予想外の判定
食材を買い出しし、翌日はあんこやいちごの仕込みに精を出したわたしたちは約束の土曜日を迎えた。
今回わたしたちが用意したのはトスカーナ名物のいちご大福パン。
それも木苺が収穫できない時期に代用しているクロサキいちごよりもワンランク酸味の強い、ブランドいちごイッシンを使用した特別仕様だ。
以前試作したときにも、コストが高くてトスカーナの価格帯では採算が取れないこと以外に欠点のない優良品種。
今回は勝負事なので採算は考える必要なしなので惜しみなく投入した。
「確かにこのパンは自信作だ。だけど相手も腕利きだって言うし、勝てるかは不安になるね」
「大丈夫だって」
ヨハネは出来上がりの味見をしながら不安をこぼすが、わたしはそれを否定して彼を元気づける。
恥ずかしくてできないが、抱きついてキスのひとつでもすれば彼だって不安がなくなるだろうなと、早くも勝ったつもりでいたわたしは浮かれていたのだろう。
公園に移動し、勝負の時間となる午後三時まではいつものようにお店の営業を続ける。
売上は先週よりもやや多く、これも今回の勝負を聞きつけた野次馬が集まっているから集客効果に繋がったようだ。
おかげで売り物として準備していた一七〇個のパンは午後二時過ぎに完売し、後は飲み物を求める野次馬に安い飲み物を振る舞いながら勝負の時間を待つばかりだ。
開始まであと三十分。
そろそろ二人も来て良い時間なのだが、彼らはまだ現れない。
まさか不戦勝になってしまうのだろうか?
そんなソワソワとした気持ちに浮かれるわたしを叩き落とすかのように、彼女は声たかだかに姿を見せた。
「お待たせしましたわ」
「遅かったじゃねえか」
「先生と違ってわたくしたちは公園に店を出していませんからね。ギリギリまで準備に時間を使わせていただきました」
「随分と自信たっぷりじゃない」
ブーケの態度にわたしも少し強気に接してみた。
相手について無知ゆえにイキるわたしはいつもより大胆だ。
「フフフ。どうやらアナタたちも手が空いているようですわね。勝負を前に売れ残りの品を並べながらベソをかかれたのでは、張り合いがありませんでしたので結構なこと」
「そういうアナタたちも来るのが遅いか、てっきりわたしは逃げ出したのかとばかり」
「野良犬相手に逃げるわけがありませんわよ」
「の!?」
「落ち着いてアマネ」
野良犬扱いするブーケの挑発にキレるわたしをヨハネは止めてくれた。
「野良犬だなんて僕らを随分と見くびった物言いだね」
「妹の無礼は私から謝らせてもらう。しかしお言葉ながら、お二人とも流れ者なのには違いないでしょう。
先生やこの街の人間からは受け入れられているようですが、妹がお二人を軽んじるのも無理がないのはご承知を」
そんなヨハネに妹の無礼を弁明するロックも「残念ながら当然」とでも言わんばかりの態度だ。
そんな彼らにヨハネは小気味よく切り返す。
「キミの言い分はもっともだ。だけど僕らを侮るのはやめたほうが良い」
「ほう?」
「僕らはただの野良犬じゃないってことさ。人狼……ウェアウルフを甘く見ないことだね」
「随分と大きく出ましたね」
「フフフ」
ロックはヨハネの痰火に怖気づいたと言うよりも「カッコつけて馬鹿なの?」という反応だが、ヨハネはウェアウルフという言葉に何やら拘りがあるようだ。
照れもせず怖気づかないヨハネの態度に生唾を飲み込んだロックは、わたしたちを挑発したあとは料理に取り掛かっていたブーケに合流した。
二人が作っている料理は遠巻きにはよくわからないが、モトベさんの弟子ならばガレットだろうか?
手際の良さは流石に有名な菓子職人なだけのことはある。
ロックの業前で次々と宙を舞う薄い円盤は蝶のようで、それを空中で切り分けるブーケの包丁技術はガマの油売りが見せる曲芸を思い出す手際の良さだ。
「仕上がりましたわ」
二人の技を眺めているうちに手早く料理は完成した。
「これは?」
「いちごとバターの堅焼きガレット、ミルフィーユ風です。いちごジャムをバタークリームと混ぜて薄く伸ばしたものを、堅焼きにしたガレット生地で何層にも重ねています。バタークリームを挟んだクッキーのように、そのまま食べていただければ」
「ほう。随分と洒落た菓子じゃねえか」
ニヤリと微笑むモトベさん。
これは弟子の作ったお菓子の出来栄えが誇らしいからだろう。
「キョーダイの料理は見てのとおりだ。さあ、嬢ちゃんたちの料理を出してくれ」
「は、はい!」
モトベさんに言われて、わたしは用意していた特製のいちご大福パンを皿に載せて渡した。
「こいつは……いつものか?」
「基本は同じものです。使っている材料は変えてますけど」
「そうかい」
わたしはその時、モトベさんが悲しげな顔をしていたことを見逃してしまう。
なので相手の料理に驚きつつも、負けず劣らずという意気込みでこのパンを出していた。
「それじゃあ審査に移るぜ。この場に集まったお客さんで、我こそはって人は居ねえか?」
モトベさんの呼びかけに観客が少しざわついたあと、一人の女性が手を上げた。
よく見れば彼女はマリーちゃんか。
「私がやります」
「嬢ちゃんはたしか……いいのか? 贔屓はダメだぜ」
「大丈夫ですよ。他の方々は勝敗をつけるというプレッシャーが嫌なようですが、私は慣れていますので」
「贔屓?」
「彼女はマリー。僕らの店の常連さ」
