らしさを気にされているようですが、それは些末なことです」
アーサー殿下の表情から、笑みが消える。
真摯に、こちらに向き合ってくれている。
「私は、貴方が貴方だから、好きになったのです」
まっすぐに投げかけられた言葉に。
「は、はい……」
顔が茹ったように熱くなり、かすかな返答しか出せなかった。
「貴方を妻に迎えたいと思っているのは事実ですが、焦らせたいわけでもない。……ゆっくり考えて、結論を出してください」
アーサー殿下はこの場でも、私を思いやってそう言ってくださる。
「貴方が結論を出せるまで、そばにいますから」
ひとつも余すことなく、私に感情を注いでくれるアーサー殿下。
私も殿下に答えるために、真摯に向き合いたい。
彼が愛してくれた、『誇り高く、まっすぐな』私として。




