15
時は宋。
清河県、西門邸の夜は静かであった。
昼間は物流が動き、
役所が円滑になり、
塩が売れ、
布が売れ、
茶が売れ、
小説が売れ、
毒ガスが飛び、
梁山泊が消え、
肉屋が補充される――
そんな一日を終えて。
西門慶レイ(193cm)は、
寝室で不機嫌だった。
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巨大な寝台の上で、
腕を組んでいた。
しかも布団にくるまっていた。
完全に拗ねていた。
「のだ……」
沈黙。
妻たちは互いに視線を交わした。
その場にいたのは
潘金蓮
李瓶児
孟玉楼
である。
三人とも慣れていた。
完全に慣れていた。
⸻
レイが言った。
「のだ……寝れないのだっ!」
布団を叩く。
どんっ
枕が跳ねる。
李瓶児が言った。
「大官人、もう夜更けです」
孟玉楼が言った。
「目を閉じてください」
潘金蓮が言った。
「すぐ眠れます」
しかしレイは首を振った。
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「子守唄はまだなのだぁ!?」
三人とも止まる。
完全停止である。
⸻
沈黙。
三秒。
五秒。
十秒。
潘金蓮が言った。
「……歌うのですか?」
レイが頷く。
真剣だった。
非常に真剣だった。
「当然なのだぁ」
⸻
孟玉楼がそっと言った。
「大官人はお疲れなのでしょう」
李瓶児が頷く。
「今日は塩の帳簿も確認されましたし」
潘金蓮が頷く。
「布の倉庫も見ておられました」
レイはさらに布団に潜った。
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「子作りだけ上手でも」
突然言った。
三人が止まる。
「子守唄は下手とかですのだぁ!?」
沈黙。
完全沈黙である。
⸻
孟玉楼が咳払いした。
「……歌います」
李瓶児が言った。
「静かな曲がよろしいですか」
潘金蓮が言った。
「昔の童歌にしますか」
レイは腕を組んだまま言った。
「早くするのだぁ」
⸻
三人は顔を見合わせた。
そして。
小さな声で歌い始めた。
静かだった。
柔らかかった。
穏やかだった。
西門邸の夜に似合う声だった。
⸻
だが。
途中でレイが言った。
「遅いのだぁ」
三人が止まる。
潘金蓮が言った。
「まだ一節目です」
レイが言った。
「もっと優しくなのだぁ」
李瓶児が言った。
「優しくしています」
レイが言った。
「もっとなのだぁ」
⸻
さらに歌う。
さらに静かに。
さらに柔らかく。
さらにゆっくり。
完全に子守唄だった。
⸻
レイが言った。
「……全く使えないやつらなのだっ!」
三人が止まる。
孟玉楼が言った。
「まだ歌っています」
レイが続けた。
「この顔と体だけの女どもがぁ!」
三人が視線を交わした。
完全に一致していた。
(さっきまで褒めてた)
⸻
しかし。
歌は止まらなかった。
理由は簡単だった。
慣れているからである。
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しばらくして。
レイの声が小さくなった。
「のだぁ……」
さらに小さくなった。
「のだ……」
さらに小さくなった。
「……のだ」
そして。
止まった。
⸻
「……すぴー…」
完全に寝ていた。
⸻
潘金蓮が言った。
「寝ましたね」
李瓶児が言った。
「寝ましたね」
孟玉楼が言った。
「寝ましたね」
三人とも同時だった。
⸻
布団の中で。
193cmの豪商は、
満足そうに眠っていた。
昼間は商売を動かし、
役所を動かし、
物流を動かし、
人材を動かし、
歴史を動かし、
そして夜は――
子守唄で寝るのであった。
⸻
潘金蓮がそっと言った。
「明日も歌うのでしょうか」
李瓶児が言った。
「歌うのでしょうね」
孟玉楼が言った。
「たぶん毎日です」
三人は静かに頷いた。
西門邸の夜は、
今日も非常に
平和だった。




