2.こんなところにミノちゃん
「ぶわーーーーっ」
現れたのは、凶暴そうなミノタウロスだった。
よく知られた人身牛頭の怪物だ。
大きさは、人の背丈の倍以上はある。
手に棍棒を握っている。
息が荒く、目つきが攻撃的だ。
今にもアレクたちに襲いかかりそうだ。
「こんなところにミノちゃんだなんて」
ルナは、腰に差したダガーの柄に手をかける。
「速く逃げよう」
戦闘力の弱いアレクは、闘う自信がない。
「この辺は、木の根で足下が悪くて逃げづらいわ。
あいつなら木をなぎ倒してでも追ってくる」
ルナは、ミノちゃんことミノタウロスを強く見据える。
「ぶわーーーーっ」
どどどどどどどっっ。
ミノが、棍棒を振り上げ、二人の方へ突進してくる。
間の抜けた声の割に迫力は凄まじい。
瞬く間に二人の目の前に迫る。
アレクは、どうすることもできない。
どんっ。
アレクの体に衝撃が走る。
ルナがアレクに体当たりをして、ミノからよけさせたのだ。
ミノは、勢いのまま走り抜ける。
ルナは、ダガーを鞘から抜く。
アレクから離れ、ミノを誘うようにダガーを振る。
どどどどどどどっっ。
向きを変えたミノが、ルナを目がけて突進する。
アレクが「危ない」と思ったその瞬間、ルナがジャンプした。
ミノの巨体を軽々と越える跳躍力だ。
細い体のどこにそんな体力があるのか不思議である。
がっ。
ルナは、空中からミノの後頭部に蹴りを入れる。
ミノタウロスは、少しよろめく。
大きなダメージはない。
「やっぱり強い」
着地したルナがつぶやく。
もう一度跳び上がる。
ダガーでミノの首を狙う。
どがっ。
ミノが、棍棒でルナを払いのける。
ルナの体が、五メートルほど飛ばされる。
だが、上手に受け身を取って地面を転がり、すぐに立ち上がる。
そこへミノの棍棒が振り下ろされる。
素早く回避するルナ。
ダガーが、ミノの脇腹を狙う。
ぐっ。
ミノの強靱な筋肉に阻まれ軽い傷しか与えられない。
またしても棍棒がルナの頭上から襲う。
横に飛び退いて躱す。
「なかなか強いな。
無理してでも逃げた方がよかったかな」
ルナは、心の内でつぶやく。
迷っている暇もなくミノの猛攻は続く。
疲れが出てきたルナが、次第に劣勢になってくる。
ミノの方は、気分が乗ってきたのか、動きがよくなっている。
ルナは、攻撃をよけるので精一杯だ。
それでも、なんとか相手の隙を窺いダガーを突き刺す。
しかし、軽傷しか負わせられない。
「ミノって、こんな強かったんだ」
ルナの表情に絶望の色が浮かび始める。
後ずさって、敵から距離を取る。
ミノは、なおも突進してくる。
ルナの足がもつれる。
尻餅をついて倒れてしまう。
「大変だ」
離れて様子を見ていたアレクが、ルナの方へ手を伸ばす。
幸運付与の魔法をかけるのだ。
この状況でどんな効果があるのだろうか。
アレク自身にもわからない。
祈るような気持ちで幸運付与を発動する。
ᓚᘏᗢ
ミノが、倒れているルナに襲いかかる。
ルナは、足が草に絡まって起き上がれない。
万事休すか。
ところが、ミノの方も、足を滑らせる。
ルナの目の前に倒れ込む。
ルナは、一瞬驚くが、すぐさま状況を察する。
ダガーに全体重をかけミノのこめかみに突き立てる。
「ぶわっ」
たちどころにミノは絶命する。
その死体は、泥のように溶けて地面に吸収された。
「ふー、死ぬかと思った」
ルナは、息を切らしながら額の汗を腕で拭う。
「ねえ、もしかして、幸運付与ってのをやってくれたの?」
「うん、まあ」
「そっかあ、また助けられちゃったね」
「いやあ、君が強いから勝てたんだよ。
あんなに強いなんて驚いたよ。
それとチャンスを逃さなかった。
そうでなかったら、いくら幸運が与えられていても駄目だったと思う」
「えへへ」
ルナは、照れくさそうに微笑む。
「それにしても、体中擦りむいちゃったな」
ルナの体は、擦り傷だらけだ。
肌の露出の多い服装は、怪我をしやすいのが難点だ。
「あれ? 傷が消えていく……」
傷がなくなるのが、目で見てわかるほど早い。
わずか数分で、ルナの傷が全てなくなってしまった。
「どういうことなの?
