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9

時は宋。


清河県、西門邸の朝は――


異様に平和だった。


門番は欠伸をしていた。


番頭は帳簿をめくっていた。


台所では蒸籠が静かに湯気を上げていた。


庭では鯉が跳ねていた。


そして廊下の奥から――


巨大な声が響いた。


「のだぁ〜♡ハニーたちぃ♡待て待てなのだぁ♡」


西門慶レイ(193cm)が走っていた。



朝である。


まだ日も高くない。


だが彼はすでに全力疾走していた。


理由は単純。


妻たちが逃げていたからである。



「待つのだぁ〜♡」


廊下を曲がる。


ふり


ふり


ふり


尻が揺れる。


無意味に揺れる。


だが本人は真剣だった。



前を走るのは

潘金蓮

である。


振り返って言った。


「大官人、朝から何ですか」


さらに前には李瓶児。


「まだ化粧もしてません」


さらにその先には孟玉楼。


「帳簿の確認が先です」


三人とも逃げていた。


理由は共通だった。


朝のレイは重い。



「遊ぶのだぁ〜♡」


レイは笑顔だった


完全に楽しそうだった。


しかし三人は止まらない。



そのとき廊下の角から番頭が現れた。


「旦那様」


レイが止まる。


「のだ?」


番頭が帳簿を差し出す。


「北方輸送の件ですが」


沈黙。


三秒。


レイは言った。


「あとでなのだぁ」


再び走る。


番頭が空を見る。


「またか……」



庭に出た。


朝露が光っている。


鯉が跳ねる。


風が吹く。


実に穏やかだった



「のだぁ〜♡」


レイが跳んだ。


そして潘金蓮を捕まえた。


「捕まえたのだぁ!」


潘金蓮がため息をつく。


「はいはい」


李瓶児が言う。


「大官人、朝食は?」


レイが言う。


「食べるのだぁ」


孟玉楼が言う。


「ではまず座ってください」


完全に誘導されていた。



朝食の間。


机には料理が並ぶ。


蒸鶏。


魚粥。


点心。


饅頭。


果物。


茶。


レイは満足そうだった。


「うむ」


一口食べる。


さらに一口。


さらに三口。


そして言った。


「今日は平和なのだぁ」


番頭が遠くで固まった。


料理人が顔を伏せた。


下男が視線を逸らした。


誰も信じていなかった。



だが本当に平和だった。


誰も覗いていない。


誰も殴っていない。


誰も毒ガスを使っていない。


誰も死刑になっていない。


奇跡だった。



「のだぁ〜♡」


突然立ち上がる。


妻たちが警戒する。


「散歩するのだぁ」


三人とも同時に言った。


「使用人を連れてください」


完全に一致していた。



門を出る。


町は静かだった。


市場は動いていた。


魚が並び。


野菜が並び。


豆腐が並び。


そして町人たちが言った。


「あ」


道が開いた。


自然に開いた。


理由は単純だった。


西門慶レイだからである。



「うむ」


満足そうに歩く。


尻が揺れる。


ふり


ふり


ふり


子供が見ていた。


母親が抱き寄せた。


商人が頭を下げた。


僧が道を譲った。


犬が逃げた



そのとき。


豆腐屋の娘が通った。


レイが止まる。


三秒。


袖に手を入れる。


番頭が叫ぶ。


「旦那様!」


レイが止まる。


「……のだ?」


番頭が言う。


「今日は平和な日です」


沈黙。


さらに沈黙。


そして。


レイは言った。


「そうだったのだぁ」


袖から手を出した。


奇跡だった。



川辺に着いた。


風が吹く。


柳が揺れる。


舟が流れる。


実に穏やかだった



「のだぁ〜」


レイは座った。


石に座った。


腕を組んだ。


そして言った。


「良い日なのだぁ」


番頭が頷く。


「はい」


料理人が頷く。


「はい」


下男が頷く。


「はい」


全員慎重だった。



そのとき。


遠くから声がした。


「旦那様!」


番頭が振り向く。


別の使用人が走ってくる。


汗だくである。


嫌な予感しかしない。



「北方輸送路で」


レイが立ち上がる。


「……のだ?」


使用人が言った。


「羊が逃げました」


沈黙。


空気が止まる。


レイの肩が震える。


そして。


静かに言った。


「のだぁ?」



次の瞬間。


「捕まえるのだぁあああ!!」


全力疾走だった


尻が揺れる。


町が揺れる。


使用人が走る。


番頭が走る。


料理人が走る。


犬が逃げる。


子供が叫ぶ。


市場が騒ぐ。



その日もまた。


清河県は


とても穏やかな一日だった。

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