「フン。常連だから贔屓してもらって勝ちは確定だと言いたそうですわね。ですがわたくしたちの料理を一度食べたら、むしろアナタたちのパンなんて食べたくなくなりますわよ」
「なによ! ヨハネのパンもマリーちゃんのことも、何も知らないくせに」
「……今のはお前が悪いぞ、ブーケ」
「す、すみませんわ」
これまでと違い、今のロックの叱責は真摯に感じられた。
なのでわたしもすぐに鉾を納めると、そろそろいいかとマリーちゃんは試食を始めた。
無言のまま最初に頬張ったのはわたしたちのパン。
彼女好みの酸味のあるいちごを使っているので、無言でも緩む頬からその手応えが伝わってきた。
最初の勝負はこれで勝てる。
この勢いで明日も勝ち越して、車を手に入れてしまおう。
そんな風にわたしは考えていた。
「───相変わらずの美味です」
「ありがとう」
「では、次はこのお菓子ですか」
「ええ。料理の説明は必要かしら?」
「いや、いい。さっきのやり取りは聞いていたので」
襟を正すと言うやつか。
いちご大福パンを食べるときは普段どおり砕けた態度だったマリーちゃんの纏う空気が、堅焼きガレットを前にして一変した。
勝利したつもりになっているわたしはその意味を理解していない。
だがヨハネは意味を察したのか、少し顔が青ざめていた。
「もぐもぐ……」
ゆっくりと、舌の上で転がすように味わう彼女。
わたしは早く判決を出し、わたしたちの勝利を宣言してほしいと思っていた。
だが───
「ふむ。思った通りですね」
「そうかいお嬢さん。じゃあ判決を言ってくれ。これは勝負だ、遠慮はいらねえよ」
「では早速」
よし!
マリーちゃんはいよいよわたしたちの勝ちを宣言してくれる。
これであの二人をぎゃふんと言わせてやれるじゃないか。
そう舞い上がったわたしは突き落とされるような気分にさせられた。
「今回の勝負はそちらのお二人……堅焼きガレットの勝利です」
「な!?」
わたしは予想外の結果に驚いて、思わず腰が抜けておしっこを漏らしそうなほどショックを受けた。
古いギャグ漫画さながらのガビーンな判決に膝が笑ってしまった。
「当然の結果ですわね」
一方のノエルは勝ち誇り、両腕で胸を寄せあげて私を見下してきた。
よく見れば意外と彼女は大きめの乳房をしており、見せつけられているようでわたしのイライラを刺激してくる。
つい目をそらすとマリーちゃんと、付き添いのラチャンがぶら下げるデカパイが目に入る。だが彼女たちは素直なので態度の違いで少し気が紛れるか。
それにしてもマリーちゃんはどうして憎らしいブーケ兄妹の勝ちだと判断したのだろう。
「当然だと思うのならば、次の勝負はおそらくアナタたちの負けですよ。勝敗を分けたのが何なのか、今回はあえて言いませんが」
「アンタ……随分と味にうるさいようだな」
「そうでござるなあ」
「え!? あ……はい。うちの家族にしつけられていたもので、つい出過ぎたことを」
「別にいいさ。言っていることは正直かつ正確だ。どうだお嬢さん……残りの試合も審判を引き受けてくれねえか?」
「良いでござるな。モトベの叔父貴も頼んでいるし、是非マリーにお願いしたいでござる」
「僕からも頼むよ。キミが僕らの負けだと判断した理由を、明日の試合でハッキリさせたいからね」
「あ、あわわ……」
勿体ぶってマリーちゃんは理由を隠したわけだが、それに対してヨハネらが興味を示すのでたじろぐ彼女。
わたしだって「カッコつけて隠さないでハッキリ言え」と言いたいところなのだが、彼ら三人の熱意を前にするとすくんでしまうほどだ。
急なお願いに驚いたのか、少しのあいだ放心するマリーちゃん。
しばらくして彼女は首を縦に振った。
「そこまで言うのなら、残りの試合も引き受けましょう」
「よし決まりだ。お礼といっちゃなんだが、審査料代わりに何か食っていくか?」
「では夕飯用にサラダ巻きを一つ包んでくださいな」
「コイツを選ぶとはなかなか通だな。ラチャン嬢の友人なだけある」
「そうでござろう。ついでに拙者にもお願いするでござるよ」
「オメーはちゃんと金を払えよ。カッツォのヤツに示しがつかんしな」
「もちのロンでござろう」
残りの審査を引き受けたマリーちゃんに対して料理を振る舞うモトベさん。
彼らの姿を前に、蚊帳の外なわたしは勝敗を分けた理由を聞くのがなんとなく怖くなった。
今聞いても邪険にされそうだ。
そんな予感がわたしの口を塞いでしまう。
「アマネ……アマネ!」
そんな気兼ねでわたしは放心していたのであろう。
ヨハネがわたしの肩を叩いたのに気がついたときには、周囲の野次馬はすっかりいなくなっていた。
今日は持ってきたパンもめでたく完売しているのですでにお店を閉めている。
時間もそろそろ公園の客足が帰路につく頃なので、モトベさんの店の客もマリーちゃんたちしかいない。
「帰る前にちょっと寄り道していこう」
「帰る……?」
時計を眺めると四時を少し回った頃。
完売していなくても普段なら店じまいの時間だ。
「そうだね。行き先はヨハネに任せるわ」
「承知したよ。片付けはもうやってあるから、アマネは早く後ろに乗っておくれ」
「わかった」
言われるがままカーゴの座席に乗り込んだわたしを引いてヨハネは走る。
ガタガタと揺れる社内の衝撃が、なんだかいつもより痛く感じた。