これも幸運付与のおかげ?」
「いや、きっとサンダーニカのせいだよ。
サンダーニカの大木の木陰に怪我人を連れて行くと、どんな重傷者でもその空気だけで治ってしまうそうなんだ」
サンダーニカに目をやると、木は倒れてしまっていた。
ミノタウロスに踏み潰されてしまったと見える。
木から染み出したエキスが空中に広がり、ルナの傷に効いたらしい。
さすがに、ミノタウロスの死までは治せなかったようだが。
「せっかく生えてきた木なのに、これじゃもう育たないかも」
ルナは、悲しそうな顔をする。
「本来この大陸にはない植物だし、効き目が強すぎるから、この薬が余計な争いの種になる心配もある。
これでよかったんじゃないかな」
「そうかもしれないわね」
二人は、気を取り直し、その場を去ろうとする。
「あっ、あれ見て」
ルナが、地面に落ちている何かを指さす。
赤い小さなものが光っている。
近寄ると、宝石のようだった。
「うわあ、綺麗。
赤くて透明で、ルビーかしら」
「ここは、ミノタウロスが死んだところだ。
ミノタウロスの体内から出てきたんだろう」
「ミノがなんでこんなものを?」
「それはよくわからないけど、魔物はよく貴重な品をドロップするからね」
「あたし、いろんな魔物と戦ってきたけど、こんな宝石を落としたのなんて初めて。
やっぱり、あいつは、レベルの高い魔物だったのね」
ルナは、宝石を拾い上げる。
直径三センチほどの球体だ。
「じゃあ、これは、アレクのものね」
「でも、倒したのはルナだし、僕が宝石を持っていても使い道がないし」
値打ちがわからない宝石なので、簡単に売ることもできないのだ。
結局、ルナが宝石を持っていることになった。
「これから依頼主のいるクリガ市へ行くけど、一緒に来る?」
「他に行くところもないし、行くかな」
アレクとルナは、二人でクリガに向けて山道を歩き始めた。
さて、一体どんな旅になるのであろうか。
ᓚᘏᗢ
アレクとルナは、森の中の道を進む。
主要な街道ではあるが、このあたりは人通りがまばらだ。
いつ森の中から魔物や盗賊が現れるても不思議ではない。
気をつけながら歩く。
しばらくすると、道の先から何やら争う声が聞こえた。
「何かしら?」
ルナが、声のする方へ走り出す。
トラブルを放っておけない性格なのだ。
アレクも、後から追いかける。
だが、ルナの足はアレクよりも速い。
アレクとの距離が開く。
高級そうな馬車の周りを約二十人ほどの荒っぽい男が取り囲んでいる。
どう見ても、盗賊が馬車を襲っている場面だ。
剣を構えた三人の護衛の男が馬車に張り付いているが、明らかに劣勢。
このままでは、殺されるのも時間の問題だろう。
「待ちなさい!
