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ラムセス


「着いたよ」


 カーゴの揺れがおさまり、ヨハネの声を聞いて外に出たわたしの目に、きらびやかなネオンの光が飛び込んだ。

 ラムセスと書かれているらしい看板が目立つ高層のビルディング。

 ここはもしかしてアレなのだろうか?


「え!? ちょ、ちょっと」

「どうしたの? 早く入ろう」

「どうもこうもないわよ」


 わたしはこの建物を完全に誤解していた。

 なので手を引くヨハネの困惑もわからずに拒否してしまうが、ヨハネはわたしの拒絶の理由をわからずに手を引いた。

 いや、本音を言えばわたしもやぶさかではないし、遠い未来にはこういう触れ合いも沢山するわけだが今はまだ早い。

 まだキスすらしたこともないのにと驚くわたしを、ヨハネは強引に連れ込んだ。


「今日はこの店で夕飯にしよう」

「夕飯だけなら良いけれど、その後は流石にまだ早いわよ。もちろん、ヨハネが嫌じゃないのならわたしも腹をくくるけれど……」

「うん?」


 どうも噛み合わないなと感じたヨハネは小首を傾げた。


「うんじゃないわよ。ここってアレでしょ?」

「アレって何の話かは知らないけれど、この店のディナーは絶品らしんだ。流石に明日の仕込みもあるし泊まっていく余裕はないけれど、レストランだけが目的の人も大勢いるから大丈夫だってさ。

 モトベさんに教えてもらった店だから口に合わないこともないハズさ」

「ハッ!」


 ここでようやく勘違いに気づいたわたしは顔を赤くした。

 わたしはてっきりヨハネのお目当ては上にあるラブなホテルで、そこに連れ込もうとする彼を受け入れてもいいとすけべな勘違いをしたが、ヨハネは純粋に一階のレストランに誘っただけのようだ。

 これは恥ずかしい。

 一緒に暮らしているとはいえ、まだ男女の付き合いをしているわけじゃないので我ながらはしたない。


「ゴメンヨハネ。ちょっと勘違いしただけ」

「???」


 幸いヨハネはそんなわたしの内面に気づかなかったのでこの話はここで途切れた。

 ヨハネのエスコートで店に入ると、わたしたちは窓際にある角の席に通された。

 とろあえず席においてあったメニュー表を見てみるのだが写真はなく、どうやらすべて文字で書かれているようだ。

 まだジャポネの文字に慣れていないわたしにはメニューの内容が判断つかないので、ここはヨハネに聞いてみよう。


「写真がないからわからないや。なんて書いてあるの?」

「それなんだけれど、モトベさんが言うには日替わりセットにしろって話だよ。なんでも美味しい上にいい経験が出来るんだってさ」

「へえー」


 まさか興奮作用がある料理で、盛り合うのがいい経験とは言わないだろう。

 あの人が言うのだから意味があるのだろうと、わたしたちは件のメニューを注文した。

 写真もないし但し書きはわたしには読めないので来てからのお楽しみ。

 さて何が来るのだろう。


「お待たせしました」


 そして店の給仕が運んできたのは見るからに普通の定食だった。

 パン粉のようなザクザクとした黒麦の衣を使ったエビフライにたっぷりのマヨネーズソース。

 付け合せのサラダは瑞々しくて、スープからは味噌汁のような匂いがしてきた。

 美味しそうな料理に生唾を飲み込み、実際この料理は美味しかったわけだがここで疑問も一つ。

 モトベさんが言う「いい経験」とは何であろうか?


「───ごちそうさま。たしかに美味しかったわ」

「そうだね。フライの衣はカリカリでソースとの取り合わせも抜群。これだけでもライスが進むのに中のエビもプリプリで味が濃い大海老と来たものだ。これは人気が出るのも頷けるよ」


 ヨハネの分析には一分の隙もないのだろう。

 あえて一つ付け加えるのならば、ジャポネで食べた他の料理よりもわたしの出身地───日本人好みの味付けと言うことくらいだ。

 それはまあ個人的な見解に過ぎないわけだが。


「でも……モトベさんが言っていた『いい経験』っていうのは、どういう意味だったんだろう?

