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清流の蛇姫  作者: 海山 紺
第一章
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第7話 新たな居場所

 静かに、悠々と燃え盛る紅炎を宿した赤瞳が己が目に焼きつく。


「もし姉ちゃんに何かあったら、ぼくは自分を許せないよ。無力で、助けられてばかりの自分を後悔して最後には恨む。そうならないように、今はそんな自分を変えられる機会でもあると思うんだ」

「自分を変えられる機会……」

「うん。だから、ぼくはこの人たちについていきたい。それに、ぼくだって男だし! いつまでも姉ちゃんに甘えて守られてばかりいちゃ恥ずかしいから」


 ――いつの間に、こんなにたくましくなったんだろう。


 ずっと自分が守らなければと思っていた。父からの遺言が使命感をより強くさせたというのもある。けれど、蓮夜も胸に秘めていたものがあったのだ。

 寧子の提案と蓮夜の意志。双方を蔑ろにしてしまって良いのだろうか。


 桜夜は熟考し、最善の答えを導き出す。

 皆が固唾を呑んで見守っているなか、桜夜は〈水牙〉を解いて寧子に向き直った。


「わかりました。寧子様のご意向に従います」


 桜夜の賛同に、寧子と蓮夜は(かんばせ)が華やぐ。


「ただし、二つ条件があります」

「何かしら」

「一つは蓮夜の安全を保障すること。蓮夜に絶対手を出さないという証明を、今ここで私に見せてください」


 寧子は目を細めて思案し、やがて繊手で〈黄心〉を包んだ。すると〈黄心〉が淡い光を放ち始める。


「〈無空(むくう)〉」


 寧子が唱えると、蓮夜の周りを黄金の神力が覆った。濃密で洗練されたその神力は、やがて極薄の膜となって空気に溶けこむように消えていく。


「今、蓮夜の周囲に護身用の結界を張り巡らせました。この結界――〈無空〉はあらゆる攻撃や干渉を防ぐ、いわば最強の盾。伊織」

「はーい」


 伊織は返事をすると同時に〈黒翼〉を抜き、大きく振りかざした。そのまま蓮夜めがけて刃を真っ直ぐ振り下ろす。


「蓮夜!」


 桜夜が防護に出ようとすると、すかさず額が彼女を捕えて蓮夜から引き離した。


「何をっ」

「いいから大人しく見ていてください」


 蓮夜はぎゅっと堅く目を閉じ、咄嗟に両手で頭を守ろうとする。

 桜夜が蓮夜に手を伸ばした瞬間、伊織の上段斬りが蓮夜に直撃した。が、しかし――


「……?」


 蓮夜がおそるおそる目を開け、見上げると、すんでのところで伊織の刀が制止していた。まるで、見えない何かによって押し留められているかのように。


「うーん、相変わらず寧子様の〈無空〉は堅いなあ。流石、最強なだけあるわ」


 逆にこっちが押し返されそうなんやけど、と伊織は鋭い犬歯を覗かせて苦笑する。彼のこめかみからは汗が一筋伝った。


「それ全力?」

「悔しいことに」


 不敵に笑む寧子に、伊織は未だ歯を食いしばって愛刀に渾身の力を込めるが、〈黒翼〉はぴくりとも動かなかった。


「見ての通り、親兵局きっての刀の使い手をもってしても結界は破れない。物理攻撃はもちろん、神技すらも通さない。これで証明になるかしら?」


 寧子がこちらの顔を窺う。桜夜はひやひやした心臓を宥めつつ「……ええ」と承知の意を示した。


「そうだわ。桜夜にも〈無空〉を――」

「いえ。自分の身は自分で守りますから」

「でも……」

「これは私の矜持ですので」


 頑として譲らない桜夜に、寧子は根負けして次へ進む。


「それで、もう一つの条件は?」


