第一話 それは彼女の予期せぬ求婚
粉塵漂う視界、血の匂い、軋む鎧の音。
あの日の戦場で起きた出来事を、よく覚えている。
「アーサー殿下、今すぐお逃げください!」
「しかし、貴方を置いてなど――」
「私は騎士です! 貴方をお守りすることこそ我が務め!」
敵が迫る中、決死で逃がした隣国の王子様。
かの方と私が交流したのは、戦場にいる間だけ。
幾年も月日が流れ、もうお会いすることはないと思っていたのに――。
その方は今、慣れないドレスを身に纏っている私に、跪いている。
「やっと……貴方にお会いできた……! 我が麗しの流星の姫君……!」
傷だらけの私の手を取り、慈しむような瞳で私を見上げて。
「ジュリエット嬢。どうか私の――生涯の伴侶に、なっていただけますか?」
まさか求婚されるだなんて、思いもしなかった――。
*
「ジュリエット! ちょっと来てちょうだい!」
「はい、母上」
我がラインフィールズ侯爵家は、ベルクラウン王国きっての騎士の家系だ。
侯爵家の末娘に生まれた私は、幼いころから刺繍針よりも剣を持つことが好きだった。
そんな女らしさのない私を、家族は温かく見守ってくれていた。
15歳で王国の騎士団に所属してから23歳の今日に至るまで、華やかなドレスよりも武骨な軍服を身に纏うことが多かった。
ある時は王族の護衛として他国へと同行し、またある時は同盟国を助けるため戦場へ赴く。
その日々を生きることが、ラインフィールズ家に生まれた私の誇りだった。
今日も今日とて、家で鍛錬に明け暮れる私を母が呼び出した。
何事かと思い、雑に束ねた髪を解いて母の元へ向かう。
執務室に入ると、母と父が寄り添って書状を見ていた。
「いかがなさいましたか、母上」
「ジュリエット! 貴方に夜会の招待状が届いたのよ」
「……私に?」
思わず怪訝な顔をしてしまう。
生まれてこの方、ろくに夜会というものに出席したことはない。
王族の方々の護衛という形でなら別だが、自分がゲストになることはなかった。
私の顔を見て苦笑しながら、父上が事の次第を教えてくれる。
「王家主催の夜会でね。隣国との国交樹立30周年を記念する夜会ということだ。……お前もかの国の防衛戦で武功を立てたからね、それで招待されたのだろう」
隣国のハートロード王国は、以前他国から攻め入られたことがある。
その当時、同盟国である我が国からも援軍を出し、それに私も従軍していたのだ。
「しかし私のような者が夜会に出るのは……」
「大丈夫よジュリエットなら! こんなに可愛くて素敵なレディなんだもの!」
満面の笑みで言う母に気圧される。
体中傷だらけで、香水よりも汗と埃の匂いがする女なぞ、出席しても恥をかくだけだろうに……。
「そうだね。ジュリエットは聡明で、芯が強い。私たちの自慢の娘だ、きっとお前のことを見初める方も現れるかもしれない」
「そう、ですね……」
父の言葉に、思わず言葉を詰まらせた。
私ももう23だ。貴族の子女としては、そろそろ結婚をしなければならない。
(こんな淑女らしくない私のことなど、誰も相手にしないだろうに……)
私のことを愛してくれる両親にそんなことは言えなくて、渋々夜会への出席を了承したのだった。
*
夜会当日。
きらびやかなシャンデリアの下で、色とりどりのドレスが舞う。
私が普段過ごしている環境とはあまりにも違いすぎて、眩しさに目を細めた。
今日は私もその眩しい景色の一員なのだが……慣れないコルセットと重いドレスに、目を回しそうだ。
周囲の貴族たちは私の姿を見て、揃って困惑の声をあげていた。
「まあ、今宵のジュリエット様は騎士服ではないのね……」
「ジュリエット様の優美な騎士姿が見たかったのに、残念ですわ……」
周囲にいる令嬢方が、こちらを横目で見ながらひそひそと話をしている。
護衛として騎士服で参加した時は、黄色い声を浴びたものだった。
衣装を変えただけで、まさか嘆かれてしまうとは。
「ジュリエット嬢はパートナーを連れていないな」
「武功ある軍人のジュリエット嬢だ、彼女の隣に立てる男などそうそういないさ」
言葉だけなら私を褒めているのかもしれないが、それを理由に遠巻きにされるのは悲しいものがある。
いっそ嘲笑ってくれれば怒ることもできようが、きっと彼らに強い悪意はないのだろう。
来賓の貴族たちが揃い、夜会の主催者である我が国の王太子殿下が壇上に立つ。
軽い挨拶のあと、主賓である隣国の王子殿下が壇上に立った。
(あの方は……!)