一体何事なの?」
ルナが、盗賊の間を抜けて馬車の護衛に駆け寄る。
「ご覧の通り、盗賊に襲われて……」
護衛の一人が、状況を説明しようとする。
しかし、話をする余裕もない。
剣を持つ手が震えている。
「おいおい、変なのが出てきたぜ」
盗賊のボスらしき男が、下卑た視線をルナに向ける。
「もう一人いい女が手に入るとはねえ」
他の男たちも、へらへらと笑う。
ルナが馬車の中をちらりと見ると、中に女の姿があった。
「この状況で、あたしがどっちの味方をするか、考えるまでもないわね」
ルナは、ダガーを抜き、切っ先を盗賊たちに向ける。
「さっさとこの場を去りなさい。
痛い目を見るわよ!」
威勢のよい言葉を放つ。
「おい、聞いたかよ」
「痛い目を見るわよだってさ」
盗賊たちが爆笑する。
護衛の男たちは、不安そうな顔になる。
ルナが強そうに見えないのだ。
「痛い目っていうのは、こういうこと!」
ルナが、最も近くにいる盗賊の男に跳びかかる。
ガッ。
男の顎に膝蹴りが炸裂する。
男は、声を上げることもできずに意識を失って倒れる。
「こいつ……」
盗賊たちの顔から笑いがなくなる。
「野郎っ」
一人が、鉈を振り回してルナに襲いかかる。
ガギッ。
ルナは、ダガーで鉈を受け止める。
相手の勢いをうまく受け流し、うつ伏せに倒す。
後頭部をダガーの柄で殴り気絶させる。
その場にいる男たち全てが、驚きの表情になる。
ルナが並の少女ではないと思い知らされたのだ。
「この女、強えぞ」
今度は、盗賊たち数人で一斉に攻撃する。
持っている武器が斧や刀などばらばらだ。
さすがに複数が相手だとルナも苦しい。
しかも、敵は盗賊とはいえ人間なので、極力殺したくはない。
魔物とは勝手が違う。
守るべき馬車があるのも、戦いづらい要因だ。
前と後ろを同時に注意する必要がある。
ルナにとっては、未経験の戦い方だ。
それでも、奮起した護衛たちと協力し、どうにか攻撃を耐え続ける。
そこへ、ようやくアレクが追いついた。
アレクは、すぐに事態を理解した。
ルナと護衛たちに幸運付与の魔法をかける。
ᓚᘏᗢ
盗賊の一人が、靴に植物の蔓を引っかけた。
蔓をどけようと引っ張る。
すると、縄のような太くて長い蔓が地面から持ち上がる。
規制ロープのようになって、一時的に盗賊たちの動きを封じる。
そこから一気に形勢逆転が始まった。
どっ。
がっ。
ばしっ。
ルナのキックやパンチが、面白いように盗賊たちに決まる。
盗賊の武器は、空振りの連続だ。
三人の護衛たちも、剣で数人の盗賊たちを切り伏せる。
「お前ら、何やってるんだ」
ボスが叫ぶが、手下の戦意は喪失している。
「くそっ、引き上げるぞ」
盗賊は、倒れている仲間を置き去りにして逃走。
護衛は、状況の急変に困惑している。
自分たちが突然活躍できたのが信じられないのだ。
ルナには、勝てた理由が想像できた。
アレクの幸運付与のおかげであると。
「本当に助かりました」
「お強いんですね」
「まさに天の助けです」
護衛たちは、ルナに感謝の言葉を述べる。
「いえ、あたしじゃないんです。
お礼なら、この人に言ってください。
この人が、幸運付与の魔法をかけてくれていたんです」
ルナが、アレクを紹介する。
「ど、どうも」
アレクは、照れくさそうに畏まる。
護衛たちは、口々にアレクに礼を言う。
その時、馬車の扉が開いた。
「姫様、まだ危のうございます」
「わたくしからも、直に礼を申さねばなりませぬ」
メイドの制止を振り切り、姫様と呼ばれた少女が馬車から降りる。
高級そうな余所行きの服を身にまとっている。
どこかの姫なのは確かだ。
銀色の長い髪が高貴な印象を増幅している。
「このたびは、わたくしたちを助けていただき感謝に堪えませぬ」
上品に会釈をする。
アレクとルナは、反射的にぺこりと頭を下げる。
「故あってわたくしの名を明かすことができぬ無礼をお許しくださいませ。
お礼がいたしとうございますが、急いでおりますので……」
姫様は、馬車の中のメイドに目配せする。
「まさか、あの宝石をよろしいのですか?」
「はい」
メイドが、手のひらに乗るほどの小綺麗な小箱を持ち出してきた。
姫様が箱を受け取り、アレクたちの前で蓋を開く。
中には、八角形に研磨された緑色の宝石があった。
「こんなものでよろしければ受け取ってくださいませ」
「はあ……」
アレクたちは、あっけにとられる。
姫様は、強引に押しつけるように宝石をルナに手渡す。
その後、すぐに馬車は走り去った。
「一日に宝石が二つも手に入っちゃったね」
「その宝石も、ルナが持ってていいよ」
二人もクリガへの旅を再開しようとしたが、まだ問題があった。
気を失って倒れている盗賊が残っているのだ。
森の中では役人を呼ぶこともできない。
どう扱ったらよいのか迷う。
「殺したくはないんだけど、仕方ないわね」
ルナは、少し考えてから、ある決断をした。
一人の倒れた男に近づく。
何をするつもりなのだろうか。




