21.私をパーティーに?
イヨは、川と崖に挟まれた狭い川原を下流へと歩き続ける。
だが、いつまた巨大蜘蛛が現れるかわからない。
山と川の両方に注意しながら早足で進む。
幸いにも、今のところ巨大蜘蛛が近づく気配はないようだ。
川の流れる穏やかな音だけが、谷間に静かに響く。
怪物さえいなければ、のどかな風景なのだ。
日が傾いてくる。
イヨには、このあたりの地理は全くわからない。
歩く方向が間違っているのではないかと心配になる。
未だに民家や道路などは見えてこない。
不安に駆られ、手に持ったゾナを見つめる。
「ねえ、聞こえる?」
返事をしてくれるかもと、わずかな期待をこめて声をかける。
「……」
完全に機能を停止して動かない。
イヨの目に涙がにじむ。
アイテムボックスも開けないので、食べ物を取り出すこともできない。
そう思うと、空腹感が増してくる。
お腹すいたなあ。
ここじゃ食べ物を手に入れることもできないし……。
ざばば……。
川の波音が、一瞬強くなる。
はっとして川面に目をやるイヨ。
まさか、さっきのが?
目視では、通常の水面と違いは感じられない。
光が水面に反射するので、水中まで見通すのは無理だ。
音は錯覚だったのだろう。
そう自分に言い聞かせたイヨは、さらに川原を歩き続ける。
ざばば……。
また強い波の音だ。
風のせいならよいのだが。
イヨは、川底に潜む巨大蜘蛛でないことを祈りながら歩く。
ざばば……。
まただ。
しかも、音が近づいてきている。
水面のすぐ下に何かがいる。
早くこの場所から離れなければ。
しかし、崖を登るのは難しい。
イヨは、残った体力を振り絞って狭い川原を走る。
ざばば……。
水面下の何者かは、なおもイヨを追う。
イヨの足がもつれる。
川原の砂の上にへたりこんでしまう。
恐怖におののきながら川を見る。
ばちゃ。
魚がはねた。
拍子抜けするイヨ。
力が抜けて立ち上がれなくなる。
同時に、もう巨大蜘蛛は追ってこないと安心し、気が楽になる。
オレンジ色の空が反射した川面を眺めて深呼吸をする。
夜になれば、また危険が増える。
太陽が出ているうちにここから遠ざかろう。
ゾナもどうにかしなければならない。
きっと元に戻す方法があるはず。
立ち上がって再び歩き出そうとした時だった。
水面が盛り上がる。
ザッバーン。
巨大蜘蛛が、最初と同じ現れ方をした。
イヨは、悲鳴を上げることすらできずに硬直する。
背後は崖で登ることはできない。
細い川原を走っても逃げ切るのは不可能。
巨大蜘蛛は、巨体の半分を水面から出して、イヨを狙う。
剛毛に覆われた牙にも似た鋏角が、もぞもぞと動いている。
目の前の餌食を今まさに食らおうとしている。
イヨは、死を覚悟する。
「とりゃーっ」
突然誰かの叫び声。
空から飛び降りてきた人影が、巨大蜘蛛の頭に蹴りを入れる。
巨大蜘蛛の体が、嵐の中の船のように大きく揺れる。
さらに、川沿いの崖を別の誰かがするすると降りてくる。
狐の耳を持った獣人の少女だ。
「我につかまるこん」
「は、はい」
慌てて獣人の背中にしがみつくイヨ。
獣人は、イヨを背負ってロッククライマーのように崖をよじ登る。
突如この場に現れた二人は、もちろんルナとミサキである。
ということは、当然アレクもいる。
ᓚᘏᗢ
「もう大丈夫であるこん」
「あ、ありがとう」
イヨを背負ったミサキが登り着いたのは、川にかかる橋の上だった。
橋の近くまで来ていたことに、イヨは気づいていなかったのだ。
ミサキの背から降りたイヨは、橋から川を見下ろす。
ルナが、巨大蜘蛛と戦っている。
巨大蜘蛛の頭に乗って、ダガーで何度も突き刺す。
だが、巨大蜘蛛は、あまり堪えていないようだ。
諦めたルナが、崖を登ってミサキのところに戻ってくる。
「虫系の魔物って無駄に生命力があるから厄介なのよね。
でも、元々傷だらけだったし、だいぶ弱らせたはず」
橋から巨大蜘蛛の様子を窺う。
巨大蜘蛛も、八つの目を橋の上のルナたちに向けている。
水中から体を出すと、尻から綱のような太い糸を発射する。
蜘蛛の糸は、橋の欄干にくっつく。
巨大蜘蛛が、その糸を伝ってするすると登ってくる。
八本の足で橋の上に立ち、ルナたちを狙う。
