45.遠いねえ
森は遠かった。
行く手に見えているのに、いくら歩いてもなかなか近くならない。
平原が広すぎて距離感がわからないので、余計に遠く感じる。
封豨の群れは、丘に隠れているのか、視界に入らなくなった。
どれだけ進んでも周囲の景色が変化しない。
変化がないので、自分の位置がわかりにくい。
このまま歩いて本当に目的地に着くのだろうか。
目に映る光景は、もしかしたら何者かに作られた幻影かもしれない。
森に着いたところで事態が好転する保証もない。
この世界から抜け出せなかったらどうしよう。
様々な不安が脳裏をよぎる。
体力よりも精神力が削られる歩行だ。
何かしゃべっていないと気が滅入りそうになる。
「遠いねえ」
ルナは、何も話すことがないのに無理して仲間に話しかける。
「……こん」
ミサキは、答える気力がないのに無理して答える。
イヨは、返事すらしない。
声を出すだけで精神力を消耗する気がするのだ。
アレクは、まだ女神のことが頭を離れない。
黙って考えながら歩き続ける。
「そういえば、あの女神、封豨がおとなしくなって怒っていたな」
「それがどうしたの、アレク?」
「封豨がおとなしくなったのは、女神にとっても意外なことだったってことだ。
何でそんなことになったんだろうか」
「女神の力も完全ではなかったということですね」
無言だったイヨが、会話に加わる。
「もしかすると、別の力が働いたのかもしれない」
「別の力とは何であるかこん?」
ミサキも、アレクの考えに興味を持つ。
「それがわかれば、解決の糸口になるような気がするんだけど」
「どういうこと?」
「ただ、気がするというだけで……」
アレクは、まだ自分の考えを言い表すことができない。
もどかしげに苦笑する。
三人娘も、アレクに合わせて苦笑。
だが、それがきっかけで、三人は他愛のないおしゃべりを始める。
アレクは、聞き役に徹する。
気が紛れて、歩くのが少し楽になる。
「脳天気な人たちですこと」
アレクたちから少し離れて歩くギーゼラは、不機嫌そうな顔だ。
ルナたちの話し声が不快に感じる。
同時に羨ましくもある。
三人の取り巻きたちは、話し相手としては少し物足りない。
身分に差がある貴族なので、対等な会話が許されないのだ。
「お嬢様の」
「おっしゃる」
「通りですわ」
取り巻きたちも精神的に疲れていて、長い言葉を返せない。
ギーゼラは、黙って歩き続ける。
しばらく歩くと、前方の森の見え方が変わってきた。
最初より大きく見えるようになってきたのだ。
確実に近づいているのだ。
すでにルナたちの会話も途絶えていた。
だが、森に近づいてきていることがわかると、再び元気を取り戻す。
足取りが軽くなる。
「あの森、凄い」
森の木の一本一本が判別できるほどの距離に接近して、ルナがつぶやく。
異様なほど木が高いのだ。
三百メートル以上はありそうな高さの巨木が無数に立ち並んでいる。
平原と森の境目がはっきりしていて、森が断崖絶壁のようだ。
さらに歩き続け、ようやく森のそばまで来る。
木々の巨大さに圧倒される。
森の中は、光がほとんど届いていなくて暗い。
「食べられる実がなる木は見当たらないな」
アレクが、森を眺めて言う。
セコイアをもっと大きくしたような樹木ばかりだ。
このような森に腹の足しになる果実は期待できない。
一同は、絶望感を覚える。
ここまで苦労して歩いてきたのは無駄だったのか。
そんな中、鼻のよいミサキが、何かの匂いを感じ取った。
「森の奥から美味しそうな香りがするのであるこん」
ᓚᘏᗢ
八人は、ミサキの嗅覚を頼りに森の奥へと進む。
邪妖精たちも、ふらふらと飛びながら八人に同行する。
森の中は、太陽の光があまり届かないので薄暗い。
幹の直径が十メートルはあろうかという巨木がどこまでも連なる。
自分たちが虫ぐらいに小さくなったような錯覚にとらわれる。
「本当にこの奥に何かがあるんですの?」
ギーゼラは、苛立ちを含んだ声でミサキに尋ねる。
巨木の他は地面に生えたわずかな苔と草ぐらいしか見当たらない。
食べ物がありそうに思えないのだ。
「確かにこの先から匂うのであるこん」
「そうですか……」
ギーゼラは、ルナたちが封豨を倒した時に封豨の肉を食べていない。
歩き疲れて、かなりお腹がすいている。
取り巻きたちも同様だ。
内心では、食べておけばよかったと後悔している。
しかし、空腹であることなど一切表には出さない。
すまし顔で歩き続ける。
「何かがいます」
魔力に敏感なイヨが魔物の存在に気づく。
大木の陰に何かが隠れている。
「何体かいるようだ」
アレクも、神経を研ぎ澄まして警戒する。
魔物の気配は、徐々に距離を縮めている。
「あそここん!」
ミサキが、上の方を指さす。
地上から三十メートルほど。
巨木の幹に小さな人型の生物がしがみついている。
「きええーっ」
発見されたことに気づいた生物は、奇声を発して飛び降りる。
アレクたちの頭上に堅い木の棍棒で襲いかかる。
全員が、慌ててよける。
生物は、難なく着地すると、素早くアレクたちから離れる。
「あれってゴブリン?」
ゴブリンを見慣れているはずのルナが驚く。