 問われて、桜夜は居住まいを正して答えた。


「私を輪皇軍に入れてください」

『えっ……⁉』


 寧子と蓮夜の驚愕が同時に発せられる。額も瞠目し、しかし伊織だけはなぜか不敵に口の端を吊り上げていた。


「それでは本末転倒よ。あなたを戦場に立たせてしまったらもう隠れようがないし、あなたが生きていると知った瞬間、嵐慶はあなたを奪おうとするわ」

「蓮夜と同じく、私もあなた方に守られるだけの存在ではいたくない。私はこの手で、自らと大切な人の脅威を打ち払いたい。それに、嵐慶は父の仇でもあります」


 わずかな怒気を滲ませて、桜夜は当時を回想する。

 戦力を立て直すことを口実に、嵐慶は柳夜や自分を囮にした。そして、両軍を相打ちにしようとした。


 呪縛の主従関係が柳夜に自害を強制させた。理不尽な死に向き合おうとする父を止められず、守りきれず、ただただ言われた通りに戦場を脱することしかできなかった。


「私は、弱い」


 桜夜は呻くように呟き、面伏(おもぶ)せる。


 主や自身に仇なす敵の命でさえ、それを奪うという重責が肩にのしかかって刀を振るえなくなる。過去のトラウマが邪魔をする。しかし、自身の意志に反して異形の姿をとればいとも簡単に他者を殺めてしまう。それほど強大な力をこの身に宿しているというのに、いざという時、大切な肉親一人すら守れない。


「そのうえ、私自身の力を望むままに使うことができなかった。だから、これからは私の意志で正しくこの力を使いたいのです」


 揺るぎない本懐を包み隠さず打ち明けた桜夜に、寧子は「なるほど」と頬を緩めた。


「嵐慶はあなたの力を『破壊』に使おうとした。けれど、わたくしからすればその力は『守護』にこそ相応しいものよ」

「守護……」

「あなたが弟を守ろうとしていることだってそう。何かを絶つのではなく、存続させることがあなたの真なる力を発揮させる動機となるはず」


 寧子は一息ついて言う。


「いいでしょう。輪皇軍の入軍を正式に許可します」

「ありがとうございます」

「あなたの所属は親兵局。正式な入局をもって、輪皇軍の一員とします。それでもいいかしら?」

「問題ありません」

「それと、なにかあった時のために伊織をあなたの傍につけるわ」

『え』


 桜夜と伊織の音吐が重なり、数秒おいて互いに顔を見合わせる。


「ボクが? 桜夜ちゃんと? 四六時中、一緒におれるってことですか?」

「気色の悪い言い方はやめろ」

「そんな照れんでも~」


 桜夜が殺意のこもった眼差しで睥睨しても、伊織はからからと笑うだけだった。


「伊織は副長の肩書に相応しい……いえ、それ以上の実力を持っている。見ての通り、性格には難があるけれど、あなたの護衛には打ってつけよ」

「いえ、私に護衛は……」

「額ちゃんはともかく、寧子様にもボクの人格を悪く言われるのは傷つくなあ」

「と言いつつ、別に傷ついたような顔をしていないではないですか」


 桜夜が言いかけたところを、伊織と額の応酬が阻む。

 また始まった、と言わんばかりに寧子は肩を竦めつつ、再び口を開く。


「何も護衛という名目だけではない。あなたが意図せず蛇女になってしまわないよう、伊織に見守っておいてほしいの」

「要するに監視ということですね」

「そんな物々しい言葉で片づけるつもりはないわ」


 寧子が苦笑しながらそう付け加える反面、桜夜は表情を硬くする。


 ――当然か。


 万が一、蛇女になってしまった場合、まだ訓練が足りていない自分は敵だけでなく味方をも手にかけてしまう。そんな危険極まりない生物を、何の鎖も繋がず自由に放し飼いしておくのもおかしな話だ。