ただでさえ不気味な姿だが、傷から流れる体液にまみれて余計に気持ち悪い。
「うわっ、何こいつ」
ルナが、顔をしかめる。
「その細い足の関節を狙うんだ!」
アレクの声だ。
「わかったわ」
「了解こん」
ルナとミサキは、アレクの指示に従う。
ルナのダガーとミサキの雪泥鴻爪が、的確に巨大蜘蛛の足の関節を切る。
二本の足を失った巨大蜘蛛。
また尻を前へ突き出し糸を出そうとする。
足への攻撃を続けるルナとミサキ。
巨大蜘蛛は、バランスを崩す。
あらぬ方向へ糸が飛ぶ。
巨体が倒れ欄干を壊し川へ落ちる。
ざっぱーん。
「危ないところを何とお礼を申してよいか」
日没間際の橋の上。
イヨは、腰を九十度曲げて頭を下げる。
「たまたま通りかかっただけだから。
これも何かの縁ってやつ?」
「あなたが無事でよかったのであるこん」
ルナとミサキは、たやすいことだったかのように笑顔を作る。
イヨは、頭を下げ続けている。
「そんなに畏まらなくていいから、頭を上げて」
ルナに言われ、イヨは、少しずつ頭を上げる。
何かに怯えているかのように。
「どうかなさったのであるこん?」
イヨの態度が変なことに気づいたミサキが問う。
「怪我してるの?」
ルナが、心配そうにイヨの顔を覗きこむ。
「いえ、平気です」
イヨは、アレクの方を見る。
「あの、アレクさん」
「えっ?」
「えっ? こん」
ルナとミサキは、イヨがアレクの名を知っていたことに驚愕する。
「あなた、アレクを知ってるの?」
こくんと頷くイヨ。
アレクとは目を合わせないようにしている。
気まずそうな様子だ。
アレクも、そっぽを向いている。
「あなたとアレクって、どういう関係?」
興味津々のルナ。
だが、イヨの表情は暗い。
目に涙を浮かべ、再び頭を下げる。
「アレクさん、ごめんなさい」
ᓚᘏᗢ
いきなりイヨがアレクに謝るものだから、ルナとミサキは面食らう。
アレクは、イヨから目をそらしたままだ。
「私は、アレクさんを見捨ててしまいました。
私なんか、顔も見たくありませんよね」
イヨは、泣きそうな声で話す。
「さようなら」
立ち去ろうと背を向けるイヨ。
「あ、いや、そうじゃなくて……」
慌てるアレク。
イヨの顔を見たくないわけではないのだ。
ルナとミサキは、アレクとイヨにいぶかしげな視線を送る。
「お二人に何があったのであるこん?」
「というか、あえて触れないでいたことを聞いてもいいかしら?」
イヨを指さすルナ。
睨みつけるような目だ。
「はい」
振り返るイヨ。
何を聞かれるのか恐くなり身構える。
「あなた、ずいぶんと大胆な恰好をしているわよね。
もしかして……、痴女?」
「え?」
イヨの頭が混乱する。
ルナの質問を理解するのに数秒を要した。
スカートをはいていないことを完全に忘れていたのだ。
「きゃあ」
気づいたイヨは、赤面してしゃがみこむ。
かぼちゃパンツ丸出しの姿をアレクに見られてしまった。
アレクが目をそらせていたのは、私への気遣いだったのだ。
恥ずかしさレベルマックス。
頭に血が上って何も考えられない。
しゃがんだまま顔を手で覆って震えている。
「あの、大丈夫?
痴女ってのは冗談だから……」
その後、イヨは、ミサキからスカートを借りた。
フェンスターの町でミサキが買ったスカートだ。
短いスカートなので、かぼちゃパンツの端が見えているが、問題はない。
スカートをはいていればよいのだ。
それがこの世界における服装の常識なのである。
日が暮れたので、野宿をすることになった。
四人で焚き火を囲む。
アレクたちとイヨは、今まで自分たちが経験したことをあらかた話した。
アレクの側。
ルナとミサキが仲間になり、一級冒険者パーティー「ピンクの猫」を結成したこと。
ミサキの宝石を探す旅をしていること。
イヨの側。
闇魔導師の闍羅のために憤怒の掌の面々が行方不明になったこと。
ゾナと名付けた機械とともに一人旅をしていること。
「もちろん、僕は、イヨを恨んでなんていないよ」
「そう言ってくれて嬉しいわ。
アレクさんも元気でよかった」
イヨは、アレクたちに会ってから初めて微笑んだ。
まだパンツを見られたのを引きずっているので、決まり悪そうだ。
「過去のことはともかく、これから、あたしたちと一緒に行動しない?