普通のゴブリンとやや違う姿なのだ。
顔つきは普通より凶暴そうで、猪のような牙が目立つ。
手足が長めで、筋肉も多い。
「ゴブリンにもいろいろいるらしいからね。
話に聞くハイゴブリンとかの上位種かもしれない」
アレクが説明しているうちに、ゴブリンの数が増えてくる。
人間たちの周りを多数のゴブリンが包囲する。
「上位種でしょうが何でしょうが所詮はゴブリンですわ」
ギーゼラが、取り巻きたちに目で合図をする。
取り巻きたちは、剣を構えてギーゼラを守護する。
「きええーっ」
多数のゴブリンの中から数体が、棍棒を振り回し攻撃してくる。
ルナが、ダガーで応戦。
ミサキも、雪泥鴻爪で一匹のゴブリンに傷を負わせる。
傷ついたゴブリンは、すぐに仲間の元へ戻る。
ギーゼラの取り巻きも、ゴブリンを殺せなかった。
「へえ、普通のゴブリンと違って、ちょっと頭がいい感じ?」
感心して不敵な笑みを浮かべるルナ。
手応えのありそうな敵に戦闘意欲が湧き上がる。
「知性を感じる顔ではありませんけどね」
ギーゼラは、食べ物への道を邪魔され、苛立ちが増す。
「あれを貸しなさい」
取り巻きに手を伸ばす。
「えっ?」
一瞬驚く取り巻きたち。
だが、すぐに命令に従う。
取り巻きAは、自分のドレスの腰のあたりを引っ張る。
縫いこまれていた一メートルほどの太めの糸が、するすると出てくる。
取り巻きBは、スカートの襞の中から革手袋を取り出す。
見えにくいポケットがあったらしい。
ギーゼラは、即座に両手に革手袋をはめ、糸を握る。
「こちらから攻めますわよ」
糸を持ったまま敵の真っ直中へと走り出す。
ᓚᘏᗢ
「ちょっと、何を?」
ルナが、一人で敵に向かって走り出したギーゼラを呼び止める。
ギーゼラは、ルナの言うことを聞かない。
取り巻きたちもギーゼラに続く。
ゴブリンたちは、興奮して喚き立てる。
「ぎええーっ」
一匹のゴブリンが、ギーゼラに襲いかかる。
ギーゼラの頭上に振り下ろされるゴブリンの棍棒。
ぎりぎりで棍棒をよけるギーゼラ。
ゴブリンの背後に回る。
手にした太い糸をゴブリンの首に巻き付ける。
見た目以上に強度のある糸が、首の肉に食いこむ。
「ぎぇっ」
一声うめいて、ゴブリンは絶命。
首の骨がずれたらしい。
「うわ……」
今まで隠していたギーゼラの技にルナたちは唖然とする。
貴族令嬢らしからぬ技に驚きを禁じ得ない。
ゴブリンたちは、警戒心を強める。
ギーゼラから距離を取る。
興奮した猿のように走ったり飛び跳ねたりと激しく動き回る。
こちらからは狙いを定めにくい。
ルナたちのフレンドリーファイアーが使いづらい。
ルナとミサキは、敵の攻撃を待ち受ける構えだ。
「上だ!」
アレクが叫ぶ。
ゴブリンが、木の枝から飛び降りてきた。
ルナが、すかさず腹にアッパーカットを食らわす。
ゴブリンは、ホームランみたいに遠くまで弧を描いて飛ばされる。
アレクたちは、次に備えて頭上を警戒する。
だが、次のゴブリンは、地上から攻めかかる。
さらに反対方向からも来る。
ルナとミサキは、アレクとイヨを守りつつ応戦。
二匹のゴブリンは、ルナのダガーとミサキの雪泥鴻爪で深い傷を負う。
紫色の体液を流しながら退散。
「追ったら駄目だ」
アレクは、深追いをしないようにルナとミサキに注意する。
「わかってるよ」
深追いしそうになっていたルナは、慌てて引き返す。
一方、ギーゼラたちは、かなり乱暴な戦いをしていた。
取り巻きたちは、空腹のせいで焦っている。
剣を闇雲に振るうが、ゴブリンは、楽に躱してしまう。
「よく敵の動きを見なさい」
ギーゼラは、再びゴブリンを取り押さえる。
また糸で首を絞めながらゴブリンの体をねじる。
首が変な方へ曲がって死亡。
「うまく敵を誘うのです。
しかし、相手に誘われないように」
ゴブリンを倒しながら取り巻きたちに助言する。
取り巻きたちは、次第にゴブリンとの戦闘に慣れてくる。
敵に与える手傷が増える。
ルナとミサキも、ゴブリンたちの動きが読めるようになってきた。
数体のゴブリンに深手を負わす。
だが、ゴブリンたちの方が圧倒的に優勢なのは変わらない。
負傷したゴブリンはすぐに引き下がり、次のが出てくる。
「嫌な戦い方をするゴブリンね」
「こちらの体力を消耗させるつもりであるこん」
全方位に意識を集中しなければならないので、精神的に疲れる。
集中が途切れた瞬間、死角から襲ってくる。
アレクとイヨの的確な指示のおかげで怪我を免れている。
「あの赤い宝石を使えば」
ルナが、ミノタウロスの宝石のことを思い出して鞄をまさぐる。
宝石をつまみ、見せびらかすように掲げる。
ゴブリンたちは、ぎょっとした様子を見せる。
しかし、一時的なものだった。
すぐに凶暴さを取り戻して走り回る。
「やっぱり駄目だったか」
落胆したルナは、宝石を鞄に収める。
だが、宝石を見せたのは、全くの無駄でもなかったようだ。
ゴブリンたちの動きに変化が現れてきた。
互いに目配せをしているようだ。
言葉は話さないが、ゴブリンなりに何かを考えているのかもしれない。
次の作戦を練っているのだろうか。