見覚えのある、その穏やかな横顔。
かつて戦場で共に過ごした記憶が蘇る。
アーサー王子殿下。私が戦場でお守りした、その人だ。
きっと殿下は覚えていらっしゃらないだろうが――。
殿下が一通りの挨拶を終え、ゆっくりと貴族たちを見渡す。
ひとりひとりに微笑みかけていき、やがてその視線が私の方へと移ってくる。
(あ……)
目が、合った。
その瞬間、殿下の涼しげな目が、大きく見開かれる。
殿下の表情に気を取られていると、彼は手元のグラスを従者に預け、慌ただしく壇上を降りてきた。
驚く周囲には目もくれず、彼はまっすぐに――私の方へと、歩み寄ってくる。
(な、なに?)
穏やかだった殿下の表情は、こちらに近づくにつれて感極まったように笑みを浮かべる。
あっという間に殿下は私の目の前まで迫ってくると、急に私の手を取った。
「やっと……貴方にお会いできた……! 我が麗しの流星の姫君……!」
その言葉に。
周囲の貴族たちからどよめきの声が上がった。
(え、え?)
周囲の貴族たちと同じように、私の頭の中も疑問符だらけだ。
しかしアーサー殿下はまったく気にせず、それどころか急に跪いてきた。
「で、殿下!? 私めに跪くなど――」
「いいえ、ジュリエット嬢。私はずっと貴方を待ち望んでいたのです」
急に名前を呼ばれて硬直する。
まさかアーサー殿下も、私のことを覚えてくださっていたとは。
殿下の真剣な眼差しが、私を射抜く。
「ジュリエット嬢。どうか私の――生涯の伴侶に、なっていただけますか?」
「……え?」
私は今度こそ、困惑の声を漏らしてしまった。
周囲の貴族たちが騒がしいが、それどころじゃない。
私は今――なんと言われた?
アーサー殿下は一旦立ち上がると、申し訳なさそうに眉を下げて笑う。
「ああ、いきなりで申し訳ありません。……私のことを覚えていますか?」
「そ、それはもちろん、覚えておりますが……」
次から次へと予想外の言葉を並べられて、思考が追い付かない。
殿下は困惑する私を見て、慈しむように目を細めた。
「……貴方に生かされたあの日から、私の心は貴方に囚われてしまった」
殿下の手が、優しく私の手を包んでいる。
節くれだちマメが多い私の手を、宝物であるかのように触れる。
「ずっと、貴方に再会したいと願っていたのです……叶うなら、貴方を我が妻に迎えたい」
殿下の真摯な瞳には嘘が見えない。
戦場での短い付き合いだったが、アーサー殿下はこのような冗談を言う人ではないことは知っている。
だからこそ、なぜ――戦場で助けただけの私に、そのようなことを言うのか。
(軍人が王族を守るのは当然のことであるのに……)
私が特別なにかをしたという覚えはない。
目の前のアーサー殿下は、少しも私から視線を外そうとしなかった。
まるで嵐のような騒ぎの中、私は一人、困惑に包まれていた。