一人よりいいと思うんだけど」
「我もルナっちと同意であるこん」
ルナとミサキの誘いに、イヨは戸惑う。
嬉しくはあるが、アレクの考えが気になる。
恐る恐るアレクの顔を見る。
「僕も賛成だ。
もしイヨがよければ、僕たちピンクの猫の一員になって欲しいんだけど、どうかな?
うちにはヒーラーがいないし」
「私をパーティーに?」
イヨは、気が引けてしまう。
出会ったばかりのルナとミサキに甘えるように感じたからだ。
だが、ルナとミサキは、笑顔で「うんうん」と頷いている。
それに、ゾナが機能を停止した今、アレクたちにたよるしかないのだ。
「では、私をピンクの猫に加えてください」
ᓚᘏᗢ
「それにしても、冒険者ギルドがこんなものを開発していたなんて」
アレクは、イヨのゾナを手に取って、しげしげと観察する。
ゾナの材質や表面の模様に興味を引かれるのだ。
ルナとミサキも、横から興味深そうに見つめている。
「もう動かないのでしょうか」
イヨは、不安そうにアレクに尋ねる。
「この機械のエネルギー源は何なの」
「それもよくわかりません。
そこまで詳しく説明を聞かなかったので」
「僕にもよくわからないけど、古代には、太陽の力をエネルギーにする技術があったらしい。
明日の昼まで待ってみよう」
次の日の朝。
日が高く昇ると、ゾナが目を開いた。
「あー、よく寝たぞな」
「よかった。
もうずっと動かないのかと」
イヨは、涙ぐみながらゾナを抱きしめる。
「大袈裟ぞな。
そこにいる人たちは誰ぞな?」
「私を助けてくれた人たちよ。
それで、私は、この人たちのパーティーに加わることになったの」
アレクたちは、ゾナに自己紹介する。
「こっちこそ、イヨをよろしく頼むぞな」
「ねえ、君、結構可愛いじゃないの」
ルナも、ゾナと話がしたい。
「まあな、ぞな」
「何かできることを見せて欲しいのであるこん」
「おいらは、イヨ以外の命令は聞かないぞな」
「そんな言い方しちゃ駄目よ」
イヨが、ゾナをたしなめる。
「おいらは、まだエネルギーが足りないから、もう一眠りするぞな」
ゾナは、また目を閉じてしまった。
申し訳なさそうなイヨ。
だが、ルナとミサキは、ゾナの受け答えが面白くて笑う。
アレクは、小さな機械なのに会話もできるゾナに感心している。
四人になったピンクの猫は、冒険の旅を続けた。
一週間以上たったが、ミサキの宝石に関する手がかりは得られていない。
それでも、旅は楽しかった。
憤怒の掌のエルベたちの安否は、依然として不明だ。
しかし、エルベたちのことは、もうどうでもよくなってきている。
「硫黄の匂いがするのであるこん。
どこかに温泉があるのであるこん」
四人が街道を歩いていると、ミサキが鼻をひくつかせた。
「え? あたしは何も匂わないけどなあ」
「ミサキさんは狐獣人なので、嗅覚が優れているんですよね」
イヨは、すっかりピンクの猫の仲間と打ち解けた。
仲間をさん付けで呼ぶのは、その方がイヨには呼びやすいからだ。
「この先しばらく行くとユーザーワという町なんだけど、温泉で有名なんだそうだ」
アレクが説明する。
あらかじめ地理を頭に入れていたのだ。
「おお、さすがミサキちゃん。
それと地理に詳しいアレクも」
アレクは、さらに話を続ける。
「ちなみに、硫黄の匂いとよく言われるけど、硫黄自体に匂いはないんだ。
温泉で漂っているのは、硫黄の化合物の硫化水素の匂いなんだ」
「ほお、アレクっちは、知識が豊かであるこん」
「さすがアレクって、ほんとに頭いいよね」
「私も、そう思います」
三人の女子に褒められて、ちょっと照れくさいアレク。
そんなアレクに、この先とんでもないことが起こるのだ。