 単純に美味しいディナーってだけだし」

「いや、まだデザートが残っているだ。すべてはそれを食べてからだね」

「へぇ」


 ヨハネも本当はそれが何か知っていたのであろうか。

 彼の言うとおり、この日替わりセットの体験が特別なのはデザートにかかっていた。

 運ばれてきたのはたっぷりの生クリームで包まれた真っ白いカットケーキ。

 四角い形の側面すべてがクリームに染まっているので、これは生地を切り分けた後に一つ一つ塗られたようだ。


「いただきます」


 一度襟を正してから伸ばしたフォークでケーキを一口大に切って口に運ぶと、わたしの予想とは違う味がかち込んできた。

 ホイップクリームだと思っていたのはホワイトチョコで、しかもほんのりと香るのは酔わないようにアルコールを飛ばしたブランデーだろうか。

 見た目には子供が喜びそうな甘いケーキなのだが、実際には大人向けの香りが強い。

 ラブホテルの下にあるお店のデザートなだけはあるのか、この一口だけでドキドキしてしまう。

 このままヨハネが上に泊まろうと言い出したらオーケーしてしまいそうだ。


「この味……」

「なにか気づいたの? ヨハネ」

「うん。適材適所というか、なんというか。うまく言葉に出来ないんだけれど、今日の勝負の勝ち負けに関係しているのかなと」

「たしかにこのケーキはこのレストランにピッタリの味よね。美味しいけれどそれはあくまでパティシエの力量によるもの。決して高い材料を惜しげもなく使った高級料理ではないんだけれど、熱い夜を迎える前のディナーにはピッタリの味で……そう、胸がドキドキしてくる」

「周りの客を見てもカップルが多いし、多分ここはデート向けの店なんだろうね。チョコをはじめ興奮作用のある材料が入ったケーキは熱い夜にピッタリだ」


 ふむふむとヨハネの分析を聞いていたわたしはふと気がついた。

 今日の勝負でわたしたちが出したパン。あれは「料理勝負に出すべき品」としては場違いだったのではないかと。

 勝負ということで材料のランクを上げたとはいえ結局のところ出したのはいつもと同じパン。それに対して相手の堅焼きガレットは物珍しいお菓子だった。

 仮に味が互角だとしたら、普段着とも言えるいちご大福パンよりもドレスのような堅焼きガレットを支持するのは自明の理である。

 これがもし常連のマリーちゃんが審査員でなければ違う見方もあるのかもだが、それはきっと自信作に甘えていたわたしの心が錯覚しているだけだ。

 このままでは次も勝てそうにない。そう悩むわたしをよそに、誰かがヨハネに声をかけてきた。どうやらわたしたちの会話を聞いていたらしい。


「おや……もしやと思いましたがアナタ方とこの店で合うとは。ケーキをお褒めいただいて光栄ですよ」

「その言いぶり……もしやこのケーキはキミが作ったのかい?」

「ええ。厳密には妹と二人で」


 やってきたのは先程別れたばかりのノエルだった。


「流れとして、しばらくこのレストランのデザートを任されています。妹は部屋で勝負の準備をしていますが、その代わりに明日の仕込みは私のほうが一人でこれからやるところなんですよ」

「そうですか。ほら、アマネも挨拶しないと」

「あ……こ、こんばんわ」


 わたしとしてはデートディナーの最中に割り込む美形というシチュエーションに困惑し、久々に見せる人見知りの顔で怖気づいた。


「ふむ……アマネさんは妹と張り合っていたときとは雰囲気が異なりますね。むしろ今の顔が素なのでしょうが」

「それが何か?」

「別に深い意味はありませんよ。うちの妹も似たようなもので、一人になるとあれで気弱なんです。結構アマネさんとは仲良くなりそうだなと」

「そ、そうですか」

「………」


 わたしは心の中で疑ってしまうがノエルにも伝わったようだ。

 少し黙って何かを考えてからノエルは立ち去る。


「それではごゆっくり」


 立ち去るノエルの後ろ姿はどこか女性的に見えたのだが、あれは気のせいだろうか?

 とりあえずノエルが去ったことで緊張を解いたわたしはふにゃふにゃとだらけたのだが───


「あ!」

「どうしたの? アマネ」

「明日の料理のアイデアが浮かんだのよ。急いで残りを片付けて帰りましょう。今回ヨハネは手を出さないでね。あの女と台頭の条件でぶちのめしてやるんだから」


 浮かんだアイデアに手応えを感じたわたしは、先程とは打って変わって強気になってヨハネを引っ張っていた。

 そんなわたしにヨハネもニコリと微笑む。

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