「伊織。引き受けてくれるかしら?」

「うーん、そうですねえ」


 伊織はわざとらしく顎に手を添えて、桜夜を見定めるように凝視する。

 桜夜は眉を顰め、額もまた『早くはいと言え』と無言の圧をかけている。


「ま、いいでしょう。寧子様のお願いとあらば」

「最初から引き受けるつもりなら早くそう言いなさい。あと、寧子様に対して上から目線で言うのは無礼千万です。あなた、本当に自分の立場がわかっているのですか」


 額がぴしゃりと言い放っても、伊織は「ごめんごめん」と相変わらず軽くあしらうだけだ。その態度が気にくわず、額の眼光はさらに鋭さを増す。


「ありがとう。それじゃあ、桜夜と一緒に行動するように」

「こんな別嬪さんとご飯とかお風呂とか、寝る時も一緒になれると思うとボクの心臓破裂するんと――」


 言い終える前に、桜夜が即座に右腕の肘を伊織の顎めがけて後ろに突き出す。しかし、彼はすんなりそれを受け止めて呵々大笑した。


「冗談やって。流石にお風呂と寝床は一緒にできんから。ごめんな」

「ちっ」

「そんなあからさまに舌打ちせんでも」


 姉と同じく、蓮夜もまた伊織を蔑視していた。


「姉ちゃんに何かしたら許さないから」

「おお、怖い怖い。蓮夜くん、もしかしてシスコン?」

「しすこんって何」

「さあ、何でしょうねえ」

「何だよ、教えてよ」

「蓮夜。馬鹿に付き合うだけ時間の無駄。ほっときな」

「桜夜ちゃんまでボクのこと馬鹿っていうん? 悲しいわあ」

「大して悲しく思っていないくせに」

「あ、バレた?」


 この男、いちいちうっとおしい。

 目に見えてそう語る桜夜に、寧子は苦笑を浮かべて花唇を開く。


「あなたたちが住む部屋は、そうね。桜夜は正式に親兵になったわけだから、局寮に移ることになるだろうし、蓮夜は……」

「できれば、蓮夜も私と同じところに住まわせていただきたく」


 桜夜の請願に、寧子は「わかったわ」と快諾した。


「額、二人を局寮まで。それから局舎も案内してあげて」

「承知いたしました」

「伊織は桜夜に局のことと沈丁花に関する情報をすべて共有するように」

「いいんですか?」

「ええ。彼女はもうわたくしたちの仲間だから。その代わり、桜夜も持ち得る情報はすべて教えてほしい。ここにいる誰よりも、あなたが一番彼らの内情を知っているでしょう」

「はい」

「平介にはわたくしが直接伝えておくわ。わたくしは大抵、北紫殿(ほくしでん)にいるから、何かあったら遠慮なく訪ねてちょうだい」


 北紫殿は黄央殿から真っ直ぐ北に行ったところにある宮殿だ。輪皇の執務室や私室が併設されている。


「じゃあ、わたくしはこれで」


 寧子は立ち上がるなり淑やかに身を(ひるがえ)し、颯爽と謁見の間を去っていった。


「平介って……」

「局長の名前です。今は局舎の執務室で書類仕事に忙殺されています」


 蓮夜が誰何(すいか)すると、額がすかさず答えた。


「いやあ、これから楽しくなりそうやな。桜夜ちゃん、ボクのこと相棒って呼ん――」

「誰が呼ぶか」

「まだ最後までゆってないんやけど」


 けらけらと笑う伊織に呆れ顔で嘆息していると、額が一足先に立ち上がった。


「では早速、局寮に案内します」


 出会った時と何一つ変わらない声色で言い、颯爽と歩きだす額。背筋がぴんと伸びた凛々しいその背を追うため、桜夜も腰を持ち上げる。次いで蓮夜と伊織も謁見の間を後にした。


「私は先ほどのあなたの言動を許したわけではありません」


 額が歩を進めながら口火を切った。


「寧子様のご温情を蔑ろにし、そのうえ反抗の意を示して武器を向けるなど言語道断。不敬にも程があります。だから私があなたを嫌悪して突き放し、最後には手にかけることだって容易い。ですが――」


 額は一呼吸おいて、どこかもどかしそうに言う。


「そうなることを、寧子様は望んでおられない」


 桜夜は目を瞬いた。


「寧子様があなたをお認めになった以上、私はそれに従うまで。それに、あなたは今日から私たちの仲間――同志となる。内輪揉めはご法度ですから」


 この話題はもう終いだと言わんばかりに、額はすたすたと回廊を渡り歩いていく。


 ――内輪揉めはご法度……。


 桜夜は改めて額の背を見つめた後、呑気に欠伸をしている伊織を振り返った。


「ん? どうしたん」

「いや」

「えー何、気になるやん」

「別に大したことではない」

「そんなことゆわれたら余計気になるし。なあ、額ちゃんには黙っとくから――」

「くどい」


 執拗に聞いてくる伊織を適当にあしらいながら、桜夜は局寮へと向かった。